新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



子どもたちの憧れの職業「YouTuber」は絶対にラクな仕事じゃない

少し前に子供たちになりたい職業を聞くと、結構な人数がYouTuberと答えるというニュースを読みました。
実際にYouTuberという言葉を子供たちからも頻繁に聞くので、それ自体は全く驚かなかったのですが、「僕は楽しそうだから」という理由で憧れの職業に上がっているものだと思っていました。
先日、生徒さんと将来の話をしていたら、その流れでYouTuberという言葉が出てきました。
そのときにちょっと驚いたのは、YouTuberがいいなと思う理由です。
彼ら曰く、「YouTuberはラクそうだから」なりたいのだそう。
YouTuberを見た僕の印象は、楽しいかもしれないけれど、とてつもなく大変だろうなあというものです。
競争率云々もそうですが、単純に一つ一つの作業をとってみても、よほど普通の仕事なんかよりも大変に見えます。
だから、「ラクそう」という子供たちの挙げた理由に少し驚きました。

僕にはどう見てもYouTuberは大変そうに見えてしまいます。
それは、表出しているあのコンテンツの裏で、どれくらいの手間がかかっているのかがなんとなく分かるから。
僕がYouTuberという「仕事」を大変そうだと思った理由を、いくつか挙げてみます。

人前で声張って格好悪いことができるか?
まず前提として、何人の人が人前で声を張って、オーバーリアクションで、恥ずかしいことをできるのかというところがあると思います。
会社の会議でプレゼンをしたり、学校で発表したりといった、いわゆる普通の説明であれば、誰でもできると思います。
しかし、YouTuberのようなことをしたい場合はちょっと違います。
声を張って、大きなリアクションをとって、思い切りオーバーなキャラクターを演じなければいけません。
その時点で、大抵の人にとってはとても大きな負担だと思うのです。
僕が学生時代バイトをしていた塾では毎年集団授業志望の先生が多く入ってきていましたが、はじめに躓くのは授業の組み立てでも説明の仕方でもなく、声が張れるかというところと、「笑われる」キャラクターを演じられるかというところです。
人前で興味を惹きつけるということは、それだけオーバーな人間を演じなければならないわけです。
そして、このオーバーなキャラ、見てくれるひとにバカにされるというのは、案外羞恥心とプライドが邪魔してできません。
YouTuberなんて、そのキャラを振り切ることの必要な最たる例でしょう。
人前であそこまでやるには、相当の覚悟が必要だと思います。


毎日一定以上の質を担保したネタを出し続ける大変さ
僕はこのブログと塾のブログの2本を更新しているのですが、1番大変なのは、文字を書く部分ではなく、圧倒的にネタを考える部分だったりします。
一本だけ面白い文章を用意してくれと言われれば全く難しくないのですが、ほぼ毎日、同じクオリティのネタを書き続けるとなると、話がかわってきます。
常に書けるネタのストックを用意しておかなければいけませんし、どんなものなら読者に刺さるだろうかということを普段から考えつづけなければなりません。
あらゆるコンテンツに言えることだと思うのですが、このネタ出しの部分が何より大変なのです。
YouTuberも例外ではないはずです。
やはり成功しているYouTuberさんのコンテンツは(くだらなく見えるものもありますが)どれもしっかりネタを考え尽くしていることが伝わってきます。
毎日あのクオリティの面白さを担保してコンテンツを作り続けるというのは、24時間365日のほとんどが企画会議みたいな状態だと思います。

動画の編集や台本などの準備
当然アップする動画が1本あたり2〜3分であったとしても、撮影はその時間で終わるわけではありません。
どんなにありものでできるコンテンツであったとしても、2〜3分で一定の面白さを入れようとしたら、ミステイクも含めたらどう見積もっても10倍くらいの映像はとっておきたいところでしょう。
また、「○○を使ってみた」みたいな時間のかかるものだってあります。
素材となる映像の撮影だけでも、相当の時間を要するはずです。
また、人前で話したことがある人なら言うまでもないことと思いますが、どんなにフリートークに見える話であっても、一定の筋書きを用意しておかなければなりません。
ましてYouTuberはリアルなやり取りではなく動画という一方的なもの。
会話の軌道修正が効きません。
そのため、どんなに雑にみえるものでも、大まかな台本のようなものを用意しなければならないでしょう。

さらに、こうしてとった動画に今度は編集を加えなければなりません。
コンテンツを作ったことがある人や、テレビの収録現場を見に行ったことがある人ならば、編集がどれだけ面白さを加えるかは言うまでもないことでしょう。
よく女性のメイクをみて驚くことがありますが、編集にはそれと同じくらいに素材を引き立てる強さがあります。
逆に言えば、どんなに面白いネタをとったとしても、編集が手抜きでは十分に面白さは伝わらないということです。
当然そこに費やさなければならない時間も、動画の素材をとるのと比べたら、ずっと多くの分量がかかります。
こうしたところの手間も、僕らが思う数倍の労力なのではないでしょうか。



っというように、パッと考えてみただけでも、YouTuberが大変だろうなあと思う要因は枚挙に暇がありません。
僕たちが完成品としてみている数分の「面白いコンテンツ」の裏には、こうした膨大な手間があると思うのです。
それらを少しも視聴者に感じさせることなく「楽しそう」、ときに「ラクそう」とさえ思わせる彼らは、間違いなくどこの会社でも活躍できるくらいに群を抜いて優秀な人たちでしょう。
逆に言えばそのレベルの人でなければ成功できない世界。
一度やってみるというのは、凄く多くの経験が得られて面白いと思いますが、ラクだからなってみたいというのは注意が必要なのかなあと思います。


アイキャッチはヒカキンさんの「YouTuberの作り方」

400万人に愛される YouTuberのつくり方

400万人に愛される YouTuberのつくり方


ニュースアプリは自社コンテンツをどう持つかがポイントだと思う

けんすうさんのツイートに、ニュースキュレーションアプリの行き着く先を感じました。

NewsPicksは本当に日経新聞になりかねないなあ、と思う感じはある。ビジネスモデルが成立すれば、編集部が大きくなっていき、編集部が大きくなっていけばオリジナル記事が増え、オリジナル記事が半分以上になったときに、もはや誰も真似できない感じになるから・・・。」

巷に溢れるニュースアプリの多くが、色々なニュースサイト、ブログ、既存のマスメディアの記事からコンテンツを引っ張ってくることでなりたっています。
ヤフーニュースなんかもそう。
こうなってくると、他のニュースアプリとの差別化ができるポイントは、どういう切り口でニュースを集めているのかというキュレーションの仕方と、ユーザーの囲い込み方しかなくなってしまいます。
前者はコンセプトの違いなので真似することが容易で、後者は規模の問題です。
どちらもニュースサイトの本質的な差別化になるとは考えづらいものです。


個人的にニュースアプリが頭打ちになるだろうと思っていたのはここのポイントにあって、いよいよ競争が本格的になってきたときに、どうやって他を圧倒するような差別化要因を生み出すのだろうかということでした。
そして、けんすうさんのツイートをみて、ニュースアプリの進化の仕方が見えた気がします。
僕はそれまで、ニュースアプリはキュレーションの角度で住み分けを作り、コメント機能などでユーザーを囲い込み、アプリ内のネイティヴアドやバナー広告で収入を出すモデルが完成形だと考えていました。
しかし、マネタイズできる方法を増やし、自社コンテンツの比率を高めていけば、そこには他社が真似できないオリジナリティーを付加できます。
ちょうどニコ動が初めから目指し、YouTubeがここ数年でシフトしようとしているのと同じ路線。
初めはどこでも見られるコンテンツ(他媒体が出しているものやコピー)で人を集め、規模が大きくなったらその知名度で人を集めその中にあるコンテンツを楽しんでもらい、やがてそこで作られる独自コンテンツそのものを強みにしていく。
その先にはコンテンツホルダーとなって他の媒体にコンテンツを載せるというのがあるかもしれません。
この方向性は、あらゆるネットでコンテンツを提供するサービスに一つの流れとして当てはまるものであるように思います。
そしてその方向性を見据えているサービスをできるだけ多くの分野に渡って観測できれば、面白いデータが取れるハズ。
今のところニュースアプリでその方向性を成功させられそうなサービスはNews Picksでしょう。
けんすうさんは日経新聞てきな立ち位置になると言っていますが、僕はその路線は難しいのかなあと思います。
取材に基づいたジャーナリズムを既存の新聞社と同じレベルで行うことは不可能だからです。
むしろ、現在のインタビュー記事などを読んでいると、ネットにおける経済誌的な部分になるような気がします。
それでも、単なるニュースアプリから頭一つ飛び出た形ではあると思うので、今後が非常に楽しみです。

早くやれば良かったと毎年後悔する人のための読書感想文講座③あらすじだけ読んで書くのは結果的に遠回りなワケ

皆さんがワンピースを好きであったとして、アニメも漫画も見たことない友達に「ワンピースってどんな話?」と聞かれたら、いくらでもワンピースの良さを伝えられるのではないでしょうか。
或いはみなさんがジャニーズのファンだったとして、異性の気になる友達に「Hey!Say!Jumpってどんなグループ?」と聞かれたらいくらでも説明できるはず。
ワンピースやジャニーズの良さを語るのも、いわば「感想」です。
読書感想文となると全く手が動かないのに、ワンピースやジャニーズの話になったらいくらでも感想が湧いてくる。
一見するとこの違いは自分が好きなものについて話しているからいくらでも説明できるように見えます。
しかし、必ずしも好きだから説明できるわけではありません。
別に、嫌いなものだっていくらでも説明できる場合があります。

例えば、嫌いな学校の先生を思い浮かべて下さい(笑)
その先生のどこが嫌いかを想像したら、いくらでも具体例が出てきませんか?
「あの時○○なんて言われた。」「授業ちゅうの○○な仕草がいや!」「○○って口癖がムカつく」のように、嫌いな理由はいくらでも思い浮かびます。
このように、仮に嫌いなものであっても説明はできるのです。

説明ができるかできないかの違いは、自分の好き嫌いではなく、それについて詳しいか否かによって決まります。
好きなものは放っておいても自分で調べていくので詳しくなりますし、嫌いなものもそう意識したときからやたら気に障るために自然と意識して、結果として詳しくなるわけです。
そして、ある物事に詳しければ必然的にそれについていくらでも話せるようになってしまう。
感想文でも何でも、何かについて述べるときは、詳しくなることが最も重要です。

この連続エントリの冒頭で、読書感想文を書けない人の特徴として、あらすじとあとがきしか読まない人を挙げました。
あらすじもあとがきも、物語を簡潔にまとめたものです。
したがって、いくらそこを読み込んでも、作品について詳しくはなれません。
あらすじは極限まで情報を削って、たった数ページに話の展開をまとめたものです。
そこでは主人公の感情の機微のきっかけや、そこに至るまでのエピソードは省かれます。
話の展開を説明するのにこうした部分はノイズになるからです。
だから、読書感想文を書こうと思っていくらあらすじやあとがきを読んだところで感想は浮かんできません。
あらすじやあとがきを読んだくらいでは、感想文を書くのに足る程度の詳しさには全く及ばないのです。

あらすじやあとがきだけではまるで詳しさが足りないといいましたが、逆に言えば詳しくなりさえすれば、勝手に感想文は浮かんできます。
それは冒頭の好きな作品や嫌いな先生について他者に語るというを思い出していただければわかると思います。
感想文で大切なことは細かく読んで、作品について詳しくなること。
そのためには読む際に、目が潤んだところや、腹立たしぬなった箇所に線を入れるのが有効です。
気になるところで付箋や傍線を引いていけば、1冊読み終える頃にはかなりの「詳しさ」になっています。
あとはそのメモ元に感想文をかくだけ。
書き方の方は別途まとめていきたいと思います。
まずはあらすじやあとがきだけでなく、しっかりと内容を読む。
そして、気づいたところに線を引いたり付箋を貼ったりして作品に詳しくなる。
ここから始めてみて下さい。
書き始めて止まらない分、結果的に早く書き上がるはずです!

アイキャッチは読書感想文にオススメの重松清さん「ナイフ」

ナイフ (新潮文庫)

ナイフ (新潮文庫)





早くやれば良かったと毎年後悔する人のための読書感想文講座②感想文は選ぶ本で8割決まる

読書感想文とは何か?
僕は読書感想文で一番重要なことを、を一言で表すと、本の中から「あるある」って思える箇所を探す作業だと思っています。
主人公が思わず飛び出したその行為に「あるある」と共感したり、困難に立ち向かう姿に共感したり。
こんな風に作品の中の登場人物の行為で共感できるところを見つけ、その共感の根拠を自分の経験の中から探していく。
こうやって作ると、「感想文」は比較的簡単に作ることができます。

さて、前回のエントリで僕は、「薄い本を選ぶと感想文がかきづらい」と言いました。
その理由はここにあります。
読書感想文が「あるある」と共感できる箇所を探す行為であるとしたら、その共感を探す材料は広い方がいいのです。
もちろんページ数が多ければいいというわけではありませんが、分量が多くなれば単純に共感できる箇所に出会う確率は高くなります。
数ページで終わる作品は結末に向かって一直線に進みますが、200ページもあれば、当然脇で進むエピソードがあったり、物語が枝分かれしている部分もあります。
そういう細部のところで、「あるある」を見つける可能性が高くなるのです。
たとえば虫取りをしようとした時に、家の庭で虫を探すのと森に入って虫を探すのとでは、比べるまでもなく森に入っていった方が多様な昆虫と出会えそうですよね。
庭の虫取りはせいぜいカナブンが限界(笑)
フィールドを広くすればその分多様なアイデアに出会えるのは読書感想文でも同じです。

確かに数ページの作品は、読む作業はすぐに終わります。
しかし、「あるある」と思える場面に出会える可能性は低くなり、早く読み終えても書く段階でかなり悩まなければなりません。
結果として時間がかかってしまう。
逆に、多少分量の多い小説を選ぶと、最初の読む段階ではちょっとだけたくさんの時間が必要となりますが、その分「あるある」と共感できるポイントには幾つも出会えます。
だから、書き始めてからがとてもスムーズ。
ネタ元が乏しい段階でいくら悩んでも、いいアイデアは生まれません。
だから、読む段階で時間をかけるのと書く段階に時間をかけるのとなら、読む段階に時間をかけたほうが圧倒的に手間は少なくてすむのです。

ここまでは分量の話を中心に書いてきましたが、ページ数だけでなく、文体や時代背景によっても描きやすさは大きく左右されます。
たとえば、現代の作家の学校生活をテーマにして書いた作品と、明治時代の文豪が大人になってからの葛藤を書いた作品とを比べたとき、「あるある」と共感しやすいのはどう考えても前者です(笑)
昔に書かれた作品は、時代背景が今とは全く違います。
だから、作品世界にすごく入りにくい。
また、扱われる世界が大人の内面の葛藤だったり、おじいさんになってから感じたことだったりすると、全く共感できない場合があります。
仮に「周りの雑多な情報に触れないで、ただ盆栽を眺めてることこそが一番の幸せだ」みたいなことを言われても、学生の身からすればどうやったってそれに共感するのは難しいはずです。
また、作家によって文体も大きくちがいます。
一文字一文字、言葉の置き方にまでこだわった純文学と、読んでくれる人に対する伝わりやすさを優先して書かれた作品とでは、後者の方が圧倒的に読みやすいはずです。
そもそも難しい文体だと、それだけで読む気がなくなり、いつの間にか文字を追いかけているだけということにもなりかねません。
そうなってしまえば、「あるある」なんて当然みつけられません。
①作品の時代背景、②そこに書かれている場面、そして③作者の文体という3点から作品を探していくことも、読書感想文を書こうとする上では非常に大切なポイントです。

書く段階で悩まないために、できるだけ「あるある」が沢山得られるように、あまり薄い本を選ばない。
そして、作品の中から一つでも共感できるポイントを見つけるために、現代で自分の知っている世界を扱っていて、優しい文体で書かれた作家を選ぶ。
これが、本を選ぶ段階でもっとも重要なことです。
読書感想文は本を読むという「ネタ仕込み」の段階でその後の工程の8割以上が決まってしまいます。
是非、上に挙げた基準をもとに、自分にあった本を探してみて下さい。

アイキャッチは読書感想文に向いてそうな本②重松清さんの「季節風 春」

季節風 春 (文春文庫)

季節風 春 (文春文庫)


早くやれば良かったと毎年後悔する人のための読書感想文講座①薄い本ほど感想文は書きづらい

夏祭り、海と花火とかき氷。
楽しいイベントがいっぱい待っている夏休みももう直ぐです。
僕たち塾人にとっては夏休みは地獄の日々でしかない訳ですが(笑)それでも「夏休み」と聞くだけで、少しワクワクします。
さて、学生さんにとっての夏休みの風物詩といえば、「夏休みの友」と称して勝手に馴れ馴れしく親友宣言をかます大量の宿題と、読書感想文でしょう。
毎年毎年「来年こそは計画的に終わらせよう」と8月31日に誓って、結局次の年もその日を迎えて同じ後悔をする。
「来年こそは計画的に...アレッ!?これどこかで言った気がする。デジャヴー?」みたいな人も少なくないのではないでしょうか?(笑)
宿題の方は頑張ってもらうとして、読書感想文に関しては多少負担を和らげる手立てならいくらでもあります。
今回は(不定期で)数回に分けて、読書感想文の書き方についてまとめていきたいと思います。

「感想文なんてどうやって書いたらいいか分からへん!」
読書感想文が嫌いな人で一番多いのは、こんな悩みではないでしょうか?
これは最もだと思います。
小学校から毎年課題にされるのに、具体的な読書感想文の書き方を教えられることは、ほとんどありません。
もちろん、「こう書けばいい」という形式的なことは習うかもしれませんが、そんなの「収入を増やして出費を減らせば誰でもお金持ちになれる」っていうのと同じレベルのお話で、具体的にどうすれば良いのかは分かりません(笑)
そして、赤子同然で放り出されるから、全く上手く書けない。
こういう人って少なくないと思います。
したがってここでは、できるだけ具体的な読書感想文の書き方をまとめたいと思うのですが、その前に、読書感想文のどこで皆さんが躓いてしまうのか。
よくある読書感想文が書けなくなるパターンをまとめてみたいと思います。

①短い小説を選ぶ
夏休みの残り日数も減ってきて、焦っている人に多いのが、とにかく短い作品を選んで早く書き上げようという思考です。
実はここに大きな落とし穴があります。
感想文を書くにあたって一番難しいのが、短い作品から感想を膨らませること。
作品が短ければ短いほど、書く側の技術が要求されるのです。
だから、早く書きあげたいと思ったら、むしろ中〜長編の作品を選ぶことが近道だったりします。

②あらすじとあとがきだけで書こうとする
僕は読書感想文の書き方を端的に表すのなら、「作品の中から『あるある』を見つける作業」だと思っています。
主人公の心情に共感したり、境遇に自分を重ねたりと、場面ごとの登場人物に乗っかれる場所を見つけて、自分の経験を重ねていく。
これが感想文を書く最も簡単な方法でしょう。
そのために必要なことは、気になった情景描写を集めることです。
あらすじやあとがきには、こうした過程は書かれていません。
だから、あらすじとあとがきを読んでとにかく書き始めようとすると、原稿用紙の1枚目の後半くらいでパタリと手が止まってしまう訳なのです。

③いきなり書き始める
読書感想文の文字数は、小学生であれば1000〜1500字、中高生であれば2000〜2500字くらいです。
普段のテストに出てくる記述問題が多くて80文字前後、ちょっとした作文のテストでも200〜300文字というなかで、千文字を超える文章を書けというのは、なかなかにハードルの高い作業であるように思います。
実際に毎年学生さんが持ってくる相談で一番多いのは「そんなにたくさん書けない」というもの。
確かに1000〜2500文字、3枚から5枚の原稿用紙を埋めるのは少し大変です。
しかし、それは話のプロット(設計図)を書くことで解決できます。
本のような長い文章はもちろん、ブログでもニュース記事でも、何かしら文章を書く人がやっていること。
それが、話のプロットを打つことなのです。
いきなり冒頭から書き始めると、どういう結末になるかも、どのくらいの分量になるかも予想できません。
だから予め箇条書きでどんな構成にするかをまとめておきます。
そして、その箇条書きにしたものに基づいてブロック毎に書いていく。
こうすることで文字数の多い文章は出来上がります。

①短い小説を選ぶ②あらすじとあとがきだけで書こうとする③いきなり書き始めると、読書感想文を書けない理由として多い理由を挙げてみましたが、みなさん心当たりはないでしょうか?
もし、該当する人がいたら、次回以降をご期待下さい。
きっと、ちょっとだけ読書感想文が書きやすくなると思います。
というわけで、次回からは読書感想文の書き方についてまとめていきたいと思います!
次回は「感想文に向いた小説の選び方」です。

アイキャッチは読書感想文にオススメの本①モモ

モモ (岩波少年文庫(127))

モモ (岩波少年文庫(127))



イギリスの国民投票に感じる世界的な内向き傾向

少額ながらビットコインでお金を回している人間としては、イギリスのEU離脱の是非をめぐる国民投票の結果が気になります。
情報ソースが確認できないため、信ぴょう性は保証できませんが、24日の6時30分現在、投票を終えた直後の出口調査(本格的なものではないみたいです)では、残留52%離脱48%と、残留派がわずかにリードしているらしいです。
ここに期日前投票の人の票が加わる訳ですが、基本的に期日前投票に行く人はビジネスで忙しく、経済的に見れば明らかにEU残留の方がプラスであるということを考えて、僕は期日前投票の人の票は残留派が上回っているとみています。
というわけで、仮に残留52%離脱48%という速報値が事実であるとして、期日前投票の結果を加えれば、もう少し残留派が増える結果になるのではないかというのが僕の予想です。
朝の為替の動きや、投票終了直後のポンドの値動きを見ていても、やはり残留なのかなあと思います。

お金を運用している身としては残留か離脱かという結果が気になるのですが、世界的な空気感を見ている身としては、「選挙の結果が拮抗している」という事実そのものが気になります。
イギリスのEU離脱残留かの国民投票を含め、世界的に内向き傾向が蔓延しているように感じるのです。
アメリカではドナルドトランプという、強いアメリカを謳う大統領候補が誰も予想しなかった快進撃を見せています。
そして今回のイギリスの国民投票
両者に共通するのは、「感情的に自国優位が支持されている」ということです。
マクロな視点で経済を見れば、イギリスがEUを離れない方が多くのメリットを持っているのは明らか。
しかし、難民流入や経済停滞の不安感から感情的に離脱の声が膨らんでいました。
アメリカのトランプ旋風も大きくは同じでしょう。
国民の経済が停滞する不安感や広がる格差に対する不満感が、トランプ候補支持という形で現れたように思います。
これらはいずれも不安感からくる自国優先という意見です。
ニュースを見ていると、内向き傾向になっているというのは日本にも言えるように思います。
今回の総選挙は、アメリカ、イギリスに続いて日本も内向きな傾向を見せるかどうかという部分に、個人的には注目しています。

この世界的な内向き傾向は、僕の中で過去の世界大戦前の空気感と重なります。
世界的に経済が停滞して、ブロック経済のような内向きの政策に走り、争いが幾つかの場所で国家間の問題を抱えていて、それがきっかけである日大爆発した。
今の国際情勢を見てみると、この3つの要素がそろってしまっているように思うのです。
リーマンショックギリシャ危機、そして中国株の暴落と、経済的な停滞の例は枚挙に暇がありません。
そして、イスラム国という争いの火種を抱えています。
そしてアメリカとイギリスに見内向き傾向。
漂う空気感に何か、凄くイヤーなものを感じます。
僕はゼロ年代後半からの20年くらいが歴史の教科書に載るときは膨大な量になると思っているのですが、社会の空気感という意味でいけば、明らかに今年一年は大きな変化がある年になるように思います。
それがイギリスの国民投票であり、アメリカの大統領選挙であり、そして日本なら参議院総選挙。
改めて今回のイギリスの国民投票を追いかけていて、時代の節目に立ち会っているという強く感じました。
とりあえずイギリスはいー残留となるでしょうが、拮抗する離脱派の不満の思いが充満していることは事実です。
それはイギリスに限らず、他のEU諸国でも同じような気がします
選挙が終わったあとの、EU諸国の歩みが気になるところです。

楽譜やc言語も全部言語と考えた時に、それらを身につけている人と言語学習の相性を考えた

言語っていうものがその性質上、自分の意思を相手に伝えるツールであると考えたら、僕は楽譜も立派な言語であるように思います。
ピアノであるなら五線譜に音符を用いて、ギターであるなら6線とフレットが書かれたものを読み取って、もちろんその他の楽器ならそれに適した読み方がありますが、それを習得した者同士で意思疎通ができるという点では、言語に非常に近いものであるように思います。
もちろんこれは、音楽に限りません。
c言語の様なものでも同じです。
それを使ってやり取りをする集団があって、それを用いて読み書きをする場があれば、それは言語と同様の機能を有していると思うのです。

自分が音楽好きだから贔屓目になっている部分はあると思うのですが、音楽をやってきた人は、言語学習を得意とすることが多いように思います。
それは、音楽をやっている人々が、そうでない人たちと比べ、「言語的な何か」に触れてきた期間が圧倒的に長いからです。
僕は、学校の勉強で他言語を習得しづらい最大の理由は、覚えることのメリットがはっきりと思い描けないことにあると思っています。
学校の教科書や単語を覚える授業や、テキストの問題を解くという授業では、他言語でコミュニケーションを取ることの便利さや、何より他言語で情報を得られることの強みには気づけません。
そのため、学校での言語習得(主に英語)のモチベーションの中心はスコアを競うことになってしまう。
学校の英語が得意という人のほとんどは、言語を覚えた先の強みに惹きつけられて勉強しているのではなく、ゲーム的な何かに強いから得意という状態です。
だから、受験問題は解けるのに、ほとんど英語でコミュニケーションをとることができないといった事態になってしまう。

学校で学ぶ言語に比べると、楽譜を読める(書ける)力というのは極めて実用的です。
曲を弾くためには楽譜やコードを覚えなければ始まらない。
だから楽譜を覚えるわけです。
練習を積む中で楽器演奏に挫折する人は多くいますが、楽譜が読めなくて挫折したという人はほとんど聞いたことがありません。
これは、楽譜を読むことがゴールではなく、楽器を弾くことがゴールであるからだと思います。
楽譜を読むという行為は、あくまで楽器を弾くための手段である。
これを言語学習に当てはめると、ある言語を読み書きできるというのは、その言語でコミュニケーションを取るという目的のための手段であるとうことができます。
目的を遂行するための手段と考えるから、身につけて当たり前。
身につけた先の未来が思い描けるか否かで、その言語(言語的なもの)を習得するためのモチベーションの大きさは、全く変わってきます。

僕は点数を競うことに魅力を見出し、ゲーム感覚で行う言語学習も(高校まで)は否定しません。
ただ、そういった勉強が得意な人は、やはり限られてくるように思うのです。
であるならば、勉強に対する別の道義付けがあった方がいい。
それが、言語の習得をコミュニケーションをするための手段と認識するということです。
冒頭で、音楽をやっている人は言語学習を得意とする場合が多いのではないかと書きました。
その理由の一つは上に挙げた通りで、楽譜を読む力をつけたときと同じ感覚で、言語の習得を、それを使いこなしてコミュニケーションをとるための手段であると頭で理解しやすいだろうというところにあります。
ある言語、或いは「言語的な何か」を身につけることの強みを知っているのといないのとでは、伸び率が全くことなります。
覚えることが目的の人は、そこになんとかたどり着くためのエネルギーで言語学習に向かいますが、コミュニケーションを取る手段として言語学習をする人は、その習得を家庭に過ぎないと考えているのです。
100mきっかりを車で走ろうと思うとだいぶ前でブレーキを踏みますが、初めから500m先を見ている人は、そんなところでブレーキを踏みません。
結果的に後者の方がタイムはいいはずです。
手段としての言語という認識があるかないか。
これが言語学習の適性を左右する大きな要因の一つだというのが僕の持論です。
楽器を演奏する人ならだれでも、その言語を当たり前のように道具として使うことが身についている。
だからこそ、言語学習をする際にその感覚を持って勉強に臨むことで能動的に勉強ができる。
そういうわけで、言語習得には楽譜を読めることはメリットになるように思うのです。