新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



母への想いを託した曲~宇多田ヒカル「真夏の通り雨」考察~

宇多田ヒカルさんが活動再開後に最初に発表したシングル曲の「真夏の通り雨」。
僕にとってこの曲は、彼女の楽曲の中で最も印象に残っている作品です。
真夏の通り雨」を披露するため、NEWS ZEROに登場した宇多田ヒカルさん。
彼女の髪型が母親の藤圭子さんに重なったのです。
どこか「愛する人との別れ」をテーマにしているように感じる歌詞。
そして、母親に面影の重なる髪型で登場した宇多田ヒカルさん。
僕には「真夏の通り雨」という楽曲が、2013年に自殺と思われる形で亡くなった母を思う曲に聞こえました。

僕がこの曲を聴いたとき、真っ先に宇多田ヒカルさんの母が頭に浮かんだのは、〈揺れる若葉に手を伸ばし あなたに思いはせる時〉という歌詞があったからでした。
「若葉」とは文字通り、芽吹いたばかりの葉のこと。
これは、生まれたばかりの命のメタファーであると考えることができます。
そして、それにそっと触れることで思い出す人。
ここには、萌え出でたばかりの若葉に触れたときに、母親が自分に対して抱いていた愛情をなんとなく推し量ることができたという宇多田さんの気持ちが歌われているように感じます。

〈汗ばんだ私をそっと抱き寄せて たくさんの初めてを深く刻んだ〉
そう捉えるとその一つ前、一番のAメロの意味も自ずと定まってくる。
Aメロだけならば、この部分は少し官能的に捉え、恋人がそっと自分を抱き寄せて、いろいろな事を教えてくれたと考えることもできます。
しかし前で挙げたように、直後に続くサビとのつながりを考えると、ここのいろいろなことを教えてくれる存在は、母親であると考えるのが妥当です。
幼少期の自分をいつも安心させてくれて、かついろいろなことを教えてくれた母親。
「若葉」に触れながら、きっとあなたは当時こんな気持ちだったのでしょうと思いをめぐらせている。
一番のAメロからサビへの流れから、僕はこんな気持ちを感じました。


真夏の通り雨」は夢から急に目覚めるという形で曲が始まります。
一度目覚めてしまったから、再び眠って同じ夢を見ようと思ってももうそれは叶わないというのがこの曲の歌いだし。
この歌い出だしには、突然に目を覚まし現実に引き戻されたように、突然に母の死が目の前に訪れたことが重なります。
昨日までの母親がいるのが当たり前であった日常に戻りたいけれど、目が覚めてしまった夢と同じように決して戻ることはできない。
僕はこうした意味があるのだと感じました。


例によって著作権があり、あまり引用を増やしたくないので、2番はざっと大枠で捉えたいと思います。
2番はどれくらいの月日が流れたら立ち直れるのだろう、周りの人に支えられていて耐えられないわけではないけれど、どこか寂しい。
2番のAメロには、そんな気持ちが歌われています。
僕が最も注目しているのは、ここから。
2番のサビの部分です。
〈勝てぬ戦に息切らし あなたに身を焦がした日々〉
ここは僕の勝手な解釈ではあるのですが、この歌が「母への思い」を綴ったものであるとするならば、ここでいう勝てない戦というのは、ミュージシャンとしての自分が、同じくミュージシャンとしてかつて大活躍した母親を越えようと追いかけていた姿と解釈できます。
大ヒットを何作も出したけれど、1人のアーティストとして、圧倒的な歌唱力で人々を魅了した自分の母との間にはまだ圧倒的な差があった、と宇多田さん自身がずっと感じていた。
だからこそ「勝てぬ戦」であり、同時に追いつきたいからこそ「あなたに身を焦がした」なのかなと思っています。
(因みに「身を焦がす」は一般的に異性に対しての愛情みたいなものですが、ここでは「尊敬」の上位表現くらいの使われ方なのかなと思います。)

ここから先は基本的にずっと、あなたのことが忘れられないという気持ちを表した歌詞が続きます。
しかしながらそんな中で1フレーズだけある〈自由になる 自由がある〉という歌詞。
素晴らしいアーティストであった一方で、藤圭子さんは大変な浪費家であったということでも知られています。
一部では家族との関係がギクシャクすることがあったという噂も。
あなたを忘れられないという思いの中に一つだけ含まれたこの「自由になる」というフレーズには、ほんの僅かではあるけれど、こうしたことから開放されたという感情が表れているようにも見て取れます。


ここまでずっと歌詞についてみてきましたが、最後に「真夏の通り雨」というタイトルについて考えてみたいと思います。
ここでもやはり、藤圭子さんが亡くなったのが8月であったことを考えると、母を連想せずにはいられません。
通り雨とは不意に降ってきて、さっと上がる雨のこと。
「突然に見舞われる」ということ、そして歌詞中に出てくる「雨が止まない」という言葉を考えるとやはり、僕には母に対する思いを歌った曲であるようにしか思えないのです。
また、「ずっと止まない」ということは、コード進行からも感じ取ることができます。
この曲では一貫して、出だし、サビの終わり、Aメロの終わりにD#7(D#メジャー7)が用いられています。
この曲はマイナーコードで書かれているため、メジャーコードは違和感を与えるのに役立ちます。
そんなD#7が曲の節目節目に使われているのが印象的。
本来であればそのパートが終わる部分であるはずの最後の部分に違和感のあるコードが置かれてしまっているため、「真夏の通り雨」はそれぞれのパートがキレイに終わったように感じません。
その結果、ずっと繰り替えされているように感じてしまう。
歌詞の内容だけでなく、曲の展開からも、「降り続く雨」が表現されているわけです。

「亡き母への思い」がどこまでも丁寧に描かれた歌、それが僕にとっての「真夏の通り雨」という楽曲です。

 

 

 意外とアクセスの多い、歌詞考察シリーズです。よかったらこちらもお願いします!

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真夏の通り雨

真夏の通り雨

 

 

社会人は皆知っている読ませるエントリーシートの作り方④素人の「情熱大陸」は誰も見たくない

エントリーシートの自己PRに関して、僕はよく「一般人の情熱大陸なんて誰も見ないという」話をします。
例えば、みなさんはそこら辺にいるくたびれた会社員が自分で「これは凄い!」と思っている部分をディレクションしたドキュメンタリー番組に興味があるでしょうか?
少なくとも僕はそんなもの興味がない(笑)
新進気鋭のベンチャー社長さんや、世界的なヒット商品を開発したメーカーの社員さんなどの話であれば聞きたいという人が多いと思います。
しかしくたびれたスーツを着て、フツーに満員電車に揺られて、毎日会社勤めをしているだけのサラリーマンの話は興味がない。
一般人の自慢話って、これくらいに興味を持ってもらえません。
まして、学生さんのエピソードの場合、普通のサラリーマン以上に凡庸である場合がほとんど(すみません。。。)
だって、サークルやゼミの代表は学校っていうサービスの中での話ですし、バイトで頑張ったというエピソードもあくまで「バイト」という枠組みの中の話だから。
そこでのあらゆるエピソードは、社会に出て、生産者という立ち位置で日々活動している社会人には殆ど刺さらないんですよね。
ではどのようなエピソードが有効か?

どこにでもいる素人が出ている番組でも、一つだけ多くの人が見るものがあります。
それは、素人の人がいじられる系統のバラエティ番組です。
どこの誰かも分からない人の自称「一大エピソード」をまとめたドキュメンタリーには誰も興味はないですが、どこの誰かも分からない人がいじられるバラエティ番組はみんながみるんですよね。
なぜドキュメンタリーは誰も見なくて、バラエティなら見られるのか。
僕はその理由には2つあると思っています。
その中でも最大の理由は「面白い」か「面白くないか」(笑)
基も子もない言い方ですが、よほど大きな成果を残したわけでもない人の自慢交じりのエピソードはつまらないんですよね。
それに対していじられている姿ならその人の経験抜きに面白い。
面白ければ注目が集まるし、面白くなければ誰も見ない。
自己PRでも基本的には同じです。

「面白い」か「面白くないか」という話ではさすがに納得してもらえないこともあるかと思うので、もう少し客観的に、素人がいじられる姿なら見てもらえるという理由を書いてみたいと思います。
バラエティ的ないじりであれば素人のそれでも見られるもう一つの理由は、その人のキャラクターが見えるからです。
いじられているときには、そのいじられ方、あるいはリアクションの取り方にその人らしさ、つまりキャラクターが反映されます。
いじられるというのは、自分が万全に準備をしてきたものではなく、即座に返さなければならないものだからです。
先ほど、一つ目の理由として「面白い」と言いましたが、決して「いじられている姿」が面白いと言っているわけではありません。
「いじられている姿」が面白いのではなく、「キャラクターが見える」から面白いんですよね。
素人のドキュメンタリーはしょうもないエピソードを見せられるからつまらない、素人のバラエティはキャラクターが見えるから面白い。
僕は、エントリーシートを書くときに、この認識が非常に重要であると思っています。

エントリーシートは見る側が好きに選べるテレビではないのだからと思われるかもしれませんが、何百もあるエピソードに目を通さなければならない中で試験官の印象に残ってもらうという意味で、つまらないか面白いかというのは非常に重要です。
内容を書くときに役職や経験、「その時〇〇はこう思った」みたいな情熱大陸ばりの心境の吐露ではなく、できる限り具体的な動作や行為、そしてキャラクターが前面に出るようにエピソードを書く。
この事が非常に重要だったりします。

テスト前日1時間で最低限を理解する古典敬語の勉強法

高校古典において学生を悩ませる2大悪、それが助動詞と敬語です(笑)

毎年この2つに関しては「わからへん!」と頻繁に相談を受けます。

特に助動詞は丸暗記で乗り切ることができても、敬語はお手上げという人が多い様子。

特にその敬語が「誰から誰へ」使われているのかを答える敬意の対象なんかはそう。

ここが苦手という人は多いのではないでしょうか?

僕は普段指導するとき、「最低限の努力で最大限のパフォーマンスを発揮できるライン」を意識するようにしています。

たとえば敬語なら、最初から完璧に覚えるのではなく、8割くらいが分かる状態を目指すといった具合です。

とりあえず8割を理解するのにかかる労力と、全部を完璧に理解する労力では全然違うんですよね。

確かに、敬語の内容を完璧に理解しようとすると難しいですが、「とりあえず8割」を目標にするのなら、そこまで大変な話ではありません。

ここに目標ラインを定めるのなら、次の3つのポイントを押さえるだけでいい。

ということで、僕がテスト前日に教える敬語攻略の3つのテクニックをまとめてみたいと思います。

 

1.覚える敬語は10個だけでいい

敬語の単元で最初につまずくのは、単語を覚える部分です。

全部で30個近くある高校生が覚えるべき古典単語のそれぞれの意味と、働き、そしてもとの形を覚えて…、なんてやっていくうちに頭がパンクしてしまう(笑)

もちろん最終的には全て覚えなければなりませんが、これらの敬語はよく使うものとめったに出てこないものとばらつきがあります。

そして、少なくとも敬意の対象を答える場合に関しては、尊敬・謙譲・丁寧の分類だけできれば構いません。

こういうわけで、僕は敬語の説明をするときに、全体の8割以上(当社比 笑)を構成する超重要敬語10選として、次の10個の敬語を挙げています。

尊敬語・・・給ふ/おはす(おほす)/思す

謙譲語・・・申す/参る/奉る/聞こゆ

丁寧語・・・侍り/候ふ

敬意の対象を答える際にもっとも重要なことは、意味ではなく敬語の種類です。

従って、本動詞や補助動詞の区別や、それぞれの意味なんかは無視して構わないので、上の10個の敬語の種類だけをまず覚えるようにしてみてください。

 

2.敬意の対象は訳して考えない!

「敬語っていうのは、相手と自分の間に差をつけることで敬意を示すもので、相手を上にする場合を尊敬、自分がへりくだって相手を立てるのを謙譲と言うんだ」

一般的に、敬語に関してはこういう説明をされることが多いと思います。

確かに仕組みはこの通りなのですが、これってわかりづらくないですか?

少なくとも問題を解きたいと思っている人にとっては、敬意の表し方なんてどうでもいい(笑)

正しく理解するための知識と、問題を解くのに役に立つ知識は微妙に異なります。

今回はあくまで「定期テストで敬意の対象の単元を解く」ことを目的としていますので、敬語についてのルールを以下のように覚えて下さい。

 ①尊敬語・・・主語(~は/~が)に対する敬意

 ②謙譲語・・・目的語(~を/~に)に対する敬意

 ③丁寧語・・・相手(読み手/聞き手)に対する敬意

「この敬語の意味は〇〇だから」みたいなことはどうでもいいです!

とにかく尊敬語だったら主語に対する敬意、謙譲語だったら目的語に対する敬意。

このように機械的に敬意の対象を決めてしまってください。

 

因みに、敬意の対象について、絶対に覚えておくべき、むちゃくちゃ重要な視点があります。

それが、丁寧語のところで出てくる「相手」という考え方です。

丁寧語は「相手」に対する敬意を表すわけですが、この相手というのが分かりづらい…

「この文の主語は源氏だから、その相手は…」なんて考えると、大きな罠にはまってしまうわけです。

丁寧語における「相手」というのは、『敬語を使っている人にとっての相手』です。

たとえば、僕はこのエントリを「です・ます」調、つまり丁寧語で書いているわけですが、僕にとっての相手とは誰でしょう?

このエントリを書いている僕にとっての「相手」とは、今これを読んでくれている皆さんです。

つまり、このエントリにおける「です・ます」の敬意の対象は全部「読み手(皆さん)」となるのです。

これが会話の場合であれば、話を聞いてもらっている人が「相手」になります。

会話の中に出てくる人とかは関係ありません。

この視点がしっかりと身についていないと絶対に混乱してしまうので、確実に抑えるようにして下さい。

 

 

3.敬意の発信者は2パターンしかいない!

敬意の対象の問題では、多くの場合「誰から誰に対しての敬意であるか」が問われます。

「誰へ」の部分は前に書いたテクニックのとおりです。

3つ目のポイントでは、敬意の発信者(誰からの敬意であるのか)をつかむためのテクニックを説明します。

敬意の発信者に関して、苦手意識を持つ人が多いようですが、これもシンプルに考えて下さい。

敬意の発信者は次の2通りしかありません。

 ①「 」がない部分の敬語ならば作者からの敬意である

 ②「 」内の敬語であるのなら、その会話の話し手からの敬意である

※ただし「大鏡」の場合は文全体が会話と言う形式をとっており、作者ではなく語り手とする

難しいことを考えず、会話文でないのなら作者からの敬意、会話文の中の敬語であれば話し手からの敬意としてしまえばいいのです。

たとえば、[大納言、中宮に「少将が姫を見申し給ひ侍り」と申し給ひ侍り]みたいな文章があったとして、「 」は大納言が中宮に話している会話なので、「 」内の敬語(申し/給ひ/侍り)は全て大納言からの敬意であるということになります。

そして「 」の外の敬語(申し/給ひ/侍り)は全部、作者からの敬意となる。

このように、敬意の発信者を問う問題は登場人物が何をしているみたいなことは一切考えず、機械的に解くことが重要です。

 

実際に敬意の対象(誰から誰へ)について考える

上に挙げた3つを押さえたうえで、敬意の対象について考えていきたいと思います。

敬意の対象は突き詰めると、誰から(2パターン)と誰へ(3パターン)の組み合わせで、6種類しか存在しません。

具体的に並べたら下のようになります。

①「 」の外×尊敬語・・・・作者から主語に対する敬意

②「 」の外×謙譲語・・・・作者から目的語に対する敬意

③「 」の外×丁寧語・・・・作者から読み手(相手)に対する敬意

④「 」の中×尊敬語・・・・話者から主語に対する敬意

⑤「 」の中×謙譲語・・・・話者から目的語に対する敬意

⑥「 」の中×丁寧語・・・・話者から聞き手(相手)に対する敬意

複雑にみえる敬意の対象を問われる敬語の問題ですが、つきつめればこの6パターンしかないのです。

そして、それを見抜くためには敬語の種類を覚えていなければいけませんが、それも最初に挙げた10個の敬語を覚えておけば、とりあえず何とかなる(笑)

これを使って実際にテストで敬語がよく聞かれる源氏物語の若紫(小柴垣というタイトルで習ったかもしれません)で解説をしていこうと思ったのですが、文字数が増えてしまったので、また別のエントリで書きたいと思います。

 

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社会人は皆知っている読ませるエントリーシートの作り方③自己分析は〇〇だけを意識しろ!

推薦入試を受ける子に頼まれて、僕はよく面接や志望理由の自己分析のお手伝いをします。
なぜその学校をしぼうしているのか?
自分はどんな人なのか?などなど。。。
志望理由を書くことのお手伝いをする場合に、僕は生徒さんにとっての「自分では気付いてはいないけれど、周囲にはそう思われているよ」という部分を重点的に伝えるようにしています。
ジョハリの窓で言うところの「盲点の窓」です。
心理学のツールで、ジョハリの窓というものがあります。
自分で自覚しているか否か、そして周囲に知られているか否かの組み合わせによって「自分とは何か?」というのは4通りに分けられるよねという考えかたです。
自分とは何かということのうち、自分で自覚していて他人も分かっている部分を「開放の窓(open self)」と呼びます。
自分も回りも「こんな人だ」ということが分かっている。
自分が普段仲間内で意識しているキャラクターのようなものです。
自分では分かっているけれど、他人には知られていない部分のことを、ジョハリの窓では「秘密の窓(hidden self)」と呼びます。
周りには見せたくない素の自分や、隠しておきたい少し恥ずかしい部分など。
反対に、自分では気付いておらず、周囲はしっかり認識している部分のことを、「盲点の窓(blind self)」と呼びます。
自分でも全く気付いていない、自分では当たり前だと思っているのに、周りからしたら「凄い」と思ったり、「えっ?」と思ったりする部分。
最後は自分も他人も気がついていない「自分」です。
これは、未知の窓(unknown self)と呼ばれます。
ジョハリの窓にはこの4分類(①開放の窓②秘密の窓③盲点の窓④未知の窓)が存在するのですが、自己分析をする際、このうちのどの自己を掘り下げるかを考えることが非常に重要であるように思います。

自己分析をみていると、上手くいかない人は往々に③や④の自己を追いかけていまいがち。
周りに知られていないけれどもっと知ってほしい「本当の自分」って何だろう?とか、自分も気付いていない自分の良さってあるのだろうかとか、そんな感じ。
僕は、こういった部分を自己分析で知ろうとするのは根本的に間違えているように思っています。
他人には気付かれておらず、自分しか知らない自己なんて、たいていの場合自分の自己満足に過ぎないため、掘り下げたところで生産的な「自分らしさ」なんて発見できないんですよね。
(そう見えていたいという自分を掘り下げる行為ですので、それをするほどに気持ちよくはなりますが…)
同じ理由で、自分も他人も知らないような自己を求めることにもあまり意味がありません。
自分が自覚していなくて他人も自覚していない「自分らしさ」なんて、たいていは自分らしくないから。
仮にそんなものがあるとしても、恐らく全く役に立たない能力であるような気がします。
そんな部分を掘り下げるのも、やっぱりあまり有効な手段ではないように思います。
僕が自己分析に役に立つ部分があるとするならば、ジョハリの窓で言うところの盲目の窓、つまり自分は気付いていないのだけれど周囲が認知している自分らしさを発見するところにあると考えています。

自己分析の最大のメリットは、自分は当たり前に行っていることなのに周囲から見たら凄いと思われているところに気付くことであるというのが僕の持論。
それは「こんな仕事に向いている」だとか、「あなたの性格は〇〇です」見たいに機械的なツールで出てくる類のものではありません。
そもそもそういった診断ツールで出てくるものって、大前提としてユーザーに使ってもらわなければならないため、受けた人が気持ちよくなるようにできているとおもうんですよね(笑)
本来の自己分析って、そういうツールで診断できるものではなく、周囲の人に腹を割って自分のことを話してもらうことで自分が気づいていなかった自分の良さに気付き、それをベースに自分に向いたことを深堀りすることなのです。
「自分はどうしたい」ではなく、「周りは何を評価してくれるのか」

仕事の根本がどんな形であれ社会に価値を与えることにあるとしたら、その世界に飛び込む最初のきっかけである就職活動で求められる力は、「自分は何がやりたいのか?」という願望ではなく、「自分はどう他者に役に立てるか?」という顧客視点です。
そして、エントリーシートで押すべきなのも、当然この部分になってくる。
自分が日頃、他者にどういう価値を与えているかを知る行為が「自己分析」。
そう考えると、どういう自己分析をしなければならないのかがわかってくるように思います。
もちろん他にも方法はいろいろあると思いますが、僕は周囲の人に聞くことだと思います。
できれば身近だけれど正直に語ってくれる友達と、全く知らない初対面の人が持った印象の両方を聞きたいところです。
そして、周囲からのヒアリングの結果支持されていて、その割りに自分は自覚していなかった部分があれば、そこを掘り下げてみる。
俗にいう「自己分析」とは大きく異なりますが、こうしたやり方は結構有効な気がします。

 

顧客視点といえばこの人。

永江一石さんの本

 

 

 

社会人は皆知っている読ませるエントリーシートの作り方②あなたと同じ役職は全国に5万人います

「ナンバーワンにならなくてもいい元々特別なオンリーワン」
「オンリーワンを目指す」という価値観は、SMAPがこう歌って以降、学校の教科書にも乗るくらいにメジャーな価値観になりました。
僕は基本的に勉強や学校でやるスポーツみたいな、限られた分野で必死に競争するのではなく、自分の勝てる分野で勝負する方がいいと思っているため、もちろんオンリーワンという考え方に賛成です。
これはエントリーシートに自分のことを書く際にも同じであると考えています。
多くの人のエントリーシートや自己PRを聞いても面白くないのは、みんな普段はオンリーワン型のポジショニングをしているのに、「面接」となった瞬間にナンバーワン型の』アピールをしてしまうからだと思うのです。
インプットがオンリーワン型であるのにアウトプットをナンバーワン型にしていたら、当然相手に刺さるアピールにはなりません。
自分の勝負する分野を変えるオンリーワン型と数多くいる中でトップを目指すナンバーワン型の戦略は、そもそも真逆の立ち位置のものだからです。

ナンバーワン型のアピールの基本戦略は、ある分野でトップに立った経験を語るところにあります。
このやり方で印象に残るアピールにするには、規模感とそこで上位に登り詰めたという経験が不可欠。
たとえば「起業しました」では何のアピールにもなりません。
だって「起業」自体は誰でもできるし、そこに競り勝った経験は存在しないから。
極端な話、面接官にとっては「私は起業しました」というのは「俺息してます」というアピールくらいにしか聞こえません(笑)
これがナンバーワン型のアピールをしようとしているのに登り詰めた経験が不在のアピールパターン。

もう一つ、規模感の不在パターンもあります。
ナンバーワン型PRで最も重要なことは、上位に登り詰めた分野の規模感です。
人数やプレイヤーの質、市場規模の大きさetc…
同じトップに立っていますでも、さすがに「イオングループの代表です」であればそれだけで当然凄いですが、「ゼミの代表です」ではナンバーワン型のアピールとしては全く意味が無いわけです。
もしこのアピールをしたいのであれば、「〇〇の」の部分がどれくらいの規模感であるのかが決定的に重要になってくる。
もし、これからエントリーシートを書く人が、本当にその分野で1~5番くらいに入る人だったらこのアピールで構わないと思います。
しかし、そうではないのなら、絶対にナンバーワン型のアピールは相手に刺さりません。

オンリーワン型のポジショニング戦略を取ってきた人がナンバーワン型のアピールをしようとしたら、どうしてもそのエピソードはつまらないものになってしまいます。
細分化されたフィールドで活躍するのがオンリーワン型である以上、どうしてもそのエピソードの規模感は大きくなり得ないからです。
オンリーワン型のアピールをすればいいのに、そこでナンバーワン型のアピールをしてしまう。
だから、どこにでもある「サークルの代表」とか「ゼミの代表」、「バイトリーダー」みたいなアピールになってしまうわけです。
仮に現時点での大学数が700(パッと調べて出て来た数字なのでミニマムだと思ってください)で、サークルとゼミの数がそれぞれ10ずつ、役職が代表1人、副代表2人、会計と4枠あるとしても大学関連の役職もちだけで5,6000人いる計算です(笑)
自分がナンバーワン(それに順ずる)だと思ってアピールしていることは、もう5,6000人いるということを自覚しておかなければいけません。
他にもさまざまな経験があるのかもしれませんが、どれも「ナンバーワン」っていうのは概ねこんな感じだと思います。
「自分のムラで一位です」っていうのは全国規模で物事を見ている社会人(特に面接官)には刺さらないんですよね。
だから、エントリーシートにおいて、そもそもナンバーワン型のアピールというのが効果的な方法ではありません。
最初のSMAPの「世界にひとつだけの花」の歌詞に戻りますが、みんなが「もともと特別なオンリーワン」であるのなら、絶対にオンリーワンであることをアピールすべきです。
で、ここまででナンバーワン型のアピールについては多少具体的に書きましたが、「オンリーワン型」のアピールに関しては全く書けなかったので、次の(このテーマの)エントリーで詳しくまとめてみたいと思います。

成績を伸ばす努力をする前に、成績を下げる習慣をなくせというお話

私大入試の結果が、少しずつ出てきています。
今年も関関同立産近佛龍を初め多くの学校の合格を勝ち取ってくれています。
子どもたちの勉強姿を見ていて、やはり勉強を通して実力を挙げて、希望通りの大学に合格できる子は、一定の共通項があるなあと感じます。
というよりも、正確には思うように成績が伸びない子には共通項があるという認識の方が正しいかもしれません。
成績が伸びる子は、「成績を伸ばす努力」と共に、「成績が伸びない習慣」を減らす努力をしています。
逆に、成績が伸びない子は例外なく、「成績が伸びない習慣」を減らす努力をしません。
凄く頑張っているのに成績が伸びない習慣をなくそうとしないものだから、結局いつまで経っても成績が上がらないということになってしまうわけです。
浴槽にドバドバ湯を注いでいるのに、詮をしていないから水が溜まらない。
毎年このタイプの子を見かけます。

成績が伸びない習慣を僕は端的に以下の4つと定めています。
①睡眠時間を削る、または一定の時間確保しない
②スケジュール(学習計画)管理をしない
③積み上げ型のコスト計算をする
スマホリテラシーが低い

睡眠時間を削るというのは、文字通り夜遅くまで勉強しようとか、時間を確保するために睡眠時間を削ろうとすることをさします。
睡眠不足は翌日の生産性を落とすため、長期的に見て非効率です。
たしかに夜気分がのっていて、もうちょっとだけと睡眠時間を削って勉強をしていると、頑張っているように感じます。
しかしそれは「感じる」だけで、結果に繋がりません。
そのため、睡眠時間を削ることは、成績を下げる習慣といえます。
二つ目のスケジュール管理をしないというのも良くあるお話。
1年間を通してどのような勉強をするのか。
そのためには今週はどういった計画で勉強をすればいいのか。
今日は何をどれだけ勉強しなければならないのか。
そういった計画をきちん立てて、その上でそれを実行しようとしないのが、二つ目の習慣です。
これは三つ目の積み上げ型のコスト計算という話にも繋がります。
成績が伸びない人ほどどれだけの時間が必要かという計画を、積み上げ型で考えます。
で、一日ではこなせないと嘆く。
そもそもどれだけやれば確実に受かるなんてことは分からないため、積み上げ型で勉強計画を立てていけば、その計画が一日にこなせる量を超えてしまうのは、火を見るよりも明らかです。
勉強計画は積み上げ型ではなく、時間を確保して、その中でできることを考えていく。
こうした予算制約型のコスト意識が重要です。
最後のスマホリテラシーを端的に言えば、「スマホに生活を支配されるな」ということ。
例えば、ラインでメッセージが着たらすぐに返さないといけないと焦ったり、ゲームのイベント発生に引っ張られてスマホをいじるみたいなこと。
そもそもメッセージやイベントを気にしなければいい話なのですが、仮にそれができないにしても、設定で通知が来ないようにしたり、ゲームを削除したりと、主体的になる方法はいくらでもあります。

以上①~④までの習慣を改善せずにひたすら勉強に打ち込むというタイプが少なからずいます。
そして、このタイプの人は例外なく成績の伸びは芳しくない。
勉強の努力を始める前に、成績を下げる習慣をなくすという意識が非常に重要です。
で、この事は勉強に限らず、あらゆることに当てはまることのように感じています。
例えば、ダイエットや貯金もそう。
運動や過度な食事制限のような痩せる努力をする前に、日常生活から太る要因を減らそうよみたいな話。
就職活動でも同じことが言えます。
「(ありもしない)受かるテクニック」を探す前に、現状の自分を振り返って「ダメな部分」を直すほうがよっぽど効率的です。
勉強に限らず、この辺の4点を意識しておけば、比較的上手くことが運ぶのではないかと思うわけです。

トレジャーハント、してますか?

年明けから受験のため怒涛の授業ラッシュでした。

で、先週末にひと段落ついたので、この数日は東京へ行ったり、大学時代の友達に会ったりと、フラフラしています。

授業ばかりで話のネタが切れてしまったので、おもろいネタをインプットをしています。

 

僕はコミュニケーションにおいて、聴く力とトレジャーハントが大切であると思っています。

トレジャーハントとは、「話し相手が楽しんでくれるような話題を集めること」です。

僕の周りにいる友達で面白い人は、例外なく優秀なトレジャーハンターです。

その人にしか出来ない経験、或いはその人ならではの見方・考え方みたいなもので切り取った日常を語ってくれます。

僕はこのトレジャーハンタースキルには大きく4パターンあると思っています。それが以下の4つ

1.ネタが面白い

2.見方が面白い

3.見せ方が面白い

4.企画が面白い

だいたい面白い人たちはこのどれか(場合によっては複数)に長けています。

そして、必ず顧客視点で話をする。

この辺って、1〜4のどれが自分には向いているかを考えつつネタ収集をして、日常から顧客視点で話をするように心がけていたらすぐにできるように思います(僕が出来ているかはわかりませんが...)

というわけで詳細をまとめていきたいと思います。

 

1つ目のネタが面白い人というのは、やる事なす事全てがぶっ飛んでいるタイプ。

ここに属する人は、どんな行動をしていてもなぜか面白いことを惹きつけます。

行動そのものがネタになる人たち。

 

2つ目は見方が面白い人。

同じものを見ているはずなのに、相手はむちゃくちゃ面白い話をしているということがあります。

いちいち着眼点がユニークであるために、その人を通して出てくる物は何でも面白い。

これが、見方が面白いタイプ。

 

3つ目は見せ方が面白いタイプです。

これは、見方が面白いというのに近いようで違います。

自分のアイデアをそこに載せることで面白い話にしたて上げるプロデューサー気質のスキル。

何かを見たときに、それを面白いものにしてしまえる人はこの部類です。

 

最後の企画が面白いタイプとは、何もない所に「面白さ」を生み出してしまえる人です。

適宜必要な所に人とコンテンツを集められる人はここに属します。

幹事として飲み会を盛り上げたり、何かの企画を作りたい人は大抵このタイプ。

 

という4パターンが僕の分類。

そして、前提として顧客視点を持って会話ができること。

これがあると、トレジャーハンターとしての資質になるように思っています。

もっと、もっと、自分自身のトレジャーハントスキルを磨きたいです。

 

最近飲みながら書いていることが多いので、また文脈がグチャグチャになってしまった(笑)

 

関連エントリです、よかったらこちらもお願いします!

http://column-usukuti.hatenadiary.jp/entry/2016/11/16/100836

 

アイキャッチはトレジャーハンター論の提唱者、マンガ家の山田玲司先生の最新作。

 

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