新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



面白い人になるためのコミュニティ論

いつも同じメンバーで集まって、いつも同じ話題で盛り上がっている。

しかもその話題が往往に高校時代や大学時代の思い出の再確認だったりする。

僕はこういうグループの集まりが非常に苦手です。

「時」の止まった話の中で連帯感を深めることに満足しているようなその空気が、どうしても肌に合わないのです。

 

僕は、話が面白かったり一緒にいてこの人は人生経験豊かだなあと思ってもらうためには、複数のコミュニティに所属することと、トレジャーハンティングをしにいくことが大切だと考えています。

一つのコミュニティにしか所属していないと、自分自身のアイデンティティをそこに求めることになる。

だから、そのコミュニティに入り浸るし、そこでの承認の度合いが自分の主な関心ごとになってしまいます。

そして、そういう人同士が集まったコミュニティはやがて、お互いの空気の読み合いや傷の舐め合いで成り立つようになってしまう。

こうした環境では、どうしても新しいことに出会う機会が少なくなってしまうように思うのです。

 

複数のコミュニティに属している場合、自分の承認欲求の求め先が分散されます。

従って、一つあたりの依存度合いが少なくて済む。

極度に一つのコミュニティへの依存をしていなければ、過度に空気を読む必要もなくなるため、ある程度議論(のような人間関係)ができるようになります。

そうするとコミュニティ内での話が生産的なものになると思うのです。

 

生産的な会話のないコミュニティでは、ちょうど替えの効く単純労働のように、どれだけ時間を積み上げたところで「経験」が身につきません。

だから、そういう人はどうしても薄っぺらに見えてしまうのです。

一方で生産的なコミュニティに属していると、様々な経験が積み上がっていく。

だから、同じように時間を費やしたとしたらその分だけ人間的に面白くなっていくように思います。

 

複数のコミュニティに所属することと同時に重要なことが、トレジャーハンティングをしに行くことです。

トレジャーハンティングとは、新しく、面白いことを自分から探しにいくこと。

そして、そこで見つけた面白いことを自分のコミュニティに持ち帰って共有しようとすることです。

僕の友達で、会うたびに「この前こんなことをしてきたんだけど、、」と、新しい経験を語ってくれる人がいます。

僕にとって彼の話は新鮮でとにかく面白い。

彼はいくつかのコミュニティに属すると同時に、そこで提供できるような面白い内容を常にトレジャーハンティングしているのです。

お互いが違うフィールドで面白いことを見つけてきて、コミュニティ内で共有すれば、当然そのコミュニティ内での会話は生産的なものになります。

新しい経験をしていたとしても、いつも同じメンバーであったとしたら、結局「あの時は面白かったね」と思い出の消費で終わってしまう。

新しい経験を価値のあるものにするためには、コミュニティと切り離したところで何かしらの経験を積むことが重要なのです。

 

東京タラレバ娘。と逃げるは恥だが役に立つの対比が上にあげたことをよく表しています。

タラレバに出てくる主人公たちは、一つのコミュニティに深く属し、新しい経験をことごとくそのメンバーで消費してしまっています。

それに対して、逃げ恥に出てくる登場人物の殆どがそれぞれ複数のコミュニティをもち、それぞれのフィールドで経験を手にしてくる。

そしてそれをコミュニティ内に持ち帰る。

同じ女性と結婚をテーマに書かれたマンガですが、逃げ恥の登場人物の方が総じて幸せそうに見えるのは、きっと多くの人が納得してくれることだと思います。

 

複数のコミュニティに属し、自らトレジャーハンティングをしにいく。

魅力的な人であろうとするとき、こうした姿勢が非常に重要だと思います。

人前で「おちんちん」を出せるか論争!?~人を惹きつける人のマインドセット~

僕は人前で「おちんちん」を出せる人(女性の場合はおっぱいを揉ませられる人)には2種類いると思っています。
一つは人前に出る再には、半ば別人格とも言える自分のキャラクターを作って、「そのキャラだからできる」というキャラクター性に任せて「おちんちん」を出せる人。
もう一つは人前に出るとき、普段の何倍もエネルギーを放出して、そのアドレナリン(勢い)でおちんちんを出す人。
やり方はまるで違いますが、僕はこのいずれの特性を持つ人も、人前に立つ才能がある人だと考えています。

初っ端か下品な物言いになってしまいましたが、もちろんこれは人前で羞恥心を捨てられるかということのメタファーであり、本当に「おちんちん」を人前で出せるかどうかについて言及しているわけではありません。
僕は大学1年生のときからかれこれ8年近く塾の先生をしてきて、それなりに人前に立つ経験もしたし、そういう経験をする人を多く見て着ました。
その中で決定的に思ったのが、うえで「おちんちん」にたとえた内容です。

人前で無茶振りを回されたとき、その対応には人によって2種類のものがあると思っています。
一つは羞恥心が上回り、頑なに拒否をする人。
そしてもうひとつが、自分の羞恥心と周囲の「盛り上がり」を天秤にかけ、自分の恥ずかしさを捨てる人です。
僕が「人前で『おちんちん』を出せる」といっているのは後者の人。
そして、後者にも2パターンの人がいます。
それが、キャラを作って住み分けている人と、素の自分の延長でエネルギーを増大させて人を惹き付ける人です。

キャラを住み分ける人は、普段の自分とは切り離した「人前でこうあるべき自分」を持っているので、その理想像に近づけようという欲求から、恥を捨て去ることができます。
お笑い芸人さんなんかに多いタイプ。
それに対して、出力を上げるタイプの人たちは、あくまで自分のキャラクターの延長線上で恥をすてることができます。
グッとテンションを上げているからこそ、感情の触れ幅も大きくなる。
そんな状態で無茶振りをされれば、その場のノリに任せてたいていの恥ずかしいことはできてしまうというタイプです。
どちらがいい悪いではなく、人前で注目を集めようと考えたとき、このいずれかのパターンしかないよねというお話。
因みに僕は学生時代のバイトで(いい意味で)追い詰められて後がなくなった結果、「キャラを作る」という方を撰びました。
だから完全に切り替えるクセがついてしまい、普段は無茶振りにまったく対応ができません。
だから、自分の出力を上げることで対応できる(切り替えるのではなく、普段の延長線上に人前にたつ自分がある)人がうらやましく思ったりします。
先ほど前置きしたように、どちらがいい悪いでは無いですが、その人の性格でまるで適正は異なります。
ただ、人前で「笑われよう」と思ったら必須のスキル。
人前に立つと恥ずかしいという人はこの辺を意識してみるといいと思います。

コミュニケーションの大きな武器になる「ワーディングセンス」とその4分類

先日僕の所属するNPOの代表さんに言われた「ワーディング」ということば。
最近やたらとこの言葉にはまっています(笑)
イデアの凄さや思考の深さではなく、純粋なセンテンスとしてのセンスのよさ。
案外意識している人が少ないと思うのですが、このセンスって案外強い武器のような気がするのです。
本当にここ最近興味を持ったことで、まだまだ体系化できていないのですが、なんとなくワーディングのスキルには何系統かのパターンがあるように思います。
まだまだサンプルを集めなければならないのですが、僕はとりあえず、ワーディングのセンスに関して、活字における能力と会話における能力の2区分、そして、①比喩②要約③名付け④ナンセンスの4タイプのワーディングセンスと分類できるのでは何かという仮説を立てています。
活字と会話の2区分に関してはわざわざ言わずともわかることだと思うので、今回はワーディングセンスの4分類についてまとめたいと思います。
ワーディングセンスとは、直感的に相手に刺さる言葉の創出方法のことです。
一つ目の比喩というのは、何かを見たときに、それを的確に面白い表現で描写する能力のこと。
松本人志さんとか島田紳助さんを代表とされる、お笑い芸人さんがうまい言葉選びです。
たとえば、最近だとお笑い芸人批判をした茂木さんが松本さんの番組にしょんぼりしながらでてきた時に、「自分ズルイわー。サンドバックみたいな顔してすやん!」といったのなんかがそう。
島田紳助さんがいつか言っていた「コイツ心の中ピョンヤンみたいなやつやねん!」というのもここに該当します。
現状を的確に捉え、センスのある描写を出来るワーディングセンスのことを「比喩」としました。

二つ目の要約は、話を一言でまとめる際に発揮されるワーディングセンスです。
「要するにこうだよね」って言うのを、非常に分かりやすく、面白い言葉で端的にまとめることに長けた人たち。
一昔前の岡田斗司夫さんや、山田玲司さんあたりがここに該当するように思います。
たとえば、相手の話を聞くときはしっかりと共感をすることが大切で云々…という話をしていたときに、山田玲司先生はその話を「要するにメンタルをロジックで切ってはいけない」とまとめていました。
たった20文字足らずなのに言いたい事がパッと伝わります。
これが要約的なワーディングセンス。
ある概念に関して分かり易い名づけをできるセンスもここに該当するスキルです。

3つめの名付けに関しては僕の周りに結構多くてうらやましいのですが、今まで無かったカテゴリーをネーミングによって生み出すのに長けた人のもつスキルです。
代表例はみうらじゅんさん。
2時間に一本しか来ないようなバス停ばかりを集めてきて時刻表ならず「地獄表」と名付けたりというワーディングセンスのこと。
小池百合子さんがかつて、ネクタイをしない代わりにエアコンの温度を上げるということに「クールビズ」と名付けたことも、かなり優秀なワーディングだと思います。

最後のナンセンスは僕の中でもまだうまく定義ができていないのですが、ざっくりと、文脈とは明らかに合わない言葉選びなのに、なぜか味があると思わせられるようなワーディングのことを指します。
かつて、落語家の桂枝雀さんが「笑いとは緊張の緩和である」と言いましたが、これに近い印象。悲しい話をしているつもりなのに、所々の言葉選びが面白いせいで、思わず笑ってしまう。
そんなような言葉選びが出来る人がここに該当します。
昔、熱帯魚が大好きな中学時代の友達が涙を浮かべ、酷く落ち込んで学校に来たのでどうしたのと聞いたら、「水温調整の装置が壊れてて、俺の魚たちがみんな茹で上がってしまった。」と言ってきたことがありました。
本人は笑わせるつもりも無く、本気で悲しんでいたのですが、自分の悲しみを表現する言葉が「茹で上がった」であったために、思わず噴出してしまったのを、未だに覚えています。
こんな風に、伝えたい感情と言葉選びの間にセンスのあるギャップを生み出すことができるのが、ナンセンスのワーディングです。

以上が僕の今考えている「ワーディング」に関する分類です。
本当にここ数日で組み立てた考え方なので、まだまだ穴だらけなのですが、これを伸ばす方法や、様々な方面への活用方法など、いろいろと応用が利くような気がしています。
ワーディングの磨き方と活用法。
また新しい関心事が増えてしまった(笑)

 

 アイキャッチはワーディングセンスのカタマリだと思うこの本

じじいリテラシー (星海社新書)

じじいリテラシー (星海社新書)

 

 

美術館に行く理由は美術館に通う自分が好きだから?

「美術館に行く人って、美術館に行く自分が好きなんじゃないの?」
この前東京に行ったとき、友達にこう言われました(笑)
僕はときどき美術館に行くのですが、こう聞かれるまで自分がなぜ美術館が好きなのかということを、特に考えたことはありませんでした。
先日大阪にある国立国際美術館にいったとき、ふとこの言葉を思い出して、自分がなぜ美術館に行くのかを考えたとき、2つ理由が思いあたりました。
僕が美術館に行く理由の一つは「論理ならざる論理」に出会えることです。
かっこいいのでこんな言葉でまとめましたが、「世間一般の論理とは違う画家の解釈で見た世界」を知ることができるというのが正しいかもしれません。
絵画には、その作家の目を通して見える世界が描かれます。
そういう見方もあるということを教えてくれる。
レオナルド・ダ・ヴィンチの発明した透視遠近法が一般的に正しい世界の見え方であると思われがちですが、僕は遠近法は偶然世間一般に広がった見え方の一つであると考えています。
ある一点に焦点が行くように、遠くにある物を小さく、そして近づくにつれて大きくしていくというのは、言語化して伝えるのには非常に便利です。
だからこそ、透視遠近法という見え方のひとつが、圧倒的に世界で受け入れられているというのが僕の持論です。
複数の視点を入れたセザンヌのリンゴの書き方や、ピカソを初めとするキュービズム、日本絵画のレイヤー構造はそれと比べるととても説明が難しい。
しかしながら、そこには必ず筆者なりに論理があって、それに則って書かれているはずです。
美術館に行って美術品をみると、そういった作家の論理に出会うことができます。
そこで手に入れた視点に基づいて様々なアイデアを出すきっかけにする。
そんな観点から、僕は美術品を見に行きます。

僕が美術品を見るもう一つの理由は「論理的に考えることを停止させられる」ことにあります。
特に近代アートでそうなのですが、意味性ではなく、純粋に見た瞬間に「きれいだ」と心を持っていかれる作品に出会うことがあります。
そういうとき、そこには一切の理屈が存在していない、極めて純度の高い「感性」が働いています。
僕は基本的に理屈屋で、やたらと「なぜ?」を追いかけてしまいます。
しかし、芸術作品には、そういった背景ではなく、直感的に凄いと思わせるものがあり、そういった作品を目の前にすると、理屈ではなく感覚的にそれを見ることができる。
一旦理屈を完全に忘れることができるのです。
理屈ではなく感性を鋭敏にする体験。
これを定期的に挟むことで、どこか脳のリフレッシュができるように感じます。
これが僕が美術館に行くもう一つの理由。

たぶん、冒頭で書いた友達の言葉のように、美術館に行く自分が好きというのももちろんあると思います(笑)
と同時に、ここにまとめたような理由も僕の中では美術館に行く理由になっています。
美術館と聞くと、敷居の高いイメージがありますが、案外いい影響を受け取ることができます。
興味のある人は是非いってみてください。

雰囲気イケメン・雰囲気美人になるための5大メソッド〜ガハハハハって笑ってはいけない

誤解を恐れずあえていえば、やっぱり僕はイケメンが好きだし、美人さんが大好きです(笑)

もちろんここで言うのはルックス的なイケメン・美人ではなく、雰囲気イケメンや雰囲気美人のこと。

彼らをみていると、本当に勉強になるところが多いのです。

 

雰囲気イケメン、雰囲気美人とは飛び抜けてルックスがいいというわけではないのに、一緒にいるとそう感じてしまう人たちのこと。

人のかっこいい・かわいいの評価は、ルックスと醸し出す雰囲気の合計値で表されるというのが僕の持論。

僕はイケメン・美人について、ルックスと雰囲気でそれぞれの持ち点を495点ずつ、990点満点で測れると考えています(笑)

このTOEICメソッドで行くところのルックス分495点は、先天的なもの。

ファッションや立ち振る舞い、化粧や髪型のセットである程度変えることはできますが、絶対値は決まっています。

(これを僕は絶対的イケメン指数と呼んでいます)

それに対して、雰囲気の方は意図的に変えることのできるもの。

絶対的イケメン指数に対して相対的なこちらの数値は、意識次第で満点を目指すことができます。

つまり、ルックスが平均値の250点くらいの人でも、雰囲気が満点であれば250+495点で、745点という高得点を取れるわけです。

逆にいえば、身近な人たちの中で群を抜いてカワイイ人であっても、性格や振る舞いといった雰囲気の部分が完全に崩壊していたら500点くらいに収まってしまいます。

雰囲気イケメン雰囲気美人戦略は、こうした人たちを総合力で上回るために有効な戦略なのです。

 

ここからは、僕がライフワークとして行っている、雰囲気イケメン・雰囲気美人研究の中で得たデータ?をもとに、相対的イケメン指数を上げるための具体的な戦略をまとめていきたいと思います。

僕が考える雰囲気イケメンの5大法則は以下の感じです。

①話すときにマウンティングしない

②小さな変化に気がつく

③主体性をもってサッとエスコートする

④アイドルや通りすがりのカワイイ子に目を奪われない

⑤店員に横柄な態度をとらない

これに対する雰囲気美人の5大法則はコチラ

①ダラダラと結論のない話をしない

②話を聞く時はニコニコして聞いてあげる

③相手に選択を委ね、喜んであげる

④仲間内でもジャニーズの話をしない

⑤ガハハハハって笑わない

それぞれの①〜⑤は、男性と女性で具体的な行動は違うものの、根底は共通した態度です。

 

①の「マウンティングしない」というのと「ダラダラ結論のない話をしない」というのは、話すときの雰囲気を作る方法です。

話が上手い雰囲気イケメンは、例外なく低姿勢です。

絶対に目の前の女の子に「オレが〜」というようなマウンティングはしません。

詐欺師顔負けの「オレオレ」感は、聞かされる女の子にとって非常に迷惑です。

一方で雰囲気美人の女の子が話の中で意識しているのが「ダラダラ話さない」ということだと思います。

男の人は基本的に結論のない話を咲きません。

スパッと話を切りたくなる。

そういう話ばかりされると聞いている男性は辟易してしまうので、こうしたテーマは男の人との会話では避けるのがベターです。

マトリョーシカみたいな同じ内容のループは嫌われます。

 

2つ目は相手と触れ合うときの心構えです。

雰囲気イケメンは、とにかく細かなことに気がつきます。

「髪を切った」や「新しい服を買った」ということをはじめ、雰囲気イケメンは、この辺を褒めることを絶対に忘れません。

これに対して雰囲気美人のほうの絶対条件はいつもニコニコと話を聞いてあげられることです。

男性の場合は細かなところに気づいてあげる、女性の場合はニコニコしながら話を聞く。

これが、一緒にいるときの基本スタンスとしてできると、雰囲気イケメン・美人さ度合いが増します(笑)

 

3つ目は何かを決める時のお話。

2人のときにせよ集団で遊んでいるときにせよ、雰囲気イケメンは何かを決めるときに、あらかじめ複数の選択肢を用意しています。

で、どれがいい?と聞いた上でサッと決めてしまう。

優柔不断で自分で選択肢を用意していないのは、それだけでカッコ悪い。

「別にどこでもいい」は言語道断です。

それに対して雰囲気美人のキラーワードは「なんでもいいよ」と「それ楽しみ」です。

ここで大切なことは、「なんでもいいよ」と言うだけではなく、出てきた選択肢に対して何かしら喜んであげること。

1番よくないのは、なんでもいいと言った上で出てきた選択肢にケチをつけることです。

「なんでもいいよ」という相手を信頼しているアピールと、「それ楽しみ」という期待を示す2つの言葉がキラーワードです。

 

4つ目はテクニック、というよりマナーです。

男性は基本的にカワイイ人を見かけたら視線がそちらに動くよう、プログラミングされていますが(笑)、それに従ってはいけません。

キチンと目の前にいる人と向き合う。

雰囲気イケメンは「美人は目で追いかけろ」という本能レベルの命令を克服します。

それに対して、男性に対する女性のNG行為は、本気でジャニーズ系を追いかける姿をみせること。

思っている以上に傷つきやすいので、この辺のワードは極力控えるのがベターです。

好きな芸能人を聞かれたら、星野源とかノンスタの石田さんとか言っておくのが模範解答でしょう。

 

最後は周囲に対する振る舞い方です。

男性で1番気をつけなければならないことは、店員さんや周りの人に横柄な態度をとらないことです。

友達にはニコニコしているのに、店員さんには無愛想とか、一緒にいる人には敬語なのに店員さんにはタメ口とか、そういうのは雰囲気イケメンにはご法度です。

一方、女性が雰囲気美人を目指す場合に絶対気をつけなければならないことは、ガハハハハと笑わないということです。

これだけでイメージがぶち壊しです。

思い切り笑ってくれるのは嬉しいけれど、下品な笑い方は「雰囲気」を大きく損ねます。

雰囲気美人を目指すのなら、この辺のイメージ戦略は必須です。

 

というわけで、いろいろな雰囲気イケメン・雰囲気美人を見てきて感じた特徴を、具体的な戦略に落とし込んでまとめてみました。

この5大法則を守れば相対的イケメン(美人)指数は300点くらいは確保されるはずです。

かっこいいのに態度が悪い勘違い系イケメンや、カワイイのに全くモテないみたいなタラレバ系女子が周囲にいたら、それとなく教えてあげてみてください(笑)

 

 

 

 

積極的に流されるという生き方

「何が好きなの?」「何になりたいの?」

進路指導のときに、とかく「その子の夢」に重きをおく先生や親御さんがいるのですが、僕はそんなに夢って重要なの?と思ってしまいます。

もちろん、僕は「夢を持つな」などと言いたいわけではありません。

夢を追いかけるのもいいけれど、それで目の前のチャンスを棒に振るのはもったいないと思うのです。

 

振り返ってみると、僕はとにかく目の前にあるチャンスに乗っかって進路選択をしてきました。

多分、自らの意思で叶えた事って一度もない(笑)

大学入試は法学部を狙い、いくつかの大学で受かっていたのですが、偶然インターネット出願なるものを開始したばかりで、面白いと思って出したら受かっていた立命館大学の経済学部を選択し、来たこともない関西へ。

漠然とバイトをしようと思ってはいたのだけれど、自らの動くことはなく過ごしていたら、特別親しいというわけではなかったクラスメイトから塾を紹介してもらい、そこから塾講師になりました。

就職活動のときは物を書く仕事に就きたくて、結局内定をもらえなかったので東京に行ってライターのバイトでも探しながら生きようかと思っていたときに、バイト先の恩師から「国語の先生やらへん?」と言われて今の職場に。

社会人?としてそれなりに楽しく暮らしていたら、大学時代の親友に「NPOの関西支部立ち上げるんだけどやらない?」と言われ、そのままそれを引き受ける。

僕の人生の岐路はいつも人任せです。

で、結局僕は今、小さい頃にやってみたいと思っていた先生とライターと広報の仕事が全部できている(笑)

 

こんな自分の経緯もあって、僕はやりたい事は、目の前のチャンスに身を投じてるうちに、いつか機会は巡ってくると思っています。

そして、往往にしてそのチャンスは、全然関係のないところに眠っている。

やりたいことをしっかりと考えることなんかより、目の前に巡ってきたチャンスに飛び乗ることの方が、ずっと、ずっと大切なように思います。

たとえそれが全く自分の想定していなかったことであったとしても、そこに身を投じて、何か信用を積み上げたら、思わぬことに繋がるかもしれないし、それ自体に自分の「生きがい」が眠っているかもしれません。

目標を定めることは自分1人でできますが、チャンスが巡ってくるのは自分の力ではどうにもならないのです。

 

流れに身をまかせるというと主体性がないように思われてしまうことがありますが、流れに身をまかせることと主体的であることは両立できると思っています。

「積極的に流される人」

不安だから周りにあわせるのではなく、どこでもある程度の結果が出せる(と自分に言い聞かせて)から目の前のことに取り敢えず乗っかる。

そういう流され方ならば、僕は悪くないと思うのです。

僕はありがたいことに面白い人たちに囲まれています。

一流企業で、それも異例の大抜擢をしてもらえたのに平気でそれを投げ出して違うフィールドに移る人たち、自分のやりたいことのために会社や公務員を辞めてNPOや会社を作ってしまう人たち。

彼らに共通するマインドが「まあどこでも結果は出せるし」というものだと思います。

だからこそ、今のポジションに執着しないし、リスクも取るこができる。

ブロガーのちきりんさんが言っていましたが、「どこかに活躍できる場所があるのではなく、どこでも活躍できる人がいる」だけなのだと思います。

もちろん僕にはそんな能力はありませんが、それでもそう言い切って振る舞った方が面白いことにたくさん出会えるんじゃないかなと思っています。

 

結果的に受かっていた地元の国公立に行かず、流れで決めた関西の大学を選ぶことで、僕の視野は大きく広がりました。

身1つで暮らし、塾の先生を選んだ事で、交友関係は大きく上の年代に広がり、NPOに属することで、世界が近くなりました。

きっと、当たり前の延長にあった地元での進路を選んでいたら、そんな出会いはなかったと思います。

そして、視野が広がりいろいろなチャンスに乗っかるなかで、結果として選択肢が増えていく。

僕は、「やりたい事」や「夢」に囚われず目の前のチャンスに飛び乗ることは、手札を増やす行為だと思っています。

何も持っていない高校や大学時代にやりたいことにこだわるのは、数枚しかないカードの中で、自分のベストを探すイメージ。

手札をもっとたくさんにした方がよりより選択肢や戦略が立てられて、その手札を増やすのがチャンスに乗ることです。

というようなことをここ数年つよく思ったりしています。

 

積極的に流れに身をまかせるという進路選択。

よくないという人も多いですが、僕は長期的にみたときに、結構アリなんじゃないかと思います。

 

読まれる文章の書き方を、広めたくないからあえてつまらないタイトルで書いてみる

もともと本を読むことが好きなので、シミルボンさん(https://shimirubon.jp)でちょくちょく書評を書いています。

このブログは書きたいことを好きなように書いて、マーケティングなどほとんど意識していないのですが、折角シミルボンさんは本のサイトとテーマが決まっていたので、マーケティングなどを意識しながら投稿するようにしていました。

で、そんな努力?の甲斐あってか、今週のランキングでは総合pv数ランキングで第1位、記事別アクセス数ランキングでもトップ10の中で1位、2位、6位を取ることができ、そこそこ読んで貰えています。

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こんな感じ。

別に順位はどうでもいいのですが、しっかりと「読まれる文章」を意識して書いたものがしっかりと評価されるのは、やっぱり嬉しかったりします。

 

改めて振り返って感じるのは、読まれることを意識して書くときと、書きたいことを書くときでは、題材選びから書き方までまるで違うなということ。

今回は僕が「読まれる文章」を意識するときに心がけていることをまとめていきたいと思います。

僕が読まれたいと考えて文章を書くときに意識していることをザッと書き出すと、だいたい以下のようになります。

①「今書くべき理由」がある

②目を引くタイトルが書ける

③書く媒体が宣伝したくなる

④自分ならではの切り口から書ける

⑤自分にしか書けない「著者適正」がある

読まれることを意識して書く場合、上記のうち①〜③を満たし、且つ④か⑤がある物を僕は書くようにしています。

まず大前提となるのが①の「今書く理由」があるという条件です。

自分が書きたいなと思ったことそのままのタイミングで出したところで、当然誰にも響きません。

だって、周りの人にとっては「読む理由」が無いから。

しかし、映画化やドラマ化が決まっていたり、朝のテレビ番組で話題になっていたりというタイミングであれば、読む側に動機があるので、向こうから読んでくれます。

だから、まずは何か書きたいことがないかと考えるのではなく、「今書くべきネタは何か」という視点で題材を探していく。

こうした題材選びが非常に重要です。

 

人によってはウェブメディアはタイトルで惹きつけなければ読んでもらえないから、タイトルから考えるべし、なんてアドバイスをしますが、僕はほとんどが内容を書き上げてからタイトルを考えています。

というのも、タイトルにはコンテンツをよりよく見せる力があると思っているからです。

今書くべき題材が決まったら構成を考えて書き上げる。

そして、書き終わったらそれを1番惹きつけるのはどんなタイトルか、どんなコピーかということを意識してタイトルをつけます。

これが②の作業。

 

③に関しては①とも関わってくるのですが、すでにあるプラットフォームで書く場合には、個人的に1番重視しているところだったりします。

どうやったって個人の発信力には限界があります。

そして、どこの誰かも分からない人間の書いた記事なんて、基本的に誰も読みたくない。

だから、プラットフォームを編集している人が取り上げたいような題材、切り口を考えて書くのです。

特集を組んでいたり、新しいサービスが付加されたりという場合はそれにのっかってみるなど、いろいろな方法があります。

そうやって取り上げやすい記事を書くとTwitterで告知をされたり、プラットフォームのオススメに表示していただけたりするので、自然とアクセスが集まります。

僕の場合、この記事([改稿]結婚はぜいたく品?「タラレバ」「逃げ恥」の強烈コンボ - シミルボン)がFacebook広告にまで使われたみたいです(30代で、まさに逃げ恥のターゲット層である知り合いから教えてもらい、知りました 笑)

 

以上の3要件を満たしただけではどうしても内容がペラッペラになってしまいます。

アクセスされやすいこととネタとして面白いことはまるで違うからです。

そこで、3要件を満たした上でコンテンツとしての面白さを乗せなければなりません。

それが④の独自の切り口と、⑤の著者適正です。

独自の切り口というのは「あっ、そんな視点からいくんだ」と、他の人がなるほどと思える着眼点を盛り込むことです。

そして⑤の著者適正とは「自分が書くべき理由」です。

僕の場合なら「国語の先生」という立場だからこそ書けるような内容などがそれに該当します。

こういう視点が入っていると、格段に「いいね!」やシェアの数が伸びるのです。

 

もちろんこれを満たせば確実にアクセスが集まる訳ではありませんが、こんなことを意識しながらずっと書き続けていると、読まれる記事の割合はそうでない場合と比べて当然高くなります。

(僕はこれを「打率を上げる」と呼んでいます)

っと、この辺りが読まれる記事を書きたいときに意識していることです。

よかったら参考にしてみて下さい。

あと、シミルボンさんの僕の記事をいいねしてくれると嬉しいです(笑)