新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



ミスチル「未来」考察~ヒッチハイクする車のメタファーを探る~

ミスチルの桜井さんの書く歌詞について、その韻の踏み方の凄さに注目して語られる記事をよく見かけます。
「ダーリン ダーリン」「半信半疑」「カレンダーに」(しるし)、「最高のGIFTを」「渡すとき時ふと」「胸に聞くと」(GIFT)をはじめ、確かに面白いなという言い回しがたくさんあり、実際に僕も旋律と意味と文字面の3方向からしっくりくる歌詞だと思いますが、そういったテクニック以上にメッセージ性が凄いと思うことが多くあります。
特に『未来』という曲では、この事を強く感じました。

僕は最初に買ったCDはポルノグラフィティの『ハネウマライダー』でした。
中学3年生のときにTVのライブを見て、カッコいいと思ったのがきっかけで、そこから音楽を聴くようになりました。
当時は単純にカッコいいと思っていた『ハネウマライダー』ですが、20代後半に差し掛かったあたりで聞きなおして、改めて歌詞の内容に気付いてすきになるという経験をしました。
こんな風に、歌の意味が理解できるようになって改めて曲が好きになったという経験は誰にでもあるように思います。
僕にとってミスチルの『未来』も同じ感覚でした。

僕はこの『未来』という曲を昔は単純に女の人と出会って分かれるという曲だと思っていました。
しかし、改めて聴いてみると、この曲は桜井さんが自分の人生を振り返った歌、というかアーティストを目指す男の足跡を綴ったものではないかと思うようになったのです。
ということで、「夢を追いかける男の気持ちを描いた曲」という視点から、『未来』について考察していきたいと思います(※あくまで僕の「読み方」なので、これが正しいと思っているわけでは御座いません)

この曲を聴くと、どうしても2番の「女」が印象に残りすぎて恋愛の曲のように思ってしまうのですが、改めて歌詞をみてみると、驚くほど「恋愛」的な描写が少ないことに気がつきます。
この歌を、整合性をもって理解しようとすると、「夢を持った男の生き様」として捉えたほうがいいと思うのです。
〈名前もない路上でヒッチハイクしている 膝を抱えて待ってる〉から始まるAメロには、当時ミュージシャンになろうと思った少年の桜井さんが投影されています。
〈名前もない路上〉というのは成功モデルが分からない夢のメタファー。
例えば学校の先生であったら大学に行って教員免許をとってといったようにはっきりとした成り方=道がありますが、ミュージシャンにはそんなものはありません。
そしてこの歌の主人公はそんな「路上」でヒッチハイクしながら車を待っているわけです。
車はそのまま「チャンス」のメタファーと考えるのが妥当です。

Aメロの冒頭で主人公の状態が述べられたあと、状況の説明が続きます。
主人公が〈ヒッチハイク〉している場所は〈荒れ果てて〉いて、〈誰も通らない〉ところだそう。
2番目のAメロに入ると今度の内面に目が向かいます。

〈進入禁止だってあらゆるもの拒絶して追い払ったのは僕だから 誰も迎えにこないちゃんと分かってるって だけどもう少し待っていたい〉
〈進入禁止〉といって主人公が〈追い払った〉のは周囲の「こうした方がいい」というアドバイスかと思います。
周囲の人がいろいろなアドバイスをくれたけれど自分を曲げたくないからそれらを拒んだ。
当然周りの人がもたらしてくれたかもしれないチャンスを自ら手放したわけなので、そんな所に〈車(チャンス)〉が来ないことなんて本人は十分に分かっているのですが、それでも自分の才能を信じたい。
〈だけどもう少し待っていたい〉にはそんな心情が投影されているように思います。

Bメロの〈生きてる理由なんて~〉と始まる部分には、自分のやり方を貫こうとしたけれど上手くいかない時に感じた心情が描かれています。
このままやったって結果が出ないのなら生きている意味がない。
そう思って漠然と毎日を過ごしているというのがここの場面でしょう。
そしてサビに入ります。

〈生まれたての僕らの前にはただ 果てしない未来があって〉
ここに描かれているのは夢をもって憧れていた幼少期の主人公の気持ちだと思います。
音楽の道を目指した時には絶対になってやると思っていた。
そんな夢に向かってひたむきに頑張っていたころを回想していると考えられます。
これに続くサビの歌詞では現在の自分の気持ちが描かれます。
〈そして今僕の目の前に横たわる先の知れた未来を信じたくなくて ~〉
絶対にミュージシャンになってやると思ってその道に入って、周りの助言も跳ね除けて自分のやり方を信じてきたのだけれど、その結果行き詰まりを感じて、それを受け入れたくて〈目を閉じて過ごしている〉というのがここの場面です。
2番になるとこんな主人公の下に「女」が現れます。
主人公が待っている「車」を「成功」のメタファーであるとすると、主人公を拾うこの「女」はチャンスを自分の前にもたらす「女神」の比喩のようなものになるのですが、どう考えても文字数が多くなりそうなので、後半は後日まとめようと思います。

 

知識の「ゲリ」的使用と、知識の「アルコール」的使用

ここ最近、メモの取り方を大幅に変えました。

前は全てを一冊にまとめていたのですが、大きなノートを取り出すのが邪魔なことも多いので、手に収まるサイズの瞬時にまとめる用のメモと、溜めたメモを思考に落とし込む思考用のノートの2冊持ちにしています。

で、これが案外うまくいくのでオススメです。

 

ノートの取り方を変えて、知識の収集と思考を分割してみたときに、「知識のゲリ化」と「知識のアルコール化」ということが頭に浮かびました。

「知識のゲリ化」とは、膨大な量の知識を吸収したとして、それをそのままアウトプットに反映させている状態です。

(知識のことをよりにもよって「ゲリ」なんてワーディングで表現するのもどうかと思ったのですが、イメージが最も近いのでゲリとしました 笑)

確かに優れたロジックやアイデアをすぐにアウトプットに応用すればスピード感をもって成果物を生み出すことができますが、どうしても似たり寄ったりになってしまいます。

このやり方で差別化をしようとしたときに行うのが、アイデアやロジック同士を組み合わせる「パッチワーク型」の思考です。

既存のアイデアを組み合わせることで「新しいもの」っぽくみせる。

単純に得た知識をそのまま使う「ゲリ化」の先にあるオリジナリティは「パッチワーク型の思考」になります。

 

一方で僕が知識の「アルコール化」と呼んでいるのは得た知識を一旦寝かせて、そこから独自の視点を生み出すような方法です。

例えばという化学式で表されるように、ブドウ糖からアルコールができる([C6H12O6→2C2H5OH+2CO2])ように、知識や思考も何かしら化学変化的なことが起こると思うのです。

アルコールはブドウ糖が変化したものですが、性質はまるで違います。

知識も、材料は全く同じでも、それを寝かせることで全然違う分野での思わぬ見識として役に立つものが生まれると思うのです。

こうして生み出す思考を「ゲリ化」の「パッチワーク型」に対して「発酵型」とでも呼ぶとしっくりきます。

例えばアメリカにあった西欧型の音楽理論や楽器の数々とアフリカから連れてこられた黒人奴隷の持つ民族音楽が混ざり合うことで生まれたジャズのように、発酵型の思考では、それまでとはまるで違う物が生まれる可能性があります。

 

「ゲリ化」なんていうとあまりいいイメージを抱かないかもしれませんが、別に僕は「ゲリ化」型の知識の利用やパッチワーク型の思考に否定的なわけではありません。

むしろ、これだけ膨大な情報が溢れる社会では「ゲリ化」状態で優れたロジックや知識を使用した方が上手く行くだろうし(ホリエモンや落合陽一さんはこっち派のような気がします)、パッチワーク型、組み合わせを無限に提示できる方が求められることは多いと思います。

一方で、「アルコール化」の方を主戦場にする人がいてもいいと思うのです。

思想家や芸術家(もちろんウォーホルやデュシャンのような人もいますが)みたいな人はこっちの思考をしています。

 

僕は自分の行動原理を基本的に「逆張り」と決めています。

そして今は知識のゲリ的な使用とパッチワーク型の思考をする人が多い(というか社会の時間感覚が加速度的に上昇していてそちらでないと成功できない)。

だから短期的には成果がでないし、その戦略を取っている人も少ない知識のアルコール的利用と、発酵型の思考を心がけています。

こういう化学反応的に思考を生み出すことと、化学反応式を1つでも多く生み出すことが振り返って自分の武器になるような気がします。

 

酔っていて文章がまとまらなかった(笑)

 

アイキャッチはメモの取り方を変えるきっかけになった前田裕二さんの本

人生の勝算 (NewsPicks Book)

人生の勝算 (NewsPicks Book)

 

 



性怠説

ここ最近、「やる気」という言葉についてあれこれ考えています。
僕はよく教育に関わる人たちと飲みにいくことがあり、そこであれこれと議論をしたりするのですが、「やる気」ということが議題になると、そもそも前提が違うのではないかという「すれ違い」感を感じることが少なくありません。
それで考えていたのですが、「やる気」という言葉には、「性善説」と「性悪説」の立場の違いのような根本的なスタンスの違いがあるように感じたのです。

僕はこのやる気における「性善説」「性悪説」のような違いを、「性活説」と「性怠説」と名づけました。
人の本性は生まれながらに活動的であるというのが「性活説」、人は生まれたままの状態では怠惰であるというのが「性怠説」です。
アクティブラーニングや動画授業を推す人は、人は元来やる気を持っていて、それをITやさまざまなコンテンツで引き出すことが重要であるという、どこか「性活説」が前提にあるような気がするのです。
孟子が人の本性はさながら水が下へ流れるのと同じように、外部からの影響がなければ膳であるといっています。
これと同じように、本来は誰もが「やる気」を持っていて、それを引き出すのが教育であるというのが僕のいう「性活説」の立場です。
もちろん、この考え方が間違えであるなんていうつもりは毛頭ありません。
ただ、「性活説」の前提そのものを疑うという議論もあるのではないかと思うのです。

孟子の「性善説」に対して荀子が「性悪説」という反対意見を述べています。
それと同じように「性活説」に対応する「性怠説」のようなものもあると思うのです。
荀子の「人之性悪」になぞらえて「性怠説」を述べるなら、以下のようなところでしょうか。

人の性は怠なり、其の活なる者は偽なり。
今人の性、生まれながらにして安を好む有り。
是に順ふ、故に消極生じて、積極亡ぶ。
生まれながらにして惰性有り。
是に順ふ、故に怠惰生じて、勤勉亡ぶ。
生まれながらにして安楽の欲有り、受動を好む有り。
是に順ふ、故に不精じて、進取果敢亡ぶ。
然らば則ち人の性に従ひ、人の情に順はば、必ず消極生じて、退嬰優柔に合して、楽に帰す。
故に必ず将に師法の化、能動の道き有りて、然る後に積極に出で、果敢に合して、働に帰せんとす。
此を用つて之を観れば、然らば則ち人の性は怠なること明らかなり。
其の活なる者は偽なり。

荀子をもじって僕が作った「性怠説」を要約すれば、「人は生まれながらに怠けたいという気持ちを持っており、自然状態ではやる気なんて生じるわけがない。外部からの刺激を受けることではじめてやる気は生じるものである。」という意味になります。
人には必ず何かしら興味関心をもつものがあり、それを見つければ自然とやる気がでるのだから、やりたいことをとにかくやって、やる気の出るものを突き詰めようというのが「性活説」的な教育に対するスタンスです。
一方で「性怠説」の立場に立った教育はやる気はそもそも本人の中には存在せず、やりたいことをやればいいと言われて丸投げされても困るから、対象は何でもいいから外部の影響でやる気を感じる経験をさせてあげることが大切であるというものです。
やる気を感じるコンテンツが重要であるという「性活説」と、何にでもやる気を感じられるようになる訓練が重要であるという「性怠説」。

孟子荀子のどちらが正しいかが決められないのと同じように、「性活説」と「性怠説」のどちらが正しいというのはないと思います。
(実際僕自身はやや「性怠説」に近いですが、「性活説」の言い分も分かるつもりです)
ただ、大切なのは選択肢として両方の考え方が存在していることで、今の社会をみると、どうしても「性活説」に立った意見が多いように思ったので、「性悪説」というのを考えました。
立川談志さんが「落語とは人間の業の肯定である」と言い、「家族や友人を捨ててでも忠義を守る赤穂浪士をたたえるのもいいが、死ぬのが恐くて逃げ出すやつらを肯定してやるのが落語だ」といっていました。
「やる気」に関しても同じ事がいえて、人一倍「やる気」を持っている人を賛美するのはかまわないし、やる気がある人が成功するのも事実だけれど、それが「やる気」を持てない人を否定することに繋がるのは間違えだと思うのです。
まさに岡原正幸「求ム、癒されるべき身体」で述べていた「昨今の「勝ち組」の自己称揚や自己賛美や自己正当化に見られるように、優越とは一から十までその個人のなせる業とされる。それも専門的な能力や技能という、目に見える具体的な資質の有無に関わるというより、一層曖昧で、捉えどころのない、場合によっては訓練しようのない、たとえば、モチベーション、企画力、行動力、コミュニケーション能力、企業マインドといった特性(こともあろうに「人間力」とも呼ばれる)を身につけていることが謳われたりする。そしてもちろん、その裏面、人生の挫折や失敗、社会的評価を受けにくい境遇やライフスタイル、これらの劣等と不成功もまた個人のなせる業、なにか曖昧模糊とした特性の欠如のため、という扱いを受けることになろう。」ということを危惧しています。
「やる気」を肯定するロジックとともに、「やる気のなさ」を肯定するロジックも存在している。
それが「教育」には健全なように思うのです。

 

 

天才!  成功する人々の法則

天才! 成功する人々の法則

 

 

 

音声入力とEvernoteの組み合わせによる、情報管理を試してみた。

ここ最近、音声入力にハマっています。

ずっと前に音声入力でブログを書こうと思ったことがあったのですが、僕は文章を書く際に荒れ狂っ構成を考えながら僕は書くので、どうしてもしゃべった思考過程がそのまま文章になってしまうやり方では書けませんでした。

今でもそれは変わらないのですが、情報収集と言う意味ではむちゃくちゃ便利な使い方を発見してしまったのです。

 

僕は基本的に本を読む際、線をひいたり重要だと思う箇所を都度メモ帳に書き記してありと言う事が煩わしいので、読んでいて気になるページはドッグイヤーをしておいて後からまとめてノートにまとめると言うスタイルをとっていました。

このスタイルではどうしてもを止めて本を読んだときに重要部分を巻き起こす作業が多すぎてどうしたものかと悩んでいました。

 Kindleのマーカー機能を使って、重要部分を効率的に収集することをやっていたのですが、僕が重要だと思う箇所があまりに多すぎて、引用できる限度に引っかかってしまいました。

何とかして読んだ本の内容を効率よくまとめることができないかと考えていた時にたどり着いたのが音声入力でした。

 

ここ最近僕は毎晩、Evernoteを開いてかつて読んだ本のドッグイヤーの箇所を音声入力により記録しています。

このやり方が、非常に効率よく情報を整理することができるのです。

ずっと前に読んだ本でドッグイアをしているページを開きます。

そしてその中で気になった箇所を音読する。

ざっと誤字脱字目を通して特に問題がなければすぐに保存。

こうすることで今まで1時間以上かかっていた読んだ本の内容をまとめる作業が10分近くで行えるようになりました。

 

僕も基本的に思考過程をこうすることで今まで1時間以上かかっていた読んだ本の内容をまとめる作業が10分近くで行えるようになりました。

 

僕も基本的に思考を記録するには物理的なノートを好みます。

いろいろな考えたアイディア同士をつなげて、新たな角度から物事を考える上では文字ベースよりも図やイラストの自由度のあるノートのほうが描きやすかったからです。

(タッチペンでの入力も考えたのですが、少なくとも僕にとっては紙の方が自由に思考が展開するように感じます。)

思考過程に関してはこのように紙のメモで事足りていたのですが、一方で文章を書く際の引用だったりアイディアの検索だったりと言う事ではノートなど様々な苦労があります。

それに対しEvernoteを使った場合はキーワード検索、あるいはあるワードで検索をかけると、それまでに自分が収集したデータに一瞬でアクセスすることができます。

文章を書く際の材料を集めるためにはデジタル上に情報を整理しておくことが非常に有利なのです。

 

そんなわけで現在ものすごい勢いで今まで僕が読んだ本を音声入力によりEvernoteに保存しています。

特に僕の場合は現代文の入試問題で1度だけ出会った文章のようなものも大量にあるため、このように正確な文章の形でのアーカイブと、そこに対して瞬時にアクセスすることができる環境というのが非常に面白い強みになると思うのです。

デジタルによる情報収集のまだまだ始めたばかりなのでどのような成果が出るかわかりません。

しかし数カ月後には何かしらアウトプットに影響与えているのではないかと考えています。

その辺も含めてまたレポートできたらと思います。

ちなみに最近は音声入力に慣れてきて特に思考を必要としない文章であれば音声で書けるようになってきました。

今回はそのやり方で書いて1,500字位でおよそ10分弱。

内容がペラペラになってしまうのが気になりますが(そもそも普段から内容があることを書いているかといえば疑問ですが...)、それでも書き方の方法としてこれもアリなのかなと思っております。

音声入力かスマホ入力か、あるいはパソコン入力なのかiPad入力であるのか。

この辺によって文章にどのような差異が出てくるのか、思考過程がどのように変化するのか。

その辺も含めて検証してみたいと思います。

 

アイキャッチEvernoteの使い方。

 

 

Evernoteとアナログノートによる ハイブリッド発想術

Evernoteとアナログノートによる ハイブリッド発想術

 

 

 

ネットの最大の功績は、成功者の努力が可視化されたこと

「ネットの最大の功績は、成功者の努力が可視化されたことである」という僕の格言?があります(笑)

ネットの最大の利点は、あらゆる情報に自由にアクセスできるようになったことでもなく、遠く離れた友人と物理的な距離を超えて連絡をとることができることになったことでもなく、成功した人がどれくらいの時間を費やしたかがだれもに認識できることにこそあると思うのです誰も認識できることにこそあると思うのです。

例えばネットがない時代であれば、ある人の成功は成功した部分しか見ることができません。

例えばネットがない時代であれば、ある人の成功は成功した部分しか見ることができません。

テレビに出ている億万長者の社長だとか、雑誌のインタビューで見かける若手実業家、あるいは漫画家でもアニメーターでも、ブロガーでもミュージシャンでもそうですが、それまでは彼の成功した後の華やか姿姿しか見ることができませんでしたブロガーでもミュージシャンでもそうですが、それまでは彼の成功した後の華やか姿姿しか見ることができませんでした。

 

ところが、ネットが普及してあらゆる情報が共有されるようになると、すべての人々の生活習慣や活動が大衆の目に可視化されるようになりますあらゆる情報が共有されるようになると、すべての人々の生活習慣や活動が大衆の目に可視化されるようになります。

例えばある有名人のTwitterを追いかけブログを読み、テレビやネットの生放送を追いかければ、その人の1日がおおよその予想がついてしまうことがあります消例えばある有名人のTwitterを追いかけブログを読み、テレビやネットの生放送を追いかければ、その人の1日の生活を大まかに推察できてしまうことがあります。

あるいは、人気YouTuberや有名ブロガーの中には、自分たちの生活や仕事のスタイルなどを事細かにウェブ上に示してくれる人思自分たちの生活や仕事のスタイルなどを事細かにウェブ上に示してくれる人もいます。

こうした人たちの1日の生活習慣を正確に追いかけると、その人の成功は才能でも雲正確に追いかけると、その人の成功は才能でも運でもなく、ひとえに人並み外れた圧倒的な努力の成果であると言うことが嫌でもわかってしまいます。

 

例えば人気YouTuberのHIKAKINさんが、1日の生活をYouTubeにアップしていました 。

朝の2時過ぎから始まって終わるのは12時を過ぎた後です。

あるいは同じく人気のYouTuberである「釣りよか」のよーらいさんは、睡眠時間が数時間で後はひたすらに釣りと動画編集をしていると言う現在の生活を動画で投稿しています睡眠時間が数時間で後はひたすらに釣りと動画編集をしていると言う現在の生活を動画で投稿しています。

他にもブロガーのイケダハヤトさんは、全盛期は1日10本近くのブログを書いていたそうです。

漫画家の山田零士先生は小学校の頃毎週自分で締め切りを設定し週刊漫画を学校に書いて持っていったと言っています。漫画家の山田玲司先生は、自身のニコニコ動画の番組で、小学校の頃毎週自分で締め切りを設定し週刊漫画を学校に書いて持っていったと言っています。

ミュージシャンの志磨遼平さんはネット番組の中で古今東西あらゆる音楽に精通したその知識の広さを披露し、ウーマンラッシュアワー村本さんのネット番組では、スーパーマラドーナの武市さんやナイツの塙さんが出て、その漫才に対するとてつもない知識や探究心を見せつけていました。

島田紳助さんが吉本興業の養成学校で講演した時の動画の中では、彼が売れるために行った膨大な努力を事細かに説明していました。

筑波大学の準教授である落合陽一さんやお笑い芸人の西野亮廣さん、こういった有名人(成功していると思われている人たち)のTwitterやブログでの発信を見ていると本当にどれだけの努力をしているのかと驚きます。

(実際に自分が仕事をこなしながらその上であれだけの情報発信をすることを考えると、彼がどれほどすごく活動しているかと言う事は容易に想像することができると思います) 

 

こうした部分はそれまでは決して人々の目に触れる事はありませんでした。

成功するまでの努力や苦労の部分がすべて目に見えず、ただ僕たちの前に現れるのは彼らが成功し輝かしく人前に出ている姿だけでした。

だからこそ成功している人たちを見て僕たちは「あいつらは才能があるから」「運がいいだけだ」みたいなことを本当に思っていました。

しかし今は彼らのそうした本来は見えなかった努力や苦労までも全て追いかけようと思えば追いかけることができてしまいます。

これは努力をしないで成功を妬んでいるだけの人たちにとっては非常に好ましくない状態です。

(なぜなら今まで「あいつらの才能がある」と言って自分の努力不足を棚に上げていた、それまでの自分たちの言い訳が使うことができなくなってしまうからです)

一方で、本当に成功したくてもがいている人にとってはこれほど良い環境はないと思います。

あらゆる分野での成功している人の積み上げた努力が可視化され、どれだけ努力すれば最低限そこに到達できるかという可能性を知ることができるからです。

これをチャンスと見るか、「余計なことを仕上がって」と見るかは、本人の自由だと思いますが少なくとも僕は前者と思った方がより有意義な生活が送られるような気がします。

 

「努力は報われる」なんて言う、J-Popみたいなことを言いたいわけではありませんが、おそらく僕たちが思っている成功するのに必要な努力値の何十倍も多くを行わなければ成功にたどり着けないと言う事は紛れもない事実であると思うのです。

「成功したやつはただの運や才能だ」と言っている人の中で、少なくとも表面に見えてくるウェブ上に現れる断片的な努力の足跡だけでも真似することができる人間が、一体何人いるでしょうか。

少なくとも僕は無理だと思います。

こういった「信じられない努力」が具体的に見えるようになったということこそが、僕はネットの最大の功績だと思うのです。

 

巷には多くの成功法則やノウハウが溢れています。

しかしそのいずれにも具体的な努力の量は描かれていませんでした。

そうした部分がネットに流れるようになって初めて、ノウハウや成功法則あるいはマインドセットなどが役にたつようになったのだと思います。

成功に要する努力量も正確に把握していること。

これは今後の社会を生き抜く上で非常に大きな強みになると思うのです。

 

 アイキャッチ幸田露伴の努力論。因みに無料の本が出ています。

努力論 (岩波文庫)

努力論 (岩波文庫)

 

 

 

テスト前日に確認したい夏目漱石「こころ」解説①こころが読み易くなるために必要なたった一つのある「視点」

多くの学校で高校2年生になると勉強することになる、夏目漱石の「こころ」。
内容の面白さ云々の前に、単純にページ数が多かったり、使っている言葉が難しかったりという部分から、毎年多くの高校生から意味が分からんという声を聞きます。
解説を求められることも多く、実際にいろいろな学校の説明の板書やウェブ上の解説を読んでみたのですが、どうも「授業的な詳しい解説」であったり、「教育的に正しい」解説であったりというところを重視しすぎているせいで、難しくなってしまっているものが多いように感じます。
そういった「正しい」解説や「詳しい」解説は既に十分過ぎるほど存在するので、僕はあくまで直感的に内容を理解しやすいことを目標に内容を解説したいと思います。
因みに、細部で正確な解釈とは異なる部分があるかもしれませんが、あくまで直感的な分かりやすさに重点を置いていますので、その点はご理解ください(「正しい」説明でないことは僕も重々承知しています 笑)。

「こころ」という作品に向かうときの最大のポイントは「好きな人ができたときの心情」を強く思い出しながら読むということです(笑)
こう書くとふざけるな!と思われてしまうかもしれませんが、そもそも「先生」の行動原理は全てそこにあるわけなので、作品に入り込むためには意外に重要な視点となってきます。
例えばクラスにずっと密かに好きな人がいて、親友と二人でマックやミスドで会話している時に、明るい声で「私〇〇の事が好きになってん!」と自分と同じ人の名前を言われたらむかつきませんか?
或いは、恋愛になんてまるで興味のない友人とテスト勉強をしていて、彼氏や彼女からのLINEに返信していたらいきなり「勉強に集中もせずに彼氏(あるいは彼女)と連絡しているとかアホちゃう?」と言われたらむかつきませんか?
むちゃくちゃ難しい言葉や言い回しが使われていますが、先生がKに対して抱いている気持ちは基本これと同じです(笑)
親友から「私〇〇の事が好きになってん!」と語られるのが先生とKの場合だと4段落目にあるような「彼はいつもにも似ない悄然とした口調で、自分の弱い人間であるのが実際恥ずかしいと言いました。そうして迷っているから自分で自分が分からなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるより外に仕方がないと言いました。」という表現になります。
今の言葉で言えば、「俺、たぶんあの子(お嬢さん)のことが好きになったと思うんだけど、勉強とか忙しいし、どうしたらいいと思う?」です。
これを、Kよりもずっと前からお嬢さんのことが好きだった(しかもそのことを以前それとなくKに相談したら「恋愛に気持ちが持っていかれるやつは馬鹿だ」と言われた)先生に対して打ち明けたわけです。
そりゃ先生もむかつきますよね。
自分が好きだった人のことをKも好きになってしまい、しかもKは先生もお嬢さんのことを好きだということを知らない。
前半は、先生が遠まわしにKがお嬢さんから手を引くように仕向けるはなしなんだという理解をしておくと、途端に読み易くなります。

この視点から最初の節の描写やセリフを見ていきたいと思います。
まず1段落目の「私はその時に限って、一種変な心持ちがしました」という部分。
先生はここ数日でKがお嬢さんのことを好きになったことに気がついています。
そんなKから「ちょっと相談がある」と言われたわけです。
ここで感じた「変な心持ち」とは、Kからお嬢さんが好きになったという告白であると捉えるのが妥当でしょう。
二段落目で、先生はKの誘いに対して勉強が終わったあとなら相談に乗ってやると返します。
しかし、実際には先生はまるで調べ物に集中できません。
そりゃ、これから親友から自分がずっと好きだった女の人を「自分も好きになった」と言われるなんて、気が気ではありませんよね(笑)
先生もそんな心情だったのか、読みかけの資料を伏せて勉強を切り上げ、Kを散歩に誘います。
一方そんな先生に対して「勉強はもう済んだのか」と間抜けな質問をするK。
ここでの先生の気持ちは書いていなくても十分に想像がつきます(笑)
次の段落でいよいよKは先生にお嬢さんが好きになったことを告白します。
そして次の段落で先にも書いたように、「自分の弱い人間であるのが実際恥ずかしい」「迷っているから自分で自分が分からなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるより外に仕方がない」と自分がお嬢さんを好きになったことをと先生に伝えるのです。
先生はこのKの言葉に対して、「退こうと思えば退けるのか」と聞き返します。
これ、普通に聞けば親友の相談に対する丁寧な回答ですが、先生もお嬢さんのことが好きで、そのことをKには知られていないという場面を考えると、むちゃくちゃ嫌味な言い方です。
先生の意地悪な質問に苦しい表情で固まるK。
最後に先生が「もし相手がお嬢さんでなかったならば、私はどんなに彼に都合のいい返事を、その渇き切った顔の上に慈雨のごとく注いでやったかわかりません。」と言ってこの節は終了します。
しかもご丁寧に「私はそのくらい美しい同情をもって生まれてきた人間と自分ながら信じています。」と一旦自分を持ち上げた上で(笑)

こんな説明では、一度でも読んだことのある方にはふざけるなと言われてしまいそうですが、あえて作品に入り込みやすいように、こんな解説にしました。
次節以降も内容を先生の複雑な気持ちをデフォルメして内容を追っていこうと思いますので、そちらも宜しくお願いします。

 

 アイキャッチはもちろん夏目漱石の「こころ」。キンドル版で無料で読めますので興味のある方はぜひ!因みに今回まとめたのは「下 先生と遺書」の40節です。

こころ

こころ

 

 

2017年版!「モテる日本酒」の選び方〜獺祭から入った女性にもウケる日本酒をまとめてみた〜

僕は日本酒が好きで、暇さえあれば日本酒を売りにしているお店を飲み歩いているのですが、初めて入ったお店でどんなタイプの日本酒が好きかと尋ねられた時は、必ず獺祭のような飲みやすいお酒が好きと答えるようにしています。

こう言うと、時々「獺祭が好きだなんて素人だ」みたいな空気感を返されることがあるのですが、これが僕にとってそのお店に通うかどうかの1つの指標になっています。

確かに、色々な日本酒を飲んでいくと、「これぞ日本酒!」みたいなものや、「こんなのも日本酒なの!?」といった、非常に面白いものに多く出会います。

そういった個性の強い日本酒と比較すれば、確かに獺祭は大人しい印象で、それが好きだなんて言うのは本当の日本酒好きではないと思われるのかもしれません。

ただ一方で、獺祭のような飲みやすい日本酒を切り捨ててしまうのは非常にもったいないと思うのです。

それまで飲み放題でしか日本酒を飲んだことがない、宅飲みでの一気飲みの道具でしか日本酒を飲んだことがないと言う人にとって、間違いなく獺祭のような日本酒を飲んだ時の印象は日本酒のイメージを変えるものだと思いますし、実際にそういった数多くの飲みやすい日本酒があるのも事実です。

 

「獺祭を飲んで日本酒のイメージが変わったけれど、別の日に他の日本酒を飲んだらやっぱり飲みづらかった」みたいな話をよく聞きます(とくに女性から)。

確かに、日本酒といっても味は様々で、全然期待していたものと違うテイストのものが出てくることも少なくありません。

というか、そもそも「辛口」とか「日本酒度」みたいな評価が何を示しているのかも分からない...

結局、自分が好きだと思った味に近いものを飲もうとするのなら、親しい日本酒好きの人に直接聞いて、自分の好みに近いものを選んでもらうしかないような気がします。

 

僕は人に勧める基準として、「獺祭で日本酒が好きになった人に気に入ってもらえそうなお酒」というものを用意しています。

定期的にこのブログで紹介しているのですが、またストックが溜まってきたので、いくつか紹介しようと思います。

 

1.仙禽雪だるま しぼりたて活性にごり酒

 

この時期ということも考えると、僕がまずオススメしたいのがこちら!

僕が冬になると必ず注文するお気に入りの一本です。

ボトルデザインが非常に可愛らしいだけでなく、味もむちゃくちゃ美味しいです。

にごり酒なのでドロっとしていて、何よりコテコテの日本酒なんじゃないかと思われるかもしれませんが、全くそんなことはなく、口触りはむしろ獺祭のソレに近く、大変飲みやすい仕上がりです。

何より面白いのは微炭酸であるというところ。

スパークリングの日本酒といえば澪が有名ですが、澪のように後から炭酸を加えた訳ではなく、発酵の過程で微量の炭酸が含有したというものです。

味はもちろんのこと、見た目にも、また微炭酸の楽しみもあるので、むちゃくちゃオススメの一本です。

 

2.雁木

 

 

2本目の雁木は獺祭と同じ山口県の酒蔵さんのお酒で、一部では「獺祭よりもうまい酒」なんて言われています(飲み屋の大将談)

別に作る地方によって味が似るということもないのですが、山口県には、獺祭、雁木の他に、東洋美人という有名な日本酒を作る酒蔵さんもあり、そのどれもが非常に飲みやすい印象を受けます。

(獺祭が好きという人にはオススメです!)

雁木には(というかどの日本酒もそうですが)色々な種類があり、個人的には絞ったままの原酒に一度火を通した「ひとつ火」というのが好きなのですが、獺祭的な飲みやすさと考えるのならと、今回は純米大吟醸を紹介しました。

 

 

3.風の森

 

3本目はこちら、奈良県のお酒「風の森」です。

僕が人の家に呼ばれた時などに1番持っていくのがこのお酒。

フルーツの様な香りと微炭酸で、特に女性からの評判がいいお酒です。

先ほども書きましたが、スパークリングと言われて最初に頭に浮かぶ澪の様な甘ったるさはなく、スッキリとしたお酒が好きな人、白ワインが好きな人にも好評なお酒です。

僕は以前、この風の森に梨や柿、ザクロなどの日本っぽい果物を入れて日本酒サングリアを作ったのですが、むちゃくちゃ美味かった(笑)

普通に飲んでかなり美味しいお酒なので、お酒好きな人にこれを言うと怒られてしまうかもしれませんが、本当にオススメです。

 

というわけで、まだまだ紹介したい物はありますが、とりあえずは3本を取り上げてみました。

もしお店で見かけることがあったら、飲んでみて下さい!

獺祭が好きな人ならばハマること間違えなしです。

 

以前書いた方はこちらです!よかったらご覧下さい!

「モテる日本酒」の選び方〜獺祭から入った女性にもウケる日本酒をまとめてみた〜 - 新・薄口コラム