新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



2018年近畿大学一般入試A日程 英文法解答&解説

質問に来た生徒さんが持っていたのでざっと英文法の解答を作ってみました。

授業準備の合間に急いで作ったので、教科書的な内容として見たら解説に至らない点も多々あると思いますがその辺はご勘弁ください。

実際の試験の時に「どうやって考えて正解にたどり着くか?」ということを念頭にまとめてみました。

※あくまで次年度以降の問題分析のための備忘録で書いている上に、急いで書いたため、間違えがあるかもしれません。採点に用いる場合は自己責任でお願いします。

 

(13)動詞の語法[leave O C]
[leave]には[leave O C]の形で(OをCのままにする)という用法があるので、犬がどういう状態であったのかに注目する。
「犬=鳴いている状態」が妥当であるため、正解はウbarking
なお、本問とは関係ないが、[leave]には[leave O1 O2]という形で「O1にO2(ここには通常財産がくる)を残して死ぬ」という用法があるので、覚えておくと便利。

(14)進行形の用法に注目する
進行形には「~している」という用法の他に、The cherry tree is dying.(その桜の木は枯れかけている)のように「~しつつある」という用法や、近い未来を表す用法がある。
(ともに「~している真っ最中」という進行形の意味から派生)
[resemble](~に似ている)は中断・再開できる動詞ではないので進行形にできないが、後ろに[more and more](ますます)という言葉がある事に注目すれば、この文が「だんだん似てきている」という内容であることが分かる。
したがって「~しつつある」の意味を構成するイare resemblingが正解。

(15)接続詞の問題
まずは( )の後ろに注目する。( )の後ろに[he struggled to ~]というようにSV構造が来ているため、前置詞の[despite]、副詞の[instead]はNG。
前半部分が3文型で成立しているため、( )以下は副詞節であることが分かる。
[that]には接続詞と関係詞で用いられるが、今回の場合はいずれも適さない。
したがって譲歩の副詞節を作るイeven thoughが正解。

(16)倒置
前の文を受けて「~もまた」という表現には[neither V + S]と[so V + S]がある。
前の文が否定文の場合は[neither V + S]で「私もまた~ない」となり、肯定文である場合は「私もまた~だ」となる。
今回は「弟は工学の学士号を取得した」という文に「私もまた~」と続くので、ウso did Iが正解。

(17)独立分詞構文
[and]は前の[I need money.]と後ろの文を繋げるための接続詞。
したがって[That(   ) the case, I am going to get a loan.]という部分に注目して考える。
文の形を見るとコンマで2文が結ばれているのに接続詞が存在しないため、(   )を含む節が分詞構文であることが分かる。
今回は主節と主語が異なるために主語が省略されなかった独立分詞構文であると考えられる。
したがって正解は現在分詞の形になっているアとなる。

(18)倒置
(  )の後ろが[had I ~]という倒置形になっていることに注目する。
文中にある否定の副詞[little / hardly / no sooner]などが先頭に来たとき後ろは倒置形になる。
したがって正解はウ。

(19)複合関係詞
(  )を含む[that]節は冒頭の[it]を受ける真主語なので、[that]節の中の文構造に注目する。
[that]節の中の主節は後半の[there is~]の部分で前半は副詞節となっているため、正解は副詞節を作ることができる複合関係詞(イかエ)に絞られる。
また、直後に形容詞[humble](謙虚な)があることに注目し、[whatever +名詞](たとえどんな名詞でも)と[however +形容詞/副詞](たとえどんなに形容詞/副詞でも)という使い方があることを踏まえれば、イが正解ということが分かる。

(20)動名詞
直前の[worth]に注目する。
[worth]は「価値のある」という前置詞(形容詞という場合も…)で後ろには動名詞が来る。
したがってウshowingが正解。
[being shown]では文構造的にNG。また、(  )の直前にあるherは動名詞の意味上の主語である。
[feel like Ving](~したい気がする)なども合わせて覚えておきたい。

 

 

近畿大学・近畿大学短期大学部(一般入試前期〈医学部を除く〉) (2018年版大学入試シリーズ)

近畿大学・近畿大学短期大学部(一般入試前期〈医学部を除く〉) (2018年版大学入試シリーズ)

 

 

コインチェックの問題はどんな取り上げられ方をするのかの方がずっと興味がある(笑)

ニューヨークのウォール街で靴磨きの少年が投資の話を始めたのを見て、投資家が株を売り払ったという笑い話?があるのですが、僕はこの話を結構信頼性のある指標だと思っていて、去年の後半に持っていた仮想通貨(といっても本当に少額)を全部売り払っていました。

僕にとっての「靴磨きの少年」は出川さん(笑)

昨日はコインチェックの仮想通貨が流出したというニュースが流れていましたが、もうプレイヤーとして参加していたわけではない僕にとっては、どうしてハッキングされたのかとかコールドウォレットで保管しているというのが嘘だったのかみたいなテクニカル面でも、利用規約の曖昧な表現(btcはコールドウォレットで保管している)の是非でもなく、専らこの事件に対するマスメディアの追求の仕方と大衆の反応に興味があります(笑)

というわけで自分の備忘録もかねて、僕がコインチェックの問題を聞いた時にTwitterにつぶやいた内容をまとめておきます。

 

 

インチェックはコールドウォレットで仮想通貨を管理していなかった(規約には「btcを」と書いてあったけど)事が発覚して信用を失うのと、出川さんのCMのライト層を顧客にしていたのとで、仮に再開してもユーザーが全て引き出すだろうから、多分立て直しは無理だろうなぁ...

 

しかも、既存の金融会社や高齢者(=テレビ・新聞のスポンサーとユーザー)は仮想通貨が嫌いそうだから、追求の仕方はハッキングの原因のようなテクニカルな部分ではなく、仮想通貨けしからん!みたいになる気がする。

 

多分ニュースの中心はライブドアショックの時みたいに後乗りでリスク考えず貯金を全部ぶち込んで人生詰んだみたいな「投機家」の泣き顔や叫びになる。
そうすると日本のレイトマジョリティの大半が仮想通貨=胡散臭いとなり、悪者は仮想通貨みたいになるんだろうなぁ...

 

この問題への(マスコミの)ユーザーの反応は①昔からの保有者=仮想通貨なんてそんなもん(無関心)、②後追い層=騙された(批難)、③非参加層=言わんこっちゃない(批難)でマスメディアが擁護する理由がない。
どのくらい必要以上の(原因ではなく読んだ人を喜ばす)追求がなされるかが個人的に興味のある所。

 

もう1つ個人的に気になるのは、出川さんへの非難の声がどの位出るのかというところ。
彼はタレントとしてオファーを受けただけだから全く非はない。
ただ感情的な「被害者」と「良心的な」大衆は彼にも「責任」があると弾糾する気がする。
その際のロジックやSNSでの言説(笑)がむちゃくちゃ気になる。

 

というのがコインチェックの仮想通貨流出問題に対して僕が最初に思ったこと。
ここ最近のニュースや社会の「空気感」を考えると、コインチェックや仮想通貨そのものよりもそれに対する反応への興味の方が上回ってしまう...

 

 

というわけで、まだ全然話題になっていない段階での僕の予想。

仮想通貨そのものよりも、それに対する社会の反応が気になって仕方がない僕だったりします(笑)

 

アイキャッチはもちろん今回の主役の出川さん(笑)

 

イッテQ! エブリデイ出川語録 ([実用品])

イッテQ! エブリデイ出川語録 ([実用品])

 

 



 

高校入試作文で差が出るたった1つの「ある」視点

突然ですが、金髪フリーターのヤンキーが10年付き合っていた彼女にプロポーズする場面を思い浮かべてみてください(笑)

A「お前のことが好きだ。お前と結婚したら正社員の仕事を見つけるし煙草もやめる。これからはお前を大切にいていこうと思う。だからオレと結婚してくれ。」

B[お前のことが好きだ。お前に結婚してもらえるために正社員の仕事を見つけてきたし、煙草もやめた。これならお前を大切にできると思う。だから結婚してくれ。]

みなさんが告白をされる彼女だったとしたら、どちらのヤンキーと結婚したいですか?

 

 

入試小論文・作文の指導を毎年行っていると、「目的に沿った文章を書く訓練」の大切さを強く感じます。

特に高校入試では、与えられた課題に対する論理的思考力を問う問題と、半ば自己PRのような問題が存在します(これは僕が住んでいる京都だけかもしれませんが…)

本屋さんや入試のテクニックを解説したようなウェブページを見ていると、論理的思考力を問う文章の書き方は多く書かれているのですが、後者の「自己PR的」な作文の書き方はあまり見かけません(あったとしても「ザ・真面目学生」のテンプレートみたいなものばかり…)

どうやって「考えればいいのか」という説明が書かれているものが少ない結果、テンプレートに頼らざるを得ず、結果折角魅力的な要素を持っている高校生の皆さんなのに、全員同じアピールしかできないという状態になってしまっているように思います。

…ショッカーの集団面接みたいな(笑)

自己PR型の作文に関しては、ちょっとした工夫で相手に伝わる印象が変わる「コツ」のようなものがいくつもあります。

今回はその中でも比較的即効性があるものを紹介したいと思います。

 

自己PR型の作文で最も多いのが、「高校に入ってどういうことをしたいのか?」を問うパターンです。

このパターンの作文に関して、多くの生徒さんが書くのが「大学入試を見据えて~」とか「高校では〇〇があるので~」といった書き方です。

もちろんこうした書き方がダメというわけではないのですが(そもそも「正解」の書き方なんて存在しないので)、それを読む試験官の立場になったら、どうしても説得力に欠ける印象を持ってしまいます。

 

僕は冒頭で「フリーターヤンキーのプロポーズ」について二つのパターンを挙げ、みなさんならどちらと結婚したいかと書きました。

恐らく多くの人がヤンキーBのプロポーズを選んだのではないでしょうか?

ヤンキーAのプロポーズは全て「未来の約束」です。

「お前を幸せにするために結婚したら正社員の仕事を探す」「お前を幸せにするために結婚したら煙草もやめる」というのは全て「結婚後」の話で、今は何も行動していないのです。

一方でヤンキーBの場合は「正社員の仕事を見つけてきたから結婚してもお前を幸せにできる」「煙草をやめたから結婚してもお前を幸せにできる」というように「今の延長」で未来を語っています。

ヤンキーBの場合は、既に行動に移しているのです。

説得力があるのは当然ヤンキーAよりもヤンキーBであるのは明らかです。

f:id:kurumi10021002:20180124170005g:image

 

作文の場合でもこのヤンキーの話と全く同じことが言えます。

試験官が聞いて「なるほど」と思えるのは、「高校に入学したら~したい」という約束をする人ではなく、「今まで~してきたから高校でも続けたい」と書かれた作文です。

「大学進学を考えているから高校に入学したら毎日勉強したい」というのと「受験勉強で毎日勉強してきたから高校に入学しても毎日勉強したい」というのとでは、明らかに後者の方が言われた側としては安心できますよね。

自己PR型の作文で重要なことは、「未来手続き型」の作文ではなくて、「現在延長型」の作文なのです。

 

こう言うと、「現在の延長で高校に入ってやりたいことを書けって言われたって、人にアピールできることなんて今までしてこーへんかった!」と思う方も多いかもしれません。

しかし、本当にそうでしょうか?

部活動に所属していた人は何らかの大会に出場したり、コンテストに向けて頑張ったことはあるでしょうし、そうでない人も少なからず「受験」に向けて勉強をしてきたはずです。

「何かをきっかけに続けてきたこと」であれば、何でも構いません。

それさえあれば、「だから高校でも続けたい」と言えるわけなので。

大切なことは「確かにこの子は高校に入ったらそれをやりそうだな」と納得してもらえること。

それが書けているだけで、グッと説得力が高まります。

たいていの受験生が、説得力の乏しい「未来手続き型」の作文です。

そんな中でしっかりと「現在延長型」で書けるだけで、読む側にとっては印象に残ります。

(その上で「未来像」に触れられたらベストです。)

自己PRタイプの作文が上手く書けなくて迷っているという人がいましたら、是非この点を意識してみてください!

 

アイキャッチは僕が自己PR型の作文を指導する際に参考にした大量の就活の本の中で最もいいなと思っているこの本

 

内定力

内定力

 

 

 

センター地理の「ムーミン」問題が話題なので、明日に引きずらないようにざっくり解説をしてみた

評論家の岡田斗司夫さんは、表面的な部分に惑わされずあくまで構造を比べたら同じだよねということを説明するためによく「カレーと肉じゃが」を例に用います。
岡田さん曰く、「女性が『得意料理はカレーと肉じゃがです』っていうと料理が得意なように聞こえるけど、あれ、実は材料も調理法も殆ど同じで、味付けだけがちょっとちがうんだよね。」だそう。
確かに(細かな工程にケチをつければ別ですが)味付けがみりんとしょう油なのかスパイスなのかという違いを除けば、殆ど工程は同じです。

入試問題の中ではしばしば、表面的な情報に惑わされず、その問題の本質を捉えることを要求する問題がでてきます。
僕はこうした問題を岡田先生の言葉を借りて「カレーと肉じゃが問題」と呼んでいるのですが、今話題になっているセンター地理で出題されたムーミンと言語の対応を聞く問題は「カレーと肉じゃが問題」の典型例だと思うのです。

もちろんこの問題はムーミンが好きだったり、作者のトーべ・ヤンソンの出身地を知っていたりすれば有利になってしまいます。
したがって50万人以上が受けるセンター試験(今年は528,323人)で特定の分野に詳しい(今回ならば文学)人に有利な問題を出すのはいかがなものかという切り口からこの問題が批難されれば理解できる部分もあるのですが、一方で単に「全員が知っているわけでもないムーミンの出身地を答えの根拠にするなんてけしからん」という意見に関しては、(少なくとも僕には)問題の意図が捉えられていなかったというように見えてしまいます。

以下は専門外の人間が高校時代の知識で類推しただけなので本気にしないで欲しいのですが、僕はこのムーミンの問題に関しては、「与えられた情報から根拠を拾い、地理の知識と結びつける問題」であったと考えています。
問題文の『ニルスのふしぎな旅』『ムーミン』『小さなバイキングビッケ』に引っ張られるとどうしても「キャラクター」に気をとられてしまいそうですが、しっかりとその背後にも問題の問わんとする「意図」が描かれています。
今回の問題は言語の知識でも、ましてキャラクターに対する理解でもなく、「絵」の周辺情報から正解にたどり着くという物だったように思うのです。

今回の問題に関して、重要なことは『ムーミン』『小さなバイキングビッケ』ではなく、フィンランドノルウェーという地名です。
この2つの国名を聞いて、立地を頭に浮かべ、気候区分を頭の中で思い浮かべた上で設問の絵を見れば、問題の意図をはっきりと汲むことができます。
フィンランドノルウェーもともにスカンディナヴィア半島付近に存在する国(スカンディナヴィア諸国という括りではフィンランドは含まれなかったはず...)で、ノルウェーは大西洋に面しているのに対し、フィンランドバルト海に面したやや奥にある国です。
どちらも高緯度に位置する国ですが、大西洋側は偏西風と暖流の影響により西岸海洋性気候で「高緯度の割に温暖な気候」であるということを考えれば、ノルウェーが「比較的暖かい」知識ということにたどり着けます。
それを踏まえて『ムーミン』の背後にはクリスマスツリーのような木(モミの木?)が、『小さなバイキングビッケ』の背後には海賊船がそれぞれ描かれていることを考えれば、どちらがノルウェーでどちらがフィンランドかという「根拠」にたどりつけるわけです。
そして言語の方の選択肢にはトナカイが書いてあるので、そちらがフィンランドであるという「推測」が成り立ちます。
ムーミンの問題で問いたかったのはこうした「思考」ではないかというのが僕の考えです。

確かに日頃からこういった「カレーと肉じゃが問題」は「〇〇のときは××になる」みたいな情報処理型勉強しかしてこないと手が止まってしまうかもしれません。
しかし、これがセンター試験である以上、何の意図もない問題が出題されるはずもなく、キチンと意図を読み取れば習った「地理」の知識の範囲内で解けるはず。
その前提の下にしっかりと対策をしていれば、難問でも新傾向の問題でもなく、普通に正面から解けた問題だと思うのです。
もちろんこの問題でうろたえてしまったという人もいるでしょうし、「この問題のせいで…」という感情を持った人もいるかもしれません(先ほども触れた通り、特定の学部や科目の知識に長けた子に有利な可能性のある出題はいかがなものかとう切り口であれば、その主張が分からないこともありません)。
しかし、終わった問題にいちいち文句を言ったところで点数は上がりません。
この問題で点数を落としてしまったのなら、一点でも明日の試験で取り戻す方に意識を向けるべきです。
基本的に僕はセンター試験の振り返りは、2日目が終わるまで行わないのですが、この問題に関してはう路絶えている人が少なからずいたので、ざっとまとめてみました。
この問題自体がどうというのではなく、「問題の意図を汲む」題材としては明日の試験にも役立つ可能性があると考えたからです。
まだセンター試験は終わっていません。
本日の試験が上手くいった人は明日もそれが続くように、残念ながら思うようにならなかったという人は明日の試験で少しでも挽回できることをかげながら祈っています。

偉そうに書いていて全く的外れだったらごめんなさい(笑)

 

アイキャッチはもちろん「ムーミン

学研ステイフル ムーミン 2018年 カレンダー 壁掛け BLUE BM12043

学研ステイフル ムーミン 2018年 カレンダー 壁掛け BLUE BM12043

 

 

「やりたいことがない」を科学する~「欲求」「欲情」「欲動」「欲望」というやりたいことの4分類~

進路の話や将来の目標など、教育業界にいると「やりたいこと」という言葉に頻繁に出会います。
と同時によく聞くのが「やりたいことなんてあらへん!」という言葉。
僕自身どちらかといえばやりたいことがいろいろあるタイプの人間なので、「やりたいことがない」はいまいちピンと来ないのですが、だからといって「やりたいことがないなんてあるハズない!」とばっさり切り捨てるのは、少し乱暴なように思います。
全体体に「やりたい事がない」という人に対して理解しようとする姿勢が、「やりたいことに溢れている側」には少ないように思うのです。
ということで「やりたいことがない」問題について、いろいろ分解してみました。

そもそもやりたいことがないという状態がどうして生まれるかという原因を考えると、一番は「やりたいこと」という言葉の曖昧さにあるように思います。
やりたいことをすればいいと言っている人の使う「やりたいこと」の定義と、やりたいことなんてないという人の「やりたいこと」の定義とで、認識のズレが生じているように思うのです。
僕は「やりたいこと」という言葉の使われ方に関して、縦軸に他者の承認の有無、横軸に努力や時間の必要性を置いた、次のマトリクスで表すことができると思っています。

f:id:kurumi10021002:20180112154711g:plain


そして第1象限にある他者の承認が必要で且つ達成までに努力や時間が必要なやりたいことを「欲望」、第2象限にあたる努力や時間は必要ないけれど他者の承認が必要なやりたいことを「欲求」、他者の承認も努力や時間も必要でない第3象限のやりたいことを「欲動」、そして自分だけで完結するけれど努力や時間が必要な第4象限に該当するやりたいことを「欲情」と呼ぶことにします。
(「欲動」は僕の造語、「欲情」「欲望」「欲求」は本来の意味と異なる使い方をしていますが、その点はご了承下さい。)
この中で一番簡単に実現できる「やりたいこと」は欲動です。
時間や努力も他者の承認も不要であるため、すぐに行動に移すことができる。
反対に一番難しいのが第1象限の欲望です。
今すぐ「やりたい」と思っても努力も時間も必要なうえに、他者の承認も必要であるため、考えた直後に叶うというものではありません。

やりたいことを聞くとき、聞く側がどの象限までを要求しているかと聞かれた側がどの象限を想定しているかのズレがあると、「やりたいことがない」という現象が生まれます。
例えば、堀江貴文さんはよく講演会や番組で「やりたいことがない人なんていない」といっていますが、内容を聞いていると「欲動」を聞いているというのが分かります。
反対に堀江さんに「やりたいことがない」という人は大体第1か第4象限を考えている。
このギャップによってやりたいことがある人とない人の認識のズレが生まれると思うのです。

やりたいことがないという人は、自分の「やりたいこと」を「欲望」「欲情」「欲求」「欲動」のそれぞれのベースで考えるのが有効です。
たとえば、音楽が好きな人で「自分が書いた曲がみんなに知られたい」は欲望で、そんな夢だと壮大すぎて「やりたいこと」として認知もしていないかもしれません。
しかし、その「欲望」を「欲情」ベース、「欲求」ベース、「欲動」ベースで考えてみたら、「やりたいこと」としてあがってくるかもしれません。
「自分が書いた曲がみんなに知られたい」という「欲望」を「欲動」の範囲で考えれば「曲を書きたい」だし、「欲情」の範囲ならば「いい曲を書きたい」だし、「欲求」の範囲なら「曲を誰かに聞いてほしい」になります。
「曲を書きたい」なら極端な話口笛一つですぐにできますし、単に「誰かに聞いて欲しい」ならYoutubetwitterにあげたり、誰か友達に送って感想を聞けばいいだけの話です。
この辺だったら何も難しくない。
例えば「女の人と仲良くしたい」なら、「欲動」なら「誰かとセックスしたい」、「欲情」なら「モテたい」、欲求なら「デートしたい」、欲望なら「好きなこと付き合いたい」みたいになります。
或いは「筋トレ」なら、「筋トレしたい」なら「欲動」、「筋肉をつけたい」なら「欲情」、「筋トレの方法に感心してもらいたい」なら欲求、「筋トレで身につけた肉体を褒めてもらいたい」なら「欲望」になります。

「欲望」になるとなかなか見つかりづらいかもしれませんが、「欲動」や「欲求」ラインなら案外誰でも持っていると思います。
或いは、「やりたいこと」を答えると同時にそれを履行する義務を負うような感じがして、つい口をつぐんでしまう人も、「欲情」「欲動」のラインならいけるかもしれません。
「やりたいこと」を聞く側は「欲望」だけではなく、「欲情」「欲求」「欲動」でもいいよということをそれとなく伝えることが必要だろうし、反対にやりたいことを聞かれた場合、「欲望」ではなく「欲動」や「欲情」だけれどみたいな断りを入れて話し出すみたいなことが有効なように思います。

 

アイキャッチは「モチベーション」についてのこの本

 

デジタル化時代の価値は0と1の間に落ちている

中学校の技術の時間に糸鋸を使う授業があって、先生が言うのとは全く違う手順で機械をいじってひどく怒られたことがありました。

僕は母の家系が大工で父の家系が配管工で、小さい頃から工具に触れて育っていました。

だから糸鋸は小学校入学前からの遊び道具。

で、当然のように父や祖父がやっているのと同じように機械をいじったら、なんでもそれは「アブナイ」やり方だったみたいで、それは違うと怒られたわけです。

そんな、小さい頃から「習った」手順と、技術の授業で習う『正しい』手順が違ってたまに悩むことがありました。

テストで工具の名前を聞かれて、大工のおっちゃんが普段「それ取ってくれ!」みたいなノリで使う俗称を書いてバツになったり...笑

 

先日久しぶりに地元に帰省して、母方の祖母とご飯を食べに行きました。

祖母は典型的な地元の人で、会うと地元出来事や半径1キロで起きた話題を無限リピートするみたいな人なので、車でご飯を食べに行ったりすると、その道中はそんな話ばかりになります。

僕は友達であっても過去の思い出を回顧して盛り上がったり、会社の愚痴が会話の中心になったりする集まりは途中で抜けるくらいに目的のない話が苦手なので、正直祖母のそういった話はむちゃくちゃ苦手です。

 

ただ、そんな祖母と食事に行くと、僕が話に釘付けになる話題があります。

1つは祖父の建てた家を見かけた時で、もう1つは建設中の家を見た時。

 

祖母と一緒に車で移動していると、地元トークの合間に不意に外を指差して「あれお父さんが建てたんだけどね」と話し始めることがあります。

「お父さん」っていうのはずっと昔に亡くなった祖父のこと。

役所から検査に来た人と揉めた話とか、施主ともめた話とか、家を長持ちさせるために祖父がどういう工夫をしていたかとかを事細かに教えてくれるのです。

この話がいちいち示唆に富んでいてむちゃくちゃ面白い。

祖母としてはそれまでの身のない話の延長で話しているつもりなのでしょうが、そこには職人の(妻として見てきた)視座が詰まっていて、僕としてはためになる情報ばかりなのです。

そんなものどう探したって教科書には載っていません。

祖母のこの話を聞く度に職人の技術が口承だったり盗んで覚えろみたいに言われたりするのは、別に技を隠したいとかではなく、そもそも伝える側が意識もしていない(教えようとしてもいない)レベルの所作にあるからなのだろうと思います。

 

もう1つ面白いのが建てている途中の家を見た時の祖母の話です。

祖母はよく、建設中の家を見かけるとその建て方のいい部分と悪い部分を全て指摘します。

それが現代の建築論的に正しいのか間違えているのかはともかく、素人目に聞いていて納得できるところが多々あるわけです。

いきなり「基礎を全て打ったら土が死ぬ」とか意味のわからない事を言いだすのですが、それを何度も聞き返して掘り下げていくと確かに納得してしまいます。

 で、最近の大手の建て方を一通り悪く言ったと思ったら、「〇〇建宅」はいい仕事をしていると持ち上げてみたり。

(この建築会社の名前は意外でした)

 

僕ら若者は(というか特に僕は)年上の世代の事を根性論だとかムダが多いとか技術に追いついていないとかどこか小馬鹿にしているところがあるように思います。

ただそれは、あくまで今の技術に対する検知のお話で、それまでに積み上げた経験自体に意味がないなんてことは決してないんですよね。

僕はデジタルの基本はムダの排除だと思っている(この辺は0と1の話からすると長いので割愛します)のですが、その先の差別化にはデジタルで排除されたノイズにこそ価値が生まれるように思っています。

僕は良く、温故知新にもじって、過去を踏まえず最先端を礼賛する人の事を「盲故知新」と表現している(反対に昔の論理を引っ張ってきて今はダメだというのは「温故憂新」)のですが、盲故(故きに目を閉ざす)は自ら長期的な強みを手放しているように思うわけです。

僕はデジタルが大好きで先端技術に興味があるのですが、だからこそ同時に、0と1に分解する際に切り捨てられた情報の中に眠る「貴重」な価値にはアンテナを張り巡らせておきたいなとおもったりするわけです。

 

最近特に、両親の家系に「職人」を持つ僕にとっての「温故知新」はこの辺にあるのかなあと考えています。

 

アイキャッチは温故知新を地で行った立川談志さんの現代落語論。

これが20代の仕事とかヤバすぎる。

現代落語論 (三一新書 507)

現代落語論 (三一新書 507)

 

 

 

一日店長のお店の出店アイデアと企画会議が盛り上がる理想のパーティの作り方

僕は何かしらお題を与えられて、それに対して考える事がとても好きで、飲み会のときは大体相手からもらった「お題」に対して考えるみたいな事をしています。

ありがたいことに昨年の25日から8日まで、ほぼ毎日誰かしらと飲んでいて(肝臓がヤバイ)、そこでむちゃくちゃ色々な「お題」をもらいました。

その中で特に面白いなと思ったのが、日替わり店長のお店に出店する際のアイデア作りです。

 

僕の知り合いの何人かが、しばしば日替わり店長をできるお店に出店をしているのですが、そこで何をするかということに対するアイデアの出し方を聞いて、非常に面白いなと思いました。

「日替わり店長」という話を聞いた時に僕が最初に考えたのは「一日だけしか出店しない」が武器になるアイデアとは何か?です。

「日替わり」であるのなら、それほどリピーターは期待できず(店のファンは除く)そもそも素人の出店と考えたらクオリティも期待できません。

だったらそれらの要素を逆に利用すれば差別化になるのではないかと思ったのです。

例えば素人が料理の味で勝負しようとすればその先には本業でしのぎを削るプロたちが競争相手に待っています。

一方、リピーターやお店の収支を考えたら、原価率などを考えなければいけません。

こういった部分は「普通のお店」であれば絶対に意識しないといけないところです。

逆に言えば、ここを取っ払ってしまった勝負の仕方を考えれば、面白いコンセプトのお店を出店することができるのではないかと思ったのです。

 

そんな仮説を立てながら僕がふと思いついたのは、世界中にある餃子のような料理を集めたお店と、日本中のご当地練り物を集めたおでん屋さんです。

1つ目の世界中にある餃子のような料理を集めたお店というのは、ロシアのペリメニ、ネパールのモモ、トルコのマンティといったように、調理工程が餃子と類似した料理を世界中から集めてきて、それだけを提供するお店です。

f:id:kurumi10021002:20180110083258j:image

(ロシア料理「ペリメニ」)

f:id:kurumi10021002:20180110083310p:image

(ネパール料理「モモ」)

f:id:kurumi10021002:20180110083312j:image

(トルコ料理「マンティ」)

 

スペイン料理のお店やロシア料理のお店ならありますが、世界の料理を「餃子」で因数分解したお店は見当たりません。

というか、メニューが「餃子」だけでは何度も来たいとは思えず、リピーターを付けようとするのは困難です。

だから、「一日だけの出店だから成立する」に該当します。

また、「美味しい餃子」で勝負した場合は食べる側が味を知っているので料理の腕を比較されてしまいますが、ペリメニやモモにならそもそも殆どの人が食べたことがありません。

だから、「こんな感じの料理なんだ」とう発見さえお客さんに提供できれば、それが満足度になる(あくまで商品として提供しているのは世界中の面白い料理を知るという経験価値です。)。

ということで、素人の料理であるという点もクリアできます。

 

もう1つの日本中のご当地練り物を集めたおでん屋さんというのも同じような発想法です。

例えば静岡の黒はんぺん、宇和島のじゃこ天、津軽の大角天みたいなものが食べられるみたいなイメージ。

f:id:kurumi10021002:20180110084704j:image

(静岡「黒はんぺん」)

f:id:kurumi10021002:20180110084729p:image

(宇和島「じゃこ天」)

f:id:kurumi10021002:20180110084926j:image

(青森「大角天」)

ご当地おでんをやっているお店はあっても、ご当地おでんだけを集めた天下一武道会みたいなおでんをやっているお店はなかなかありません。

というか普通に毎日人を呼び込まなければいけないお店では、コストがかさむわりに出オチ感が強く(=リピーターが見込めず)できないはず。

やっぱり「一日だけ」だから成立するコンセプトです。

また、最悪スープの素を買ってくれば最低限のクオリティが確保できるため素人の料理という部分もクリアできます。

 

というわけで年末年始はこんなことを考えながら飲んでいたわけですが、別に僕が書きたかったのはこのアイデア自体ではありません。

そうではなくて、アイデアが生まれやすい土壌っていうのがあるよねというお話。

色々な人が出すアイデアを聞いていて、僕はある人が生み出すアイデアの出し方は大きく①自分がやって見たい②需要がある③使える要素から考える④必要性から作り出すの4つに分類できるように思いました。

①のアイデアの出し方はあくまで自分の欲求ベースで、自分はこんなことをしたい!だからやる!というタイプのアイデア出しです。

ジョブズなんかがこのタイプ。

②は何かのアイデアを作るとき、まずは市場調査をするタイプです。

コンサルタントをしている人たちに多い気がします。

③は先ず自分たちが持っている要素を見て、その武器の活かし方を考えようとするアイデアの出し方。

多分Dr.ストーンやアイシールド21を書いている漫画家の稲垣理一郎さんはこのタイプ。

そして最後④はこれが必要なんだからしなければならないという、必要性から考えるタイプです。

①と似ていますが原動力が外に向いている点が異なります。

 

①〜④のいずれが優れていて、いずれかが劣っているというわけではありません。

そうではなく、同じタイプの人が集まっても突飛なアイデアは生まれないし、議論の場で面白いアイデアを出したいのならば4つのカテゴリーを得意分野にする人が集まった方がいいよねというお話。

同じカテゴリーの考え方の人でも当然生み出す発想は違いますが、根本的な思考のベクトルが近いので、それを混ぜても突飛な色は生まれません。

同じベクトルの人同士の集まりは変な色は生まれづらいですが、人を感動されるものも生まれません。

マゼンダブルーとネイビーを混ぜるみたいな感じ(笑)

 たしかにどう転んでも汚くはならないだろうけれど、生まれる色は予想できてしまいます。

しかし、そこでショッキングピンクを持った人が入ってきたらどんな色になるかは分かりません。

もしかしたらドブ川みたいなものになるかもしれませんし、思いもよらなかった艶やかな紫が生まれるかもしれません。

イデア出しって、こういう幅があることが重要だと思うのです。

だから、企画やアイデアを練る時には、上の4系統を集めることがいいんじゃないかと思います。

 

アイキャッチ稲垣理一郎先生のDr.ストーン