新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



相棒論〜個人の得意な戦い方と、組織の戦力を最大化する組み合わせ〜

年末あたりからビジネスや企画をする人と話をする機会が多くあり、「戦い方」について頻繁に考えています。

何かに成功する人は自分の得意な戦い方を持っているように思うのです。

またそれを組織レベルで考えたとき、違った戦い方を持っている人同士が手を組んだときにその力が何倍にも膨れ上がっているように感じることがあります。

この辺が最近少しずつ体系化することができてきたので、一度まとめてみたいと思います。

性格別、得意な戦い方4分類

僕は戦い方について分野を問わず次の4パターンがあると考えています。

 ①とにかく手数とスピードで勝負をするタイプ

②仲間やオーディエンスを巻き込んで空気感を作って勝負をするタイプ

③自分の持っている技の完成度を極めることによって勝負をするタイプ

④差別化とレバレッジによって勝負をするタイプ

 ①に該当する人はとにかくアイディアをすぐに行動に移します。

そして、ライバルに負けないように次々と手数を打って相手に競り勝っていくのが得意なタイプです。

闘争心の高い人に多い戦い方であると言えるでしょう。

②の周り巻き込んで戦うタイプは、カリスマや仕切るのが得意な人に多く見られる傾向です。

自分1人の実力で戦おうとするのではなく、周囲を巻き込んで、そこに空気感を作ることによって勝ちを勝ち取ります。

③の自分の技術力で勝負をしようとする人は職人やアーティスト気質の人によく見られる戦い方です。

自分の持っているスキルや知識を誰にも真似できないレベルまで高めることによって人に勝とうとするタイプここに該当します。

最後の④ですが、ここに該当する人はルールや仕組みを深く分析することによって自分が勝ちやすいフィールドを作ることに長けた人たちです。

研究者のようなタイプがここに該当する場合が多いといえます。

 

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これらはいずれの戦い方が有利で、特定の高い方が不利であると言うことではありません。

単純に人によって好みの戦い方があって、それに沿った戦い方をすればその人の本来の力が発揮できるし、苦手な戦術をとっている場合は十分に本人の能力が気できないと言うお話です。

何かを立ち上げたり成功したりする人は意識してか無意識のうちにかはわかりませんが、多くの場合自分の得意な戦い方を知っていて、そのフィールドで勝負しているように感じます。

この得意な戦い方については、ベクトルのようなもので、下の図に示したような方向性とその矢印の大きさによって決定付けられると言うのが僕の持論です。

組織の力はベクトル同士の面積で決まる

個人の場合で見たときはその向きと大きさ(ベクトルの概念)で決まる戦い方とその強さですが、これが組織単位になると、急激に大きな力になることがあります。

僕はこの現象をベクトルの面積で捉えることで説明ができると考えています。

例えば次の図のような2人がいたとしてその2人が手を組んだときの能力の大きさは、ちょうど2つの矢印が生み出す三角形の面積になると考えます。

f:id:kurumi10021002:20180202171221g:plain

 

この面積は2つの矢印の長さに間の角度のsinを掛けて1/2することによって表すことができます。(三角比を用いた面積の求め方)

例えばAさんが やや③よりの④に該当する人であって、Bさんが③よりの①であった場合、 2つの矢印のなす角は90度に近くなります。

この場合面積が極めて大きくなる。

一方でAさんは先ほどと変わらず③よりの④で、Bさんが③よりの①だった場合はどうでしょう。

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仮に2つの矢印のなす角が150度であったとしたら、AとBの能力の大きさ(矢印の長さ)が先程の場合と同じでも、面積は半分になってしまいます。

また2つの矢印が近い方向向いていても面積が大きくなりません。

AとBの戦い方が似通っていて、なす角が30度であったとしたら、やっぱり2人の能力が全く同じ大きさであったとしても最初と比べれば面積が半分になってしまうわけです。

 

 

僕の周りの組織や会社や団体を見ていると、うまく回っているのは、① 2人の戦略が適度に離れていて(上の子と言う所の90度) 、 かつ②組織を構成するトップと、参謀(2番手)のベクトルの大きさが概ね釣り合っている場合です。

ベクトルの大きさに関しては直感的にわかりやすいところですが、案外良い方向に関しては考えていない場合が多いと思うのです。

もしかしたら、ここの能力の大きさはそれほど高くなくても、なす角の大きさが大きいために各上の人が人が書いている場合があるかもしれません。

反対にせっかく2人の能力が高いのになす角の大きさが小さすぎたり、あるいは大きすぎたりする声で2人が作る面積が小さくなってしまい本来の力が発揮できていない場合もあるでしょう。

(僕は結構このパターンをみている)

また今回はトップと参謀どういう組織を引っ張る人材が2人でやる場合を考えましたが、ここに3人目、4人目が入ってくると、ロジックはまた変わってしまいます。

(3人以上の場合は頂点を結んだその総面積が組織の戦略となるというのが僕の仮説です。)

これが僕の最近考えている相棒論(上手くいく組織の観察)です。

まだまだ荒削りで、とても理論だなんて言えませんが、方向性としてはこういう特徴があるように思うのです。

今後も色々な人を見てこの仮説を検証していきたいと思います。

2016年関西外国語大学英語外国語学部英米語一般前期「雨月物語」(上田秋成)現代語訳

古文の現代語訳です。

赤本に載っていないので訳してみました。
急いで訳しているので細かな違い(時に大きな読み間違えがあるかもしれません..)はご了承下さい。
また、あくまで話の筋を追うことを第一に訳しています。
そのため、文法事項や敬語はあえて無視しているところがあります。
随時アップしていく予定ですので、よかったらご参照下さい。

 

お堂の裏手の、ごく近いところから「仏法(ぶっぱん)仏法(ぶっぱん)」となく声が聞こえるので、貴人は盃を持って「例のブッポウソウと呼ばれる鳥は鳴くことはなかったのに、(今夜は鳴き声を聞くことができて)今夜の酒宴が引き立つことだ。紹巴だったらこの様子を何と詠むか」と言った。法師(紹巴)は「私のような古臭い風体の短句などではあなたの耳を汚してしまうでしょう。今夜は旅人が泊まっておりまして、彼ならば現代風の俳諧風を詠むことができるでしょう。あなたが聞いたことのないものかと思いますので、旅人をここにお呼びして歌を詠ませます」と言った。貴人が「その者をここに呼べ」と言ったので、若い侍が夢然(旅人)の下へ向かい、「貴人がお前を呼んでいる。近くへ来い。」と言った。夢然はそれが夢とも現実とも分からないような心地で聞いて、おびえながら貴人の前へはい出した。

 

法師は夢然に向かって「前に私に詠んだ歌を是非この貴人にも詠み申し上げなさい」と言った。夢然はそれに対して恐る恐る「私は何かあなたに申し上げたでしょうか。全く覚えておりません。どうか、どうかお許し下さい。」と答えた。法師が繰り返し夢然に対して「『秘密の山』と詠んでくれたではないですか。貴人がその歌を聞きたいとおっしゃっておるのです。早く申し上げなさい。」というと、夢然はいよいよ恐れ多く感じて、「ところでその『殿下(貴人)』と呼ばれているのはどういった方なのでしょうか。なぜこのような山の深い所で夜宴などを開いているのでしょうか。まったくもって不思議なことばかりに思います。」と尋ねた。

 

法師は夢然の問いに「私が殿下と申し上げているのは、関白の秀次公のことでございます。周りにいます人は木村常陸介、雀部淡路、白江備後、熊谷大膳、粟野杢、日比野下野、山口少雲、丸毛不心、隆西入道、山本主殿、山田三十郎、不破万策という者たちです。そして私は紹巴の法橋と言います。あなたたちは不思議な場面に立ち合ったのです。先ほど私に詠んだ歌を申し上げなさい。」と言った。もしも髪の毛が生えていたら震えて逆立つかと思うほどに恐れがはげしく、肝魂が今にも消えそうな心地で震えながらずた袋からきれいな髪を取り出して、震えた手つきでそれに和歌を書き付けて差し出すと、主殿が取り上げて声高く吟じた。

鳥の音も秘密の山の茂みかな

貴人がそれを聞いて「器用なものだ。誰かこれに続く句をつけられないか。」と言ったところ、山田三十郎が進み出て、「私がお詠みしましょう。」と言って、すこしの間頭をもたげて考えると、こう詠んだ。

芥子たき明すみじか夜の床

「いかがだろうか」と紹巴に見せると、「よい歌だと思います」と言って差し出された歌を見て、貴人は「なるほど悪くないな」と面白がって、また酒を飲んだ。

 

 淡路と呼ばれるものが急に顔色を変えてやって来た。淡路が「もう修羅の時刻になったのか。阿修羅たちが迎えに来る音が聞こえます。いそいでここを出る準備をして下さい。」と言うと、一座の人々はたちまちに血の気だって、「いざ、石田、増田の郎党に今夜も一泡吹かせてやろう。」と勇み立って立ち騒いだ。秀次は木村の方を向いて「くだらない者たちに私の姿を見せてしまったものだ。彼らも修羅に連れて行け。」とおっしゃられた。老臣の人々は間に入って声を揃え、「この親子はまだ死人ではありません。いつものような悪ふざけを考えてはいけません。」と諌めた。やがて人の姿も声も遠くなっていき、雲居に消えていくようであった。

 

 親子はしばらくの間気絶していて、死んだようになっていたが、空が明け方に近づく頃に冷たく降る露によって目が覚めた。体験したことを思い返すと未だに恐ろしさを忘れられず、弘法大師の名前をせわしく何度も唱え、やや日が昇ったのを見て急いで山を下り、都に帰って薬や灸で身を供養した。

ある日、夢然が三条の橋を渡った辺りで、悪逆塚のことを思い出して、あの寺を見ながら「昼間ながら恐ろしい気持ちがした」と京都の人に語っていたことを、そのままに書き記した。

 

アイキャッチは「雨月物語

新版 雨月物語 全訳注 (講談社学術文庫)
 

 

ハンターハンターの章に分けて時代を追いかけてみる

週刊少年ジャンプで、ハンターハンターが再開されました。

連載が再開するために内容を思い出すため、昔のストーリーを読み返すのですが、やっぱり非常に面白いなと思います。

特に時代の風潮を映し出すのがずば抜けているように思うのです。

ハンターハンターという漫画は、時代の空気感のようなものを常に先取りしているように感じます。

僕は5年ごとに時代の空気やトレンドのようなものが移り変わっていくと思っているのですが、ちょうどハンターハンター大きな物語の区切りごとにそれらがうまく表れているように思うのです。

 

加熱する競争社会のゼロ年代前半とハンター試験〜ヨークシン編

 

 1,999に連載が始まったハンターハンターは、主人公のゴンがハンター試験を取りに行くと言うストーリーから始まります。

これはマンガ家の山田玲司先生が指摘していたことなのですが、「資格を取りに行く」と言う設定が非常に興味深いです。

ここから13巻14巻あたりに出てくるグリードアイランド編まで、形は変えつつも「競争」がテーマに物語が構成されています。

極めてなるのが難しいハンターを目指して試験を乗り越えるハンター試験編は言わずもがな、その後主人公たちが修行のために行く天空闘技場編も、マフィアたちとのやりとりが描かれるヨークシンでのオークション編も形は違えど競争が描かれています。

天空闘技場は勝って上の解を目指すという意味で競争が描かれ、オークションはより高い金額で商品を競り落としと言う形で競争が描かれます。

グリードアイランド編は単行本で2001年から2002年位の間に始まるのですが、それまでの4年間のストーリーでは競争がテーマに書かれていたのです。

 

一方で2,000年代前半の漫画を見てみると「他人を倒して上に行く」という試験や競争がテーマになっているものが非常に多いということに気づきます。

ポケモンデジモンガッシュベルにメル、或いはバトルロワイアルライアーゲームカイジ辺りは全て競争がテーマです。

 2003年に連載が開始したドラゴン桜も受験競争をテーマにしたマンガでしたし、ナルトではちょうど2000年から仲人試験編が開始します。

 

とにかく 2000年から2005年にかけてこういった競争をテーマにした作品が多かったように思うのです。

ハンターハンターのハンター試験編から天空闘技場辺、そしてヨークシン編にかけては一足先にこうした競争が注目される社会の空気を描いていくと思うのです。

 

 

コンテンツに居場所を求めるゼロ年代後半とグリードアイランド編

 

ハンターハンターでは13巻あたりからグリードアイランド編と言われる新章に突入します。

グリードアイランドとは主人公の父親が作ったゲームで、主人公たちはそのゲームの中に自らが入り込んで(実態を伴っていると言うのがまた面白いところです) そのゲームの攻略を目指します。

これがちょうど2003年から 2年位の間続くのですが、ここで描かれる現実世界と平行世界というモチーフは、そのままゼロ年代後半のトレンドを先取りしていたように思うのです。

 ゼロ年代後半に流行った漫画やアニメを並べてみると、とにかく競争や自己責任を求められる現実を完全に乖離させたようなモチーフの作品が多いように思います。

ちょうど主人公たちが現実世界からゲームの世界に入って行くかのように、僕たちはコンテンツの世界に没入していきます。

競争や先の見えない実社会からつかの間解放されるための逃避行としてのコンテンツというのがゼロ年代後半の特徴ではないかと思うのです。

いわゆる日常系とされるアニメは全てここに該当します。

マンガでも「理想の世界」が描かれることが増えてきます。

極端な例でいえばスポ根マンガの描かれ方の変化がそう。

またスポ根マンガから「汚い汗」が消えたのもちょうどこの辺りからだと思っています。

ちょうどテニスの王子様(テニスの王子様自体はゼロ年代前半から後半にかけての作品ですが、その後の新テニスの王子様、そしてミュージカルが流行ったのがゼロ年代後半ということで僕は後半にカテゴライズしています。)や黒子のバスケになってくると、汚い汗(泥臭い汗)が描かれないのです。

(この辺は読んでいる人にしか伝わらないかもしれません...)

少年マンガにも関わらず、こうしたスポ根マンガが女の人から支持されるのはこの辺が理由であるように思います。

また、こうした例を挙げる以前にインターネットの普及で人々の間にどんどんネットが浸透していきます。

高校生の間でプロフが、社会人の間でレンタルブログが流行りだしたのも確かこの辺りですし、YouTubeが流行りだしたのもこの辺。

期間としては決して長くないグリードアイランド編ですが、ちょうどこの辺りの空気感を察知していたかのように感じられます。

 

 

現実に向き合わなければならない10年代前半とキメラアント編

 

グリードアイランド編が終わると18巻から30巻にかけて、キメラアント編が始まります。

ハンターハンターと言う作品では最初の段階で既に物語が展開する世界の外に広大な世界が広がると言う設定が示されていましたがここにきて初めてその設定が活用されます。

主人公たちが日常を過ごす安全な世界の外に、まだ人類が全く解明できていない混沌とした世界が広がっているのですが、キメラアント編ではそこから未知の生物がやってきて人間を襲うと言うストーリーが展開します。

2004年から2012年にかけて展開されたこの物語は、 ゼロ年代後半から10年代にかけて話題になった進撃の巨人を始めとしたいわゆる「壁」を扱った作品の先駆けと言えるでしょう。

進撃の巨人では一話で人々の生活を守る強固な壁が巨大な巨人によって崩される場面が描かれていますが、僕はこの描写を本人たちが望もうが望ままいが押し寄せる現実に向き合わねばならないという、切迫した僕たちの状況を描いたものだと思っています。

ゼロ年代の終わりから10年代の始まりにかけて、「進撃の巨人」「ワンピース」「フェアリーテイル」「トリコ」果ては「逃げ恥」まで、とにかく壁の内と外という表現が多用されました。

 

こうした壁を題材にした作品にジャンルを超えて共通しているのは、外を遮断して平穏を保ちたいという意識と、一度流れが押し寄せたら元には戻れないという危機感です。

それは実社会でもまるで同じで、僕たちはリーマンショックギリシャ危機、そして東日本大地震で避けられない外からの影響と、「その後」は「その前」に戻ることはできないということを痛感しました。

「壁」という表現は僕らが強く認識したこうした気持ちを端的に表すものだったように思います。

 

 

善悪の二項対立では語れない10年代後半と会長選挙編

 

キメラアント編が終わると会長選挙戦が始まり、そのクライマックスでやっと主人公のゴンは父親であるジンフリークスに出会うことができます。

ゴンとジンの出会いは、「父性の回帰」という意味でも興味深いのですが、あくまでも社会の流れと言う視点からハンターハンター多いかけているので今回は置いておこうと思います。

 

単純な善悪の二軸で語ることができないというテーマは、キメラアント編の後半から既にかなり強く出ていたテーマですが、会長選挙編、それから暗黒大陸の導入編にかけていっそう強く現れます。

元は人類に仇を成す敵として描かれていたキメラアントですが、 最後まで読んでみるとむしろ人間の方がひどいのではないかと思わされるような結末になりました。

またかつて敵として登場したキメラアントの多くが人間と上手く打ち解ける描写も描かれています。

こうして終わったキメラアント編に続く会長選挙編では、単純には割り切ることのできない様々な立場の考えが出てきます。

強あるべきと言うハンター協会の姿を守りたい十二支ん、一見悪者に見えるけれど実は会長が好きだったパリストン。

そのどちらの視点も分かったうえで様々な立ち振る舞いをする主人公ゴンの父親ジンフリークス。

会長選挙と並行して展開するキルアの妹(弟?)アルカを奪還する物語でも、それぞれがそれぞれの正しさを守るために行動していると言うことが強調されます。

そしてゴンが無事元気になって父と初めて出会うのですが、その時に父がゴンに伝えたメッセージも、世界樹という巨大な木を例に出して「常識を常識として捉えるな」というものでした。

 

何かを敵認定してそれを批難する。

スマホの普及とSNSの進化、或いはテレビ番組や雑誌を見ていると、とにかく敵と味方と言う分け方が流行ったのが10年代の中頃だと思います。

一方でそうした時代の空気感に対して疑問を抱く声が間違いなく生まれつつあります。

 まだ10年代は2年残っていますが、10年代の後半はこの数年で行きすぎた善悪の単純化に対する揺り戻しが来るのではないかと思うのです。

 

 

もちろん僕は漫画を読む際に社会動向や時代の空気感なんて考えず、単純に面白ければそれでいいと思っています。

ただ、こういう見方をしようと思えばすることもできなくは無いと思うのです。

ハンターハンターはこういった視点から見ても非常に面白い作品だと思います。

現在の暗黒大陸編は20年代前半の空気感を先取りするように思えてならないのです。

(現状だとお祭り騒ぎをして暗黒大陸に向かった一行が、その後船という限られた空間の中で自分が生き残ろうと策をめぐる姿が、オリンピック後の衰退していく日本に重なりそうで嫌な想像しかないのですが 笑)

ハンターハンターはよく休載するため「けしからん」と言う意見も聞きますが、僕は休載するからこそ時代の空気を敏感に読み取れるのだと思っています。

休載しつつ毎回時代の空気を感じそれを作品に込める。

ハンターハンターにはそんな愛着を持っていたりします。

というわけで、再開したハンターハンター

今回はどこまで続くのかというのと、どういう展開になるのかが楽しみです。

 

 

アイキャッチはもちろんハンターハンター

 

HUNTER×HUNTER 34 (ジャンプコミックス)

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2018年近畿大学一般入試A-1日程(1月27日)心敬「ひとりごと」現代語訳

今年度入試で出題された、古文の現代語訳速報です。
仕事の合間に急いで訳しているので、細かな違い(時に大きな読み間違えがあるかもしれません..)はご了承下さい。
また、あくまで話の筋を追うことを第一に訳しています。
そのため、文法事項や敬語はあえて無視しているところがあります。
随時アップしていく予定ですので、よかったらご参照下さい。

 

さて、この世の出来事は皆まぼろしのようなものであるとはいえ、欲界、色界、無色界のいずれもが火の海のように混乱していて、苦しみに満ちていることは知っているつもりであったのですが、実際にこのような荒れた時代に生まれたことを考えると、あらためてあさましく思うのです。50年くらいまでのことは、はっきりと見聞きして理解することができました。しかしながら、それより後の出来事は、天下が片時も治まることのないほどの荒れ具合だったのです。
 30年のころから思いかけず永亨の乱が勃発して、年月が経つにつれて幾千万人の人が刀で傷つけ合い、互いに死んでいきましたが、未だに全く治まる気配はございません。その後そう日にちも経たないうちに嘉吉の乱が発生した後は、世の中に少しも落ち着いているところがありません。諸家の内でさえ主君と家臣、あるいは同僚が争いあって、さまざまの人が次々に倒れていきました。主君も家臣も互いに自分の国をまとめようと、昼夜を問はず戦っておりましたが、一つに落ち着く場所はありませんでした。その上さらにかつてそのような令が出されたと聞き伝えられている徳政令というものさえ世の中に出されて、年を追うごとに田舎に土民が様々なところから宮中や内裏に乱れ入りて、まるで盗賊が溢れたかのような世の中になり、万人を悩まし、あらゆる人が宝を奪い取ることが絶えることがありません。こういった理由から民は疲れ都も衰え果てて、あらゆる道も一つとして残らない事態となりました。また、それから七年ほど経ったときには長い日照りに見まわれて、そこら中の田畑に稲が一筋もなくなりました。都会に住む人も田舎に住む人も身分に関係なく疲弊して、道に出ては物を乞い、そのまま倒れこんで死んでしまいました人数は、一日で一万人と言っても言い過ぎではないでしょう。まのあたりにする光景は、まるで現世が餓鬼道となり果てたようでした。昔、鴨長明方丈記という草紙に、安元の時代に一年中日照りをして、都では一日に二万人近くの死人が出たと書いています。さらには強風の日に樋口高倉の辺りから出火して、中御門京極まで火が広がり、都が焼け果ててしまったと書いてありましたが、それを読んだ時は恥ずかしながらそんな被害は偽りであると思っておりました。しかしながら、今目の前に広がる世の中を見ていると、仏教で世の中を無に帰す言われる三災はここに極まったと思えてなりません。

 

 

 

心敬連歌論集

心敬連歌論集

 

 

2018年近畿大学一般入試A日程 英文法解答&解説

質問に来た生徒さんが持っていたのでざっと英文法の解答を作ってみました。

授業準備の合間に急いで作ったので、教科書的な内容として見たら解説に至らない点も多々あると思いますがその辺はご勘弁ください。

実際の試験の時に「どうやって考えて正解にたどり着くか?」ということを念頭にまとめてみました。

※あくまで次年度以降の問題分析のための備忘録で書いている上に、急いで書いたため、間違えがあるかもしれません。採点に用いる場合は自己責任でお願いします。

 

(13)動詞の語法[leave O C]
[leave]には[leave O C]の形で(OをCのままにする)という用法があるので、犬がどういう状態であったのかに注目する。
「犬=鳴いている状態」が妥当であるため、正解はウbarking
なお、本問とは関係ないが、[leave]には[leave O1 O2]という形で「O1にO2(ここには通常財産がくる)を残して死ぬ」という用法があるので、覚えておくと便利。

(14)進行形の用法に注目する
進行形には「~している」という用法の他に、The cherry tree is dying.(その桜の木は枯れかけている)のように「~しつつある」という用法や、近い未来を表す用法がある。
(ともに「~している真っ最中」という進行形の意味から派生)
[resemble](~に似ている)は中断・再開できる動詞ではないので進行形にできないが、後ろに[more and more](ますます)という言葉がある事に注目すれば、この文が「だんだん似てきている」という内容であることが分かる。
したがって「~しつつある」の意味を構成するイare resemblingが正解。

(15)接続詞の問題
まずは( )の後ろに注目する。( )の後ろに[he struggled to ~]というようにSV構造が来ているため、前置詞の[despite]、副詞の[instead]はNG。
前半部分が3文型で成立しているため、( )以下は副詞節であることが分かる。
[that]には接続詞と関係詞で用いられるが、今回の場合はいずれも適さない。
したがって譲歩の副詞節を作るイeven thoughが正解。

(16)倒置
前の文を受けて「~もまた」という表現には[neither V + S]と[so V + S]がある。
前の文が否定文の場合は[neither V + S]で「私もまた~ない」となり、肯定文である場合は「私もまた~だ」となる。
今回は「弟は工学の学士号を取得した」という文に「私もまた~」と続くので、ウso did Iが正解。

(17)独立分詞構文
[and]は前の[I need money.]と後ろの文を繋げるための接続詞。
したがって[That(   ) the case, I am going to get a loan.]という部分に注目して考える。
文の形を見るとコンマで2文が結ばれているのに接続詞が存在しないため、(   )を含む節が分詞構文であることが分かる。
今回は主節と主語が異なるために主語が省略されなかった独立分詞構文であると考えられる。
したがって正解は現在分詞の形になっているアとなる。

(18)倒置
(  )の後ろが[had I ~]という倒置形になっていることに注目する。
文中にある否定の副詞[little / hardly / no sooner]などが先頭に来たとき後ろは倒置形になる。
したがって正解はウ。

(19)複合関係詞
(  )を含む[that]節は冒頭の[it]を受ける真主語なので、[that]節の中の文構造に注目する。
[that]節の中の主節は後半の[there is~]の部分で前半は副詞節となっているため、正解は副詞節を作ることができる複合関係詞(イかエ)に絞られる。
また、直後に形容詞[humble](謙虚な)があることに注目し、[whatever +名詞](たとえどんな名詞でも)と[however +形容詞/副詞](たとえどんなに形容詞/副詞でも)という使い方があることを踏まえれば、イが正解ということが分かる。

(20)動名詞
直前の[worth]に注目する。
[worth]は「価値のある」という前置詞(形容詞という場合も…)で後ろには動名詞が来る。
したがってウshowingが正解。
[being shown]では文構造的にNG。また、(  )の直前にあるherは動名詞の意味上の主語である。
[feel like Ving](~したい気がする)なども合わせて覚えておきたい。

 

 

近畿大学・近畿大学短期大学部(一般入試前期〈医学部を除く〉) (2018年版大学入試シリーズ)

近畿大学・近畿大学短期大学部(一般入試前期〈医学部を除く〉) (2018年版大学入試シリーズ)

 

 

コインチェックの問題はどんな取り上げられ方をするのかの方がずっと興味がある(笑)

ニューヨークのウォール街で靴磨きの少年が投資の話を始めたのを見て、投資家が株を売り払ったという笑い話?があるのですが、僕はこの話を結構信頼性のある指標だと思っていて、去年の後半に持っていた仮想通貨(といっても本当に少額)を全部売り払っていました。

僕にとっての「靴磨きの少年」は出川さん(笑)

昨日はコインチェックの仮想通貨が流出したというニュースが流れていましたが、もうプレイヤーとして参加していたわけではない僕にとっては、どうしてハッキングされたのかとかコールドウォレットで保管しているというのが嘘だったのかみたいなテクニカル面でも、利用規約の曖昧な表現(btcはコールドウォレットで保管している)の是非でもなく、専らこの事件に対するマスメディアの追求の仕方と大衆の反応に興味があります(笑)

というわけで自分の備忘録もかねて、僕がコインチェックの問題を聞いた時にTwitterにつぶやいた内容をまとめておきます。

 

 

インチェックはコールドウォレットで仮想通貨を管理していなかった(規約には「btcを」と書いてあったけど)事が発覚して信用を失うのと、出川さんのCMのライト層を顧客にしていたのとで、仮に再開してもユーザーが全て引き出すだろうから、多分立て直しは無理だろうなぁ...

 

しかも、既存の金融会社や高齢者(=テレビ・新聞のスポンサーとユーザー)は仮想通貨が嫌いそうだから、追求の仕方はハッキングの原因のようなテクニカルな部分ではなく、仮想通貨けしからん!みたいになる気がする。

 

多分ニュースの中心はライブドアショックの時みたいに後乗りでリスク考えず貯金を全部ぶち込んで人生詰んだみたいな「投機家」の泣き顔や叫びになる。
そうすると日本のレイトマジョリティの大半が仮想通貨=胡散臭いとなり、悪者は仮想通貨みたいになるんだろうなぁ...

 

この問題への(マスコミの)ユーザーの反応は①昔からの保有者=仮想通貨なんてそんなもん(無関心)、②後追い層=騙された(批難)、③非参加層=言わんこっちゃない(批難)でマスメディアが擁護する理由がない。
どのくらい必要以上の(原因ではなく読んだ人を喜ばす)追求がなされるかが個人的に興味のある所。

 

もう1つ個人的に気になるのは、出川さんへの非難の声がどの位出るのかというところ。
彼はタレントとしてオファーを受けただけだから全く非はない。
ただ感情的な「被害者」と「良心的な」大衆は彼にも「責任」があると弾糾する気がする。
その際のロジックやSNSでの言説(笑)がむちゃくちゃ気になる。

 

というのがコインチェックの仮想通貨流出問題に対して僕が最初に思ったこと。
ここ最近のニュースや社会の「空気感」を考えると、コインチェックや仮想通貨そのものよりもそれに対する反応への興味の方が上回ってしまう...

 

 

というわけで、まだ全然話題になっていない段階での僕の予想。

仮想通貨そのものよりも、それに対する社会の反応が気になって仕方がない僕だったりします(笑)

 

アイキャッチはもちろん今回の主役の出川さん(笑)

 

イッテQ! エブリデイ出川語録 ([実用品])

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高校入試作文で差が出るたった1つの「ある」視点

突然ですが、金髪フリーターのヤンキーが10年付き合っていた彼女にプロポーズする場面を思い浮かべてみてください(笑)

A「お前のことが好きだ。お前と結婚したら正社員の仕事を見つけるし煙草もやめる。これからはお前を大切にいていこうと思う。だからオレと結婚してくれ。」

B[お前のことが好きだ。お前に結婚してもらえるために正社員の仕事を見つけてきたし、煙草もやめた。これならお前を大切にできると思う。だから結婚してくれ。]

みなさんが告白をされる彼女だったとしたら、どちらのヤンキーと結婚したいですか?

 

 

入試小論文・作文の指導を毎年行っていると、「目的に沿った文章を書く訓練」の大切さを強く感じます。

特に高校入試では、与えられた課題に対する論理的思考力を問う問題と、半ば自己PRのような問題が存在します(これは僕が住んでいる京都だけかもしれませんが…)

本屋さんや入試のテクニックを解説したようなウェブページを見ていると、論理的思考力を問う文章の書き方は多く書かれているのですが、後者の「自己PR的」な作文の書き方はあまり見かけません(あったとしても「ザ・真面目学生」のテンプレートみたいなものばかり…)

どうやって「考えればいいのか」という説明が書かれているものが少ない結果、テンプレートに頼らざるを得ず、結果折角魅力的な要素を持っている高校生の皆さんなのに、全員同じアピールしかできないという状態になってしまっているように思います。

…ショッカーの集団面接みたいな(笑)

自己PR型の作文に関しては、ちょっとした工夫で相手に伝わる印象が変わる「コツ」のようなものがいくつもあります。

今回はその中でも比較的即効性があるものを紹介したいと思います。

 

自己PR型の作文で最も多いのが、「高校に入ってどういうことをしたいのか?」を問うパターンです。

このパターンの作文に関して、多くの生徒さんが書くのが「大学入試を見据えて~」とか「高校では〇〇があるので~」といった書き方です。

もちろんこうした書き方がダメというわけではないのですが(そもそも「正解」の書き方なんて存在しないので)、それを読む試験官の立場になったら、どうしても説得力に欠ける印象を持ってしまいます。

 

僕は冒頭で「フリーターヤンキーのプロポーズ」について二つのパターンを挙げ、みなさんならどちらと結婚したいかと書きました。

恐らく多くの人がヤンキーBのプロポーズを選んだのではないでしょうか?

ヤンキーAのプロポーズは全て「未来の約束」です。

「お前を幸せにするために結婚したら正社員の仕事を探す」「お前を幸せにするために結婚したら煙草もやめる」というのは全て「結婚後」の話で、今は何も行動していないのです。

一方でヤンキーBの場合は「正社員の仕事を見つけてきたから結婚してもお前を幸せにできる」「煙草をやめたから結婚してもお前を幸せにできる」というように「今の延長」で未来を語っています。

ヤンキーBの場合は、既に行動に移しているのです。

説得力があるのは当然ヤンキーAよりもヤンキーBであるのは明らかです。

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作文の場合でもこのヤンキーの話と全く同じことが言えます。

試験官が聞いて「なるほど」と思えるのは、「高校に入学したら~したい」という約束をする人ではなく、「今まで~してきたから高校でも続けたい」と書かれた作文です。

「大学進学を考えているから高校に入学したら毎日勉強したい」というのと「受験勉強で毎日勉強してきたから高校に入学しても毎日勉強したい」というのとでは、明らかに後者の方が言われた側としては安心できますよね。

自己PR型の作文で重要なことは、「未来手続き型」の作文ではなくて、「現在延長型」の作文なのです。

 

こう言うと、「現在の延長で高校に入ってやりたいことを書けって言われたって、人にアピールできることなんて今までしてこーへんかった!」と思う方も多いかもしれません。

しかし、本当にそうでしょうか?

部活動に所属していた人は何らかの大会に出場したり、コンテストに向けて頑張ったことはあるでしょうし、そうでない人も少なからず「受験」に向けて勉強をしてきたはずです。

「何かをきっかけに続けてきたこと」であれば、何でも構いません。

それさえあれば、「だから高校でも続けたい」と言えるわけなので。

大切なことは「確かにこの子は高校に入ったらそれをやりそうだな」と納得してもらえること。

それが書けているだけで、グッと説得力が高まります。

たいていの受験生が、説得力の乏しい「未来手続き型」の作文です。

そんな中でしっかりと「現在延長型」で書けるだけで、読む側にとっては印象に残ります。

(その上で「未来像」に触れられたらベストです。)

自己PRタイプの作文が上手く書けなくて迷っているという人がいましたら、是非この点を意識してみてください!

 

アイキャッチは僕が自己PR型の作文を指導する際に参考にした大量の就活の本の中で最もいいなと思っているこの本

 

内定力

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