意識高い系という言葉と、彼らの価値を定義する
交流会に積極的に参加したり、イベントを立ち上げたりする学生を、いわゆる「意識高い系」なんて言葉で揶揄される場合があります。
意識低い系の学生(笑)よりは意識高い系の学生の方がずっといいんじゃないかというのが僕の考えでした。
ただ、同時に意識の高低という2分類では、自分の中でどうもしっくりこない部分があります。
縦軸には顧客視点の有無、横軸に積極的か消極的かを置きます。
ここでいう顧客視点とは、思考の発露が自分が何をしたいではなく、周囲にどんなニーズがあるか、自分はどういう立ち回りをすればいいのかという視点で物事を見ているという意味です。
顧客視点の有無と積極的、消極的の2軸を引くと、4つのカテゴリーに分類されます。
①積極的で顧客視点がある
②積極的ではないが顧客視点がある
③積極的だが顧客視点がない
④積極的でなく顧客視点もない
この中で、意識高い系と揶揄される学生や若手社会人は③に分類されるのだと思います。
④の積極的でなく顧客視点もない人と比べれば、③の人たちが優れているのは明らかです。
そして、①の積極的で顧客視点がある人と比べたら劣ってしまうことも納得できます。
問題は、②の積極的ではないが顧客視点がある人と、意識高い系が含まれる③の積極的だか顧客視点がない人であれば、どちらが優れているかということ。
結論から言うと、僕は番号の通り、③よりも②の積極的ではないが顧客視点がある人の方が優れていると思っています。
その理由は、②の人の方が「価値」を生み出しやすいから。
どんなにエネルギーに満ちていても、ニーズと合わなければそのエネルギーが表出することはありません。
他に連結しないまま物凄い勢いで回る歯車みたいなイメージ。
どれほどエネルギッシュでも、自分の「したい」だけでは自己満足で終わってしまい、そのエネルギーが実際に評価される形にはならないわけです。
(そういう人たち同士が集まって、エネルギーの高さを評価し合うようなコミュニティもありますが、それは身内で完結した評価であり、外からは評価されません。バーチャルゲームの中でいい武器をたくさん持っている人の評価と同じです。)
一方で、多少エネルギーが低くとも、また積極的で無かったとしても、顧客視点があれば、周りが求めるものに目がいって、価値を生み出すことができます。
エネルギーは低くても、それを伝えるエネルギー効率がいいため、結果としては積極的だが顧客視点のない③の人よりも多くの価値を生み出すことになる。
社会に出ると、いやでも顧客視点を意識するようになります。
お金をもらうためには相応の価値を生み出さなければならず、その価値を生み出すには、何が求められているのかを考えることが不可欠だからです。
もちろん、それでも顧客視点がない人が殆どかもしれませんが、そもそもそういった視点が求められない学生と比べれば、顧客視点を持っている割合は社会人の方が高いように思います。
さて、顧客視点の有無という評価軸を持っていない人にとっては、②に当てはまる社会人は単に「やる気のないモブ社会人」と映るはずです。
積極性やエネルギーの高さという評価軸だけでいけば、②の人は③の人にはるかに劣っているからです。
しかし(エネルギーの高さをそのまま能力として評価されるコミュニティではなく)実際の社会で価値を評価しようとすると、③よりも②の方が多くの価値を生み出している。
この辺に、意識高い系という言葉がやや批判的なニュアンスで使われる理由があるように思います。
僕は別に、意識高い系が悪いとは思いません。
そうではなくて、顧客視点を身につければいいのにというスタンス。
そういった部分も大切なのかなあと思います。
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