新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



楽譜やc言語も全部言語と考えた時に、それらを身につけている人と言語学習の相性を考えた

言語っていうものがその性質上、自分の意思を相手に伝えるツールであると考えたら、僕は楽譜も立派な言語であるように思います。
ピアノであるなら五線譜に音符を用いて、ギターであるなら6線とフレットが書かれたものを読み取って、もちろんその他の楽器ならそれに適した読み方がありますが、それを習得した者同士で意思疎通ができるという点では、言語に非常に近いものであるように思います。
もちろんこれは、音楽に限りません。
c言語の様なものでも同じです。
それを使ってやり取りをする集団があって、それを用いて読み書きをする場があれば、それは言語と同様の機能を有していると思うのです。

自分が音楽好きだから贔屓目になっている部分はあると思うのですが、音楽をやってきた人は、言語学習を得意とすることが多いように思います。
それは、音楽をやっている人々が、そうでない人たちと比べ、「言語的な何か」に触れてきた期間が圧倒的に長いからです。
僕は、学校の勉強で他言語を習得しづらい最大の理由は、覚えることのメリットがはっきりと思い描けないことにあると思っています。
学校の教科書や単語を覚える授業や、テキストの問題を解くという授業では、他言語でコミュニケーションを取ることの便利さや、何より他言語で情報を得られることの強みには気づけません。
そのため、学校での言語習得(主に英語)のモチベーションの中心はスコアを競うことになってしまう。
学校の英語が得意という人のほとんどは、言語を覚えた先の強みに惹きつけられて勉強しているのではなく、ゲーム的な何かに強いから得意という状態です。
だから、受験問題は解けるのに、ほとんど英語でコミュニケーションをとることができないといった事態になってしまう。

学校で学ぶ言語に比べると、楽譜を読める(書ける)力というのは極めて実用的です。
曲を弾くためには楽譜やコードを覚えなければ始まらない。
だから楽譜を覚えるわけです。
練習を積む中で楽器演奏に挫折する人は多くいますが、楽譜が読めなくて挫折したという人はほとんど聞いたことがありません。
これは、楽譜を読むことがゴールではなく、楽器を弾くことがゴールであるからだと思います。
楽譜を読むという行為は、あくまで楽器を弾くための手段である。
これを言語学習に当てはめると、ある言語を読み書きできるというのは、その言語でコミュニケーションを取るという目的のための手段であるとうことができます。
目的を遂行するための手段と考えるから、身につけて当たり前。
身につけた先の未来が思い描けるか否かで、その言語(言語的なもの)を習得するためのモチベーションの大きさは、全く変わってきます。

僕は点数を競うことに魅力を見出し、ゲーム感覚で行う言語学習も(高校まで)は否定しません。
ただ、そういった勉強が得意な人は、やはり限られてくるように思うのです。
であるならば、勉強に対する別の道義付けがあった方がいい。
それが、言語の習得をコミュニケーションをするための手段と認識するということです。
冒頭で、音楽をやっている人は言語学習を得意とする場合が多いのではないかと書きました。
その理由の一つは上に挙げた通りで、楽譜を読む力をつけたときと同じ感覚で、言語の習得を、それを使いこなしてコミュニケーションをとるための手段であると頭で理解しやすいだろうというところにあります。
ある言語、或いは「言語的な何か」を身につけることの強みを知っているのといないのとでは、伸び率が全くことなります。
覚えることが目的の人は、そこになんとかたどり着くためのエネルギーで言語学習に向かいますが、コミュニケーションを取る手段として言語学習をする人は、その習得を家庭に過ぎないと考えているのです。
100mきっかりを車で走ろうと思うとだいぶ前でブレーキを踏みますが、初めから500m先を見ている人は、そんなところでブレーキを踏みません。
結果的に後者の方がタイムはいいはずです。
手段としての言語という認識があるかないか。
これが言語学習の適性を左右する大きな要因の一つだというのが僕の持論です。
楽器を演奏する人ならだれでも、その言語を当たり前のように道具として使うことが身についている。
だからこそ、言語学習をする際にその感覚を持って勉強に臨むことで能動的に勉強ができる。
そういうわけで、言語習得には楽譜を読めることはメリットになるように思うのです。