34.無法と法治
二年前のこと。
深夜にコンビニへ買い出しに出かけた時、家の前の信号が突然消えたという事があった。
すぐさま警察に連絡をしたのだが、経緯を説明している最中に信号が再びともり事なきを得た。
無事信号が動き出した為にイタズラ電話をかけた様な状態になってしまった。
その時のバツの悪さも鮮明に記憶しているが、それ以上に信号が落ちた時のドライバーの人たちの対応をより鮮明に思い出す。
その道は普段は猛スピードで車が通過する場所であったが、その瞬間はどの車もスピードを落とし、安全に気を使っていた。
何より印象的だったのは、普段は赤信号に変わる瞬間でも通り抜けようとするドライバー達が、信号が落ちた事で互いに道を譲り合っている姿だった。
もちろん危険があるので当たり前の行動であったのかもしれないが、信号という秩序から解き放たれた人々が、互いに譲り合う姿はとても新鮮に感じた。
荀子は人間は生まれながらに弱さや悪の部分を持つという性悪説を唱えた。
こうした人間の弱さを正す為に今の方が生まれたのであろう。
しかし法に甘えてかえって事を悪化させる事もある。
下手に人を縛る法律はなくてもいい様にも思える。
法をなくすべきなどという突飛な主張を繰り出す気など毛頭ないが、停止した信号を見たとき、人の元来持つ「善」の気持ちも捨てたものではないなと感じた。