アニメ読解法1風立ちぬ/かぐや姫の物語〜西欧と日本の芸術観〜
僕はアニメやマンガの考察をする時に、そのストーリーばかりに注目しがちになのですが、この二作に関してはストーリーについては語れない(風立ちぬは凄すぎるっていう理由で、かぐや姫の物語は竹取物語のままという理由で)ので絵について思った事をまとめたいと思います。
コマ数にせよキャラクターの動きにせよ、細かすぎます。
風立ちぬなら車窓の奥にある外の景色の山の奥にかすかに浮いている雲の動きからガラスにわずかに反射する車内の景色まで描かれてる。
あんなの、宮崎駿さんくらいしかできるわけないですよね。
対するかぐや姫の物語もびっくりするくらいの芸の細かさ。
主人公が走った近くにある草の葉だけ、走った際の風で揺れたり、和服ならではの揺れも描かれていたり。
あの細かな絵で尋常じゃないくらいの気配りをもって描かれています。
どっちも見ててどんだけ時間かけたんだろう?って思わずため息が漏れるような作品です。
本題の両作品の比較です。
一般に、日本の芸術は受け手に解釈を委ねた芸術と言われます。
作者の意図を押し付けるのではなく、それを見た人の自由な解釈によって始めて成立するのが日本の芸術の特徴。
余白があって始めて成立する墨絵や四季の変化の中で楽しむことができる日本式庭園、それからあえて言葉を削って完成された俳句など。
どれも解釈の幅をもたせることによって成り立つ芸術です。
対する西欧の作品は、確固たる作者の意思が前面に出ていることが特徴。
受けての勝手な解釈が入る余地を残さず、極限まで突き詰めた作者の意図を受け手に正確に伝えようとしています。
額縁に空白のないように描かれた油絵、永遠不変に形を変えない完成度を誇る西欧の噴水をはじめとする庭園など。
ある一点から世界を見た絵を絵画に閉じ込める遠近法なんかが西欧芸術をよく表していますよね。
日本の芸術観と西欧の芸術観。
主人公の堀越二郎が女の人とすれ違うときだけチラッとメガネの奥の瞳で女の人の背中を追っていたり、会話しているどうしの視線がふとそれたり。
見逃しても本編に影響は与えないけれども、わかる人にはその背景を形作る重要なファクターになっている。
そんな登場人物の演技のようなものが凄く印象的な作品です。
(ストーリー面でもそういったメタファーが多用されていますが、あくまで今回は絵についてのみにしようと思うので書きません)
主人公のかぐや姫が眉をしかめるのはお歯黒を初めて塗って違和感に思うから。
おばあちゃんの目元が緩むのは、かぐや姫の成長に喜びを感じているから。
竹林を走り抜けるシーンを初め、あらゆるシーンで、カメラの位置から最もよく見えるというような絵の作りになっている。
本当に一部の隙もなく、完璧に組み立てられているという印象でした。
僕の中では、こうした所が西欧美術と日本美術にかさなって仕方がありませんでした。
きっと、意識しているわけでわなく、両者のアーティストとしてのスタイルが滲みでているのだと思います。
もちろんどっちも素晴らしい作品っていうのは言うまでもないこと。
こんなにとんでもない作品で、対象的なものを同時期に見られたっていうのは、アニメファンとしてはとても幸せなことだと思います。
こんな大物に作りたい作品を作りたいように作らせることができるスタジオジブリって改めて凄い会社だと思います。
内容には触れない予定でしたがひとつだけ。
対象的に作られた作品ですが、ひとつだけ共通点があります。(岡田斗司夫さんがいってました)
それはどちらともに「美」をテーマに扱った作品であるということ。
両者が今まで歩んできた人生がそこに現れているきがします。
両者の予告編ですが、見比べたらその相違点と共通点が伝わると思います。
ぜひ見たことがない方はご覧になってみてください。
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