「若者の活字離れ」のウソ
若者がもっと本を読むには
http://agora-web.jp/archives/1584631.html
本を全く読まない大学生が全体の4割を超えたっていうニュースです。
昔から本を読まない若者が増えてるって言われ続けていますが、それって何がいけないんでしょうか。。。
僕は多分若者ってジャンルの中ではそこそこ本を読む方だと思いますが、本を読む事が大切とか、本を読まないといけないっていうのんはそんなに思いません。
最近の若者は本を読まなくなったっていう記事を見るたびに、「で、なにが困るの?」って思うんです。
いやっ、皮肉で言うわけではなく、どんな利点と欠点があるかって意味で。。。
なんとなく、若者の活字離れってテーマが語られる場合、背景や問題点を明確にしないまま「このままじゃアカン!」って言ってる気がするんです。
もうちょっと掘り下げたほうがいいって思うんです。
僕は、読書をするインセンティブって、娯楽と学習の2つだと思っています。
前者はただの趣味、後者は知的活動。
で、読書と学力の相関関係を語る際は知的活動としての読書面だけを見て、語られるべきだと思うんです。
仮に学習としての読書をする人が減ってきているというのなら、それはちょっと問題だと思います。
でも、娯楽としての読書が減り、ゲームやマンガに移るのは、ここに含めないほうがいいと思うんですよね。
別に本ってカテゴリから別のコンテンツに移動しただけで、「娯楽」って言う物に触れていることには変わらないから。
それは「本離れ」じゃなく「趣味の多様化」です。
同じ「本離れ」でも、学習目的で本を読む人数は変わらなくて、娯楽目的で本を読んでいる人が減っただけなら、それはあまり問題じゃないっていうのが僕の考えです。
本離れについて語られる時に、それが活字離れなのか本離れなのかってことも気になります。
なんとなく、本離れは進んでいても、活字離れにはなっていないと思うんですよね。
今の若い人って、ずっとスマホ触ってるじゃないですか。
気になることはWikipedia、知らないことはGoogle検索。
スマホで活字を「読む」ってことに関しては結構今の若者もやってると思うんです。
だから決して活字離れではないい。
ただ本を読まなくなっているだけ。
多分その理由は、ネットにそこそこのクオリティの情報があるれるようになったからだと思うんです。
よく、本を読まないと体系的な知識が身につかないっていいますが、普段日常で知りたい程度の情報ってネットにある程度のことでいいんですよね。
よっぽど興味を持った物でなければ体系的な知識は必要ない。
今までは情報収集の手段が本しかなかったから読んでたけど、今はネットがある。
本を読まなくなったのは「読む必要がなくなった」からなんじゃないかなって思ってます。
本は読まなくなっても代替する物に触れているはず。
だから本離れでも、活字離れではないと思っています。
最後に世界と比べてどうなのかってお話。
ぼく、若者全体の約6割が本を読むくらいがちょうどいいと思ってるんですよね。
世界の国をみたら、識字率の問題や貧富の差、労働の問題で本を読まない人たちっていっぱいいるんですよね。
それこそ全体の4割くらい。
多分本を読む必要がない(読んでも役に立たない、別の娯楽で満たされている)人っていうのは国や地域に関わらず一定数いると思うんです。
それが日本では識字率が高くて本があふれていて、貧富の差がそこまで激しくないから、そういう人まで「本を読むべきだ」ってカウントに入れられている。
案外、4割もの若者が本を読まなくなって大変だ!じゃなくて、若者の6割くらいが本を読むってことで、世界標準に近づいたって見方もありだとおもうんです。
今までが読書人数が過剰だっただけ。
もしかしたらそもそも本を読むことが必要・役に立つ人がだいたい6割くらいかもしれないんですよね。
そう考えたら意外と正常なのかもしれません(笑)
いろいろ言って見ましたが、大切なのはどうやって読ませるかではなくって、なんで読ませなくちゃいけないのかだとおもうんですよね。
例えば知的好奇心を養うためだったり、論理的思考力を身につけるためだったり。
或いは書店の売り上げをあげるため、名目上の知的水準を上げるため(笑)
なんでもいいと思うんです。
ただ、漠然と本を読め!ではなくて、こういうことがあるから読んだ方がいいっていう、whyの部分は考えた方がいいですよね。
本っていう知的好奇心を養うための行為を推奨する人たちが思考停止で読めって言い続けるところがなんか可笑しく感じたので書いてみました。