新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



アイコンとしての佐村河内守

聴力を失った作曲家、平成のベートーヴェン等々色んな異名を持ってきた佐村河内守さんの耳が聞こえないのは実はウソだった、そればかりか曲も書けないという事が判明して、騒がれています。

高橋大輔さんのソチオリンピックのフィギュアのテーマ曲にしていた事で問題が大ごとになったみたいです。

(僕スポーツは本当に全くわからないんです、、、)

 

佐村河内さんについて、問題にされているのは2点。

ひとつが全く違う人に作曲してもらっていたというゴーストライター問題で、もうひとつは聞こえないと言われていた耳が実は聞こえるのではないかという疑惑の問題です。

 

それを知らず(或いは知らない程で)特殊組んで放送してしまったというのんは、ちょっと切り口が異なるので置いときます。

 

 

まずひとつ目の実は本人はピアノを触る程度しか弾けず、作曲はゴーストライターだったという事について。

実は佐村河内さんの曲の全てが、桐朋学園大学の非常勤講師、新垣隆さんの作曲だったという事が、本人の会見で明らかになりました。

 

 

これみた時に最初に思ったことは、「いっそ2人で佐村河内守という作曲家って捉えればいいじゃん!」ってことでした(笑)

もちろんどういう経緯で新垣さんが佐村河内さんに楽曲を提供していたのかはわかりません。

 

もしかしたら脅されて、或いは圧力をかけられて書いていたのかもしれません。

ただ、その楽曲そのものは素晴らしく、またそれが人々に評価されていたことは事実なんですよね。

 

物を作る才能がずば抜けているけれど、それを売り込むのが苦手な人もいれば、人を惹きつける才能はあるけれど、提供するコンテンツを作るのが苦手な人もいます。

 

そういう2人の才能を補完し合ってできたのが、「作曲家佐村河内守」っていうアイコンだと思うんです。

 

ちょうどバクマン。の亜城木叶夢みたいに。。。

 

そう捉えたら騙されたって憎んだりせずにいられるんじゃないかなって思います。

両者がどういう関係かは知りませんが、少なくとも両者が出会ってなければ、名曲が生まれていなかった可能性の方が高いハズ。

2人が出会わず僕らがヴァイオリンのためのソナチネを始めとする名曲に出会えなかった世界より、2人が楽曲を僕らに届けてくれた世界の方が僕らにとってプラスなのは確かだと思うんです。

 

高橋大輔さんのフィギュアの表題曲、ヴァイオリンのためのソナチネは、新垣隆さんが、義手の少女のためを思って書いた曲だそう。

作曲者の名義は嘘だったとしても、そこに込められた少女への想いは変わりません。

 

実際、聞いてて鳥肌が立つような名曲です。

こんな素晴らしい曲を作れる新垣さんだからこそ、この一件で作曲をやめないで欲しいし、嘘だったとはいえ、僕たちにこんな素晴らしい曲を拡散してくれた佐村河内さんには今後も佐村河内守というアイコンを演じ続けて欲しいです。

 

僕が楽曲を聞いて素直に感じたことです。

 

 

もう一つの耳が聞こえないのは嘘だった疑惑。

これは新垣隆さんサイドから出てきた情報です。

会見で「僕が彼と話している限り、耳が聞こえないようには思えない」と言ったのがきっかけ。

それに対し、佐村河内さんサイドは耳の聞こえないのは事実と主張しています。

新垣さんと普通に話せたのは、新垣さんがゆったりとした喋りで、唇の動きを見て言葉がわかったからとのこと。

所謂読唇術ですね(読心術じゃないです!)

昔同じく耳が聞こえない人が読唇術で会話する姿を見たことあるのですが、ゆっくりとした口調の人との会話なら、普通にできる印象でした。

それに加えて絶対音感があるのなら(これも真偽はわかりませんが)、発音もかなり正確にできるハズ。

そう考えたら必ずしも佐村河内さんがウソついていたとは考えられないと思うのです。

 

 

で、もうちょっと踏み込みます。

仮に耳が聞こえないというのがウソだったとしても、僕は18年間耳が聞こえないといって周囲に認知させてきたのだとしたら、それはもう耳が聞こえないって事と変わらないと思うんです。

 

初対面の人を数分騙すのとはわけがちがいます。

仮に嘘だったとして、当然耳の聞こえない人の立ち振る舞いや動きを演じ続けなければいけない。

18年間ですよ!?

 

あらゆる動作が耳の聞こえない人のそれとなっていて然るべきだと思うんです。

本人が耳が聞こえないと主張して周りも信じてる。

本人の動作も周りの援助もそれに準じて18年過ごしてきた。

それはもう、苦労の面で耳が聞こえないのとほぼ同じだとおもうんですよね。

もちろん仮に嘘だったならば、本当に難聴の人に対しては侮辱ですし、謝罪しなければいけない事(彼らに対して)ですが、それ以外の人は実際に耳が聞こえない場合と同じくらいに受け止めてあげたらいいんじゃないかって思うんです。

 

 

まあ個人的には本当に耳が聞こえないんじゃないかって思ってますが。

一般人が何かを偽るのと、有名人が偽るのとでは、リスクが違いすぎる。

それ以前に、人前に露出する人が嘘を突き通すなんて、とんでもないコストです。

そう考えたら、いくら売名のためでもそんな嘘つかないと思うんですよね。

 

 

 

長くなりましたが、僕がこの問題で思ったのは一つだけ。

作者がどうであろうと、その音楽の価値は変わらないということです。

 

佐村河内さん、あるいは新垣隆さんが世に出した曲たちが人々を感動させる物であるということだけは紛れもない事実。

実際、この事件を知ってから聞いてみたのですが、どれも文句無しに素晴らしい曲ばかり。

 

「耳が聞こえないのに」という同情票的な評価は差し引かれるとしても、耳が聞こえなかったから、ゴーストライターだったからって理由で、彼らの曲の評価がゼロになるべきではないと思うんです。

 

 

いろんなゴタゴタが社会に与えたマイナスの影響は決して小さくありませんが、曲が与えたプラスの影響も同様だと思うかです。

 

佐村河内さんは疑惑とされている事の真偽を示し謝るとこは適切な人に向けて(難聴の方や高橋大輔さん、CDの版元、難聴なのに凄いと思っていた彼のファン)謝罪して欲しいし、一方で新垣さんには作曲を続けて欲しいですよね。

 

で、できれば両者のいざこざを解決した上で、今度は正式に2人でひとつの「佐村河内守」ですって胸張って出てきて、名作を僕たちに届けて欲しい。

 

このニュースをみて感じたのは、こんなところです。