新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



憲法9条が素晴らしくてノーベル平和賞候補になったわけじゃない

「憲法9条をノーベル平和賞に」推薦受理 実行委に連絡

こんなニュース記事を見て、ちきりんさんが以前ブログで書いていた記事を思い出しました。



確か、横浜市かどこかの主婦の方が思いついてそこから広がったという日本国憲法第9条にノーベル平和賞を取らせようというこの運動。
別にその行動自体が悪いことであるとか、9条に文句があるということは全くありませんが、ノーベル平和賞の候補に挙がった理由に関しては、おそらくこの運動をしていた人たちが思っているのとは全然ちがう理由であるのではないかと思ってしまいます。

おそらく憲法9条ノーベル平和賞候補にという運動をしていた人たちは、「世界に唯一の不戦を謳った平和憲法の素晴らしさが評価された」と考えているでしょう。
でも、ノーベル賞を選ぶ委員会はそれが理由で選んだのではないと思います。
具体的には恐らく「日本が周辺地域との摩擦をこれ以上増やしたり、慰安婦の発言などでこれ以上過激なことを言わせないための牽制球」的な意味合いで候補に入れたと考えた方が妥当なきがします。



その根拠を、先に挙げたちきりんさんのブログから一部引用したいと思います。
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でも、これで明確になりました。それは、ノーベル平和賞はもはや「過去の優れた功績への報償」ではなく、「お前、これから問題を解決しろよ!」という将来の行動提起のための賞である、ということです。
ー中略ー
結局のところノーベル平和賞文学賞の選考委員達はもはや、「いいことした人を表彰する」という地味な役回りには満足できなくなっているのです。そうではなく、「世界平和により強力に貢献するため、期待できる人に賞を与え、選考委員等からのメッセージを伝える」という、一歩踏み込んだ、よりアクティブな役割を担いたいと考えているように見えます。
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たぶん日本国憲法9条に関しても、ちきりんさんが言うように「過去の優れた功績への報償」でなく「お前、これから問題を解決しろよ!」という意味合いの方が強いように思います。

その辺になんか、9条にノーベル平和賞を取らせようという運動をしていた人たちとノーベル財団の間に認識のギャップがあるように感じたので、取り上げてみました。


先日、選挙権が与えらる年齢を18歳にしようというように国会で決まりましたよね。
僕たちはそれをどう捉えるべきかっていう事を考えなければいけません。
選挙権が20歳から18歳に引き下げられるというのは、単に若者に「権利」が拡大したというだけでなく、18歳から何かしらの「義務」を負わせたいという意図があるからではないでしょうか。

その「義務」とは何か?
今の政権与党である自民党が長期的に達成したいことが9条改正及び自衛権を日本独自で持つことにあるとするならば、それは軍隊を作った時にそこに参加する「義務」ではないかと予想することができます。

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【4月5日、安倍首相は来日中の米ヘーゲル国防長官と集団的自衛権行使の容認を確認】(日経BPより)http://www.nikkeibp.co.jp/article/matome/20140407/391641/
たぶん、政府とか与党と呼ばれる「偉い人」たちは、すでに自衛隊を本物の軍隊にすると決めています。つまり日本軍の誕生。そこで戦う兵隊たちは、18才以上になるでしょう。国家のために戦わせるのに、選挙権も無い、というのは制度として矛盾します。
ー中略ー
だから、まず抵抗なく受け入れられるために「先に選挙権を与えよう」と考えた。
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岡田斗司夫さんがメールマガジンで語っていた推論です。
岡田さんは自らの考えを「邪推」と言っていましたが、考え方としてはかなり筋が通ってる。

先の憲法9条に対して僕が賛成も反対も意見を持ち合わせていないのと同様に、日本の軍事化についても僕は特に意見はありません。
自分もそのに巻き込まれたらめんどくさいなって思うくらい。
ただ、この辺のニュースから、どんなことを読み取って、どのような流れに向かっているのかっていうこと位は把握しておく必要があると考えています。


少なくとも同時期に出てきた「選挙権を18歳に引き下げ」と「ノーベル平和賞候補に憲法9条」という二つのニュース。
僕には緩やかな軍事化を望む政治家さんの野望と、それに対する世界の牽制の目みたいな物を感じました。