新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



典子の生き方考察〜病床の速雄と典子の関係〜

ずっと前にL'Arc-en-CielさんのHoneyを紹介するのに絡めて、伊藤整さんの小説「典子の生き方」をブログで取り上げたのですが、その際の記事に思いの外「典子の生き方」という検索ワードで薄口コラムにたどり着く方が多く驚きました。
で、該当するエントリがあまりにもしょうもない内容(典子の生き方について何も触れられていない)で、せっかく訪問して下さるのに申し訳ないなと思ったので、今回改めて典子の生き方を取り上げることにしました。


典子の生き方自体は1970年代くらいに発表された小説であるため、現在はほとんど手に入りません。
(僕は学生の時に地元の図書館の閉架図書に入っていたのを借りて読みました。)
なので恐らくほとんどの人はセンター国語の95年過去問でこの本を知ったのではないかと思います。
僕もはじめて典子の生き方に出会ったのはセンターの過去問です。

それを読んだ時にさっと読むこともできるし、深く読むこともできる、そんな多層的な感覚に引き込まれて以降、お気に入りの一冊となっています。


特にお気に入りはセンターでも取り扱われた、死にかけの速雄に典子が叔父の家を出て一人で生きて行くことを告げるシーンです。
あの場面ってさっと読むと病気で死にかけの速雄に典子が寄り添って元気づける場面に感じるのですが、よくよく読んでみると全く逆の構造になっているんですよね。

病気で死にそうな速雄が、見舞いにきた典子を慰める場面なんです。
典子は「速雄を元気づけるために見舞いに来た」のではなく、「これから親戚の家を出て一人で働くという不安を、今にも死にそうな恋人に慰めて貰おうとして来た」んですよね。


それで実際に病室に入ると、予想以上に衰弱した速雄がいる。
その姿を見て、典子は自分の悩みなど言えないと思い、悩みを心の内に飲み込む。

一方で速雄は病室のベッドから典子を見つめたり、内心でお前の決意をこれから死んでゆく俺が邪魔できるはずがないと言ったり、一見典子にすがるような描写が出てきますが、実はそういう文脈ではないんですよね。
典子を見つめたのは典子が自分の姿を見て、言葉を胸にしまったことを見抜いていたから。
俺には止める資格がないと言ったのは、だから典子の悩みを全て自分が受け止めてあげようとしたからなんです。
自分は死に直面しているのに、それを覚悟した上で、自分の恋人の全てを受け止める覚悟を持った男を表しています。

あの文章の凄いところは、ありきたりな小説の設定にひっそりと真逆の構造を忍ばせたことにあると思います。
病気の恋人を支えるために女が見舞いにきて、男はその愛情にすがるっていうのが普通の設定であるところを、伊藤整さんは病気の男が長くないのも分かっているし、心配をかけさせるべきでない事も理解しているけれど、それでも恋人にすがらずにはいられない女と、病気で死期が近いことを悟り、自分が恋人の力になれないことなど承知しているが、その上で恋人の全てをありのままに受け止めようとした男という、まったく逆の構図で書き上げてしまったんですよね。
しかも少しの違和感もなく、それを強調するでもなくひっそりと。


この辺の匙加減が、本当に上手いと思います。
センター過去問で扱われる最後の部分は、「二人はもう本当のことが言えないくらいのところまできてしまったのだ。」という言葉で締められています。


全ての悩みを速雄に受け止めてもらった典子、全てを聞いた上で典子の頭をぽんと撫でた速雄。
その次の典子の「私ね、あなたが早くよくならなかったらさみしい。」という言葉。
それに黙って笑顔を返す速雄。

どちらも速雄の命が長くない事を重々承知している上での典子の「嘘」と速雄の「笑顔」。
打ち明けたい不安を全て語った典子と、全ての悩みを受け止めた速雄たちがその後に言った「あなたが早くよくならなかったらさみしい。」というあえての他人行儀な嘘は、そこで二人のやりとりが全て終わった事を暗示しています。

速雄が死ぬ前に、二人のやりとりを先に完結させてしまっているんですよね。
だからここを読んだ瞬間に、何も終わっていないのに、読者は心に穴が空いたような気持ちになるのだと思います。

一見するとすごく繊細で淡白なのですが、実は残酷で非常に深い作品であると思います。

手元に資料が無いため、覚えている事を頼りに書きました。
細部に間違えがあったらすみません。