新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



シェアの流行と拡張家族

最近ホットワードになっているシェアという言葉。
「シェアオフィス」「シェアハウス」「カーシェアリング」etc...
新しい動きのようにも見えますが、僕は原点回帰であるように思います。

昔からやっていた人と物資をシェアするという生活に「戻った」というのが正しい捉え方なのではないかというのが僕の考え。
ただし現在と昔で違うのはシェアの相手が血縁から他人になっているということ。


おじいちゃんおばあちゃん、そして両親と子供たちという5人家族は、5人でひとつの家をシェアしていると見ることができる。
その一家に一台クルマがあるのは5人でクルマをシェアしてる。
昔はテレビなんかも一家に一台でした。
固定電話もお風呂も洗濯機も同じ。
これらを「家族」でシェアしてたんです。
生活にかかるかなりの部分を家族でシェアしてたから、お父さん一人の稼ぎで家族全員を食わせる事ができていた。

経済成長と共に、家族でシェアしていたものが一人にひとつの時代になってきます。
テレビは各部屋にひとつになり、クルマも一家に何台も持つようになる。
ケータイの普及は一家に一台でよかった電話が一人一台になったということ。
おまけに一人暮らしや核家族の増加。
単純に今までシェアしてたものが一人につきひとつ必要になれば、生活コストはその人数倍しなければいけなくなるわけです。
だから共働きとかしなければいけない。

経済成長の結果、個人で物を所有するようになって、僕らの生活は豊かになったようにみえるけれど、実は生活するためのコストはとんでもなく高くつくようになっているんですよね。
個人所有の時代になって、僕らは必要以上のお金をかけなければ生きていけない状態になってしまった。
そんな時代の流れの中で、適切な物の所有量に戻して行こうというのが昨今のシェアの流れではないかと思います。


家は5人くらいで済む方がいい。
パソコンだって何人かで共有しておけば足りる。
クルマも数人で一台でいい。
これらは十年前くらいまで家族の中で行っていたことです。
しかし地元を離れての就職などで家族とシェアすることができなくなった。
だから近くにいる同じ考えを持った人と代わりにシェアをするようになったと考えることが出来ると思うのです。


本来「家族」というシステムが担っていた役割を他人同士で行うシステム。
行き過ぎた個人所有の揺れ戻しがシェアという概念であるならば、その先にあるのはシェアしている人たちによる家族的なコミュニティの確立です。
血縁関係で成立していたコミュニティを「純家族」とすれば、身近な人々と物を共有する中で生まれたコミュニティはいわば「拡張家族」とでも言うことができると思います。
現在のシェアという動きの行き着く先は、この「拡張家族」にあるような気がしています。

僕が描く10年後のイメージは、そんな感じ。