新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



思想の壁

ふと思ってさっきTwitterでつぶやいたもののまとめです。
文字数の関係で、堅い表現になってますが、ご了承下さい。



完全に実感値だけれど、現代人の思想レイヤーって丸山真男「日本の思想」のなかにある「である」ことと「する」ことの真意が理解できるか否かで、明確に二分されているように思う。
それより下同士の意見差、上の次元の差は乗り越えられるけど、ここの差は乗り越えられない。

そしてそれは勉強によって克服できる類の代物ではない気がする。
仮に丸山真男の真意を汲まない人の考え方を「である思想」、真意を理解した人を「する思想」と呼ぶと、前者はである思想をベースに物事を学び、物事に対して判断を下すから。
いくら知識が増えても、ベースの思考は変わらない。


ネットっていうテクノロジーを考えると、非常に「する思想」と親和性の高いツールであると言える。
そこには様々な主義主張、さらに非常に良質な情報から単なる誹謗の類の情報が同じレベルで溢れているから。
これらの情報と向き合うためには、情報に触れる側の取捨選択能力が不可欠になってくる。

その意味でインターネットは非常に能動的な姿勢が求められるツールである。
先の二分類にあえて分けるならば、ネットは「する思想」が生み出した産物。
つまり、本来は使用する側にも、当然そうした思想に気づいている(気づいた上でその思想を選ばないのは自由)事が求められる。


しかし、インターネットの急速な普及でそうでない人が溢れるようになった。
情報を発信する側の分布を「である人」9と「する人」に分けたとしたら、受けてに比べて相対的に後者の割合は高くなると思う。
発信者は同じレイヤーの受信者を想定して言葉を発している。
だが受け手の側は両者が混じる。


むしろ全体としては「である人」が増えているように思う。
「する人」のレイヤーで情報を発信する発信者側と、「である人」のレイヤーで受け取る情報の受信者。
この辺のバランスの悪さが、炎上をはじめ、多くのネットにおける問題を生み出しているのではないかと思う。