新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



1984年

去年村上春樹さんの1Q84を読んで、その書評を見て気になっていた、ジョージオーウェルさんの1984年という本。
久しぶりに読み終えたとき、いろいろ考えた作品でした。

書かれたのは1900年半ばで、内容も共産主義の怖さのような物なので、今の僕たちとは背景がまるで違うはずなのに、どこか今の社会をうまく表しているなあといった印象。
主人公が思考警察に捕まり拷問を受けたあと変わっていくその様が、妙に身近に感じられたのです。

小中学時代の友人がプロールに重なり、高校・大学のいわゆる「優秀」と呼ばれた友達はトム・パーソンズに、そして学生時代はかなり尖っていた友人たちがオブライエン或いは主人公ウィンストンに重なります。
企業に入ると、無意識にその色に染まっていく。
いろんな友人と電話したり、ご飯に行く度に感じることです。
たぶんこの「無意識」っていうのがポイントなのだろうと思います。

無意識だからこそ、そこに疑念を抱く余地は無いし、本気でそれを信じこむことができる。
ジョージオーウェルが描いたビックブラザーっていうのんは、国家という一つの巨大なものの中にあるのではなく、大小さまざまな規模で存在してるだろうと思います。

じゃあイングソック的なイデオロギーの中で生きるのが不幸なのか。
すこし前までの僕なら間違えなく不幸だと答えていたと思います。
それも即答で。。
ただ、今の僕ならばイングソック的なイデオロギーに疑問を抱かない人たちならば、無理にそこに疑念を抱くより、社会システムや疑問など持たず暮らす方がおそらく幸せなのではないかと答える気がします。
1984年の中では世の中のシステムに疑問を持ったのがウィンストンで、そんな可能性すら考えたことがないのがトム・パーソンズです。
僕たち読者としてみるならば、洗脳に似た形で生きるトム・パーソンズより、ウィンストンの生き方を望むかもしれません。
それはシステムの外からそれを見ているから。

実際に自分が社会システムの中にあって、生活の前提になっているものを疑いなく信じることができるか、それとも疑問を持って生きるかと考えたら、どうしても後者が幸せだとは思えません。
以前マツコデラックスさんが「気づかない、鈍感で幸せな生活」と「気づいてしまう不幸な生活」というお話をしていたのですが、まさにシステムの中で生きるなら、気づかない・疑いを持たない方が幸せな気がするのです。
会社というシステムの中で働く「気づけてしまう」友人たちを見ていると、切実にそう思います。
主人公ウィンストンが拷問の中オブライエンに疑問を投げかけているシーンがちょうど重なるようでした。


幸せか不幸かという対立軸で考えるなら間違えなく上のような意見になります。
その上で、自分はどちらを選ぶか?
そんな風なことを考えさせられる作品でした。

「鈍感で幸せな生活と、気づいてしまうからこその不幸」
マツコさんはこう自問したあと、「選べるとして、それでも私は後者を選ぶと思う」と言っていました。
皆さんならどちらを選びますか?

20代半ばにいる、僕らくらいの世代が1番いろいろ考えることができる作品だと思います。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)