新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



理性はそんなに強くない

昔書いた文章です。
イスラエル白リン弾に関するニュースを見て、談志さんの言葉を思い出したので前のブログから持ってきました。

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人間の好奇心は、理性では止められない。
好奇心を止める唯一のものは、恐怖である。
立川談志さんが高座で語ったコトバです。

人間がコントロールできる範疇を超えた技術が生まれたとき、それを人はどうするのか?
例えばボタン一つで国一つを滅ぼす事ができる兵器が存在したとして、人々は本当にそれを理性で使わずにいられるのか?
そんな課題に対する答えとして、談志さんのコトバは、非常に的確な答えを僕たちに教えてくれているように思います。


なんでそんな事を思ったのかっていうと、シリアの化学兵器利用の記事を読んだから。
数日前に見かけたこの問題。
追い詰められた政府側が化学兵器を使ったというものでした。
記事によると被害者は数千人、死者は300人に上るとのこと。
現在政府側は化学兵器の使用を否定していて、本当の所はわかっていませんが、恐らく事実であるように思います。

オバマ大統領は化学兵器の利用に対して、厳しい態度をとると言っています。
国連軍として、政府側を攻撃する可能性が浮上しています。


窮鼠猫を噛むのことわざの通り、追い詰められた者は、何を起こすかわかりません。
アサド政権側が化学兵器を使ったのは、まさに「追い詰められた」から。
冒頭の話になりますが、仮に押せば世界を消せるボタンがあったとして、それを押すのか押さないのか?
こんな問題を聞かれたとします。
多分100人に聞いて100人が「押さない」と答えるでしょう。
理由は「押したら自分たちも死ぬ」から。
では、次の場合は?
「ケンカをしていて周りは全て敵。あなたの負け、そして死が確定しています。そんな時に目の前には全てを終わらせるボタンが一つ。あなたはボタンを押しますか、押しませんか?」
たぶん、100人全員が押さないという選択は取らないと思います。


人間は理性を持つ唯一の動物だと言う言い方に見られるように、僕たちはしばしば理性を崇高なものとみなし、理性によりあらゆるものを制御できるという前提にたってきました。
しかし、いかなる状況においても理性が働く訳ではない。
時として、前提が崩れる事がある。
それをシリアのニュースをみていて再認識したように思います。


で、僕が言いたいのは、進みすぎた技術は本当に生み出すべきなのかどうかってこと。
たとえば、原子力に関しても同じだと思うんです。
技術的には確立しているけれど、十分にコントロールすることはできない。
別に僕は原子力発電反対派ではありませんが(ってかそもそもこの話に脱原発とか原発推進とか関係ない)、人間の生命力の範疇を超える(放射能とか化学兵器みたいに、そもそもの持つ治癒機能でどうにもならないような技術)は、やはり生み出してはいけないと思うのです。

例えば原爆ができたなら使ってみたい、化学兵器で逆転できるなら、なりふり構わず使いたい。
倫理観を取っ払って言うならば、これってある意味当たり前の選択だと思うんです。


だってゲームとかやってて絶対勝てる方法見つけたらためしたくなるでしょ?
或いは借金まみれで自分は首くくるしかなくて、娘と嫁さんを路頭に迷わせてしまうような状況で、倫理的にグレーでも、とりあえず1000万手に入る方法があるっていったら手をだすでしょ?
結局人間の理性ってそんなもんだと思うんです。
だから、クローンとか遺伝子組み替えとか、あんまり過度に理性を信じて人間の手に負えない技術をポコポコ生み出さない方がいいんじゃないかと、、、
そんなふうに考えます。
理性はそんなに強くない。