新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



2種類の分かり易さ

同じ分かりやすいでも、僕は2種類の分かりやすさというものがあると思っています。
一つは複雑な事象を万人に理解できるレベルまで、噛み砕いて伝えるわかりやすさ。
もうひとつは複雑な事象を要するにこんなもんと言って、パッと聞いて理解できたように思わせるタイプの分かりやすさ。
前者の分かりやすさは、ひとつひとつ段階を追って説明をしてくれるからため、根本を理解できる代わりに、それだけ説明は長くなる。
反対に後者の分かりやすさは、直感で理解できるかわりに、表面をすくっただけなので、分かった気になるだけ。

どちらも「分かりやすい」という言葉で表される事柄ですが、そのベクトルは真逆を向いています。
本当に何かを理解しようとした時に役に立つ分かりやすさとは、複雑な事象を噛み砕いてくれる分かりやすさ。
しかし、往々にして人が求める分かりやすさは、こちらではなくパッと聞いて理解した気になれるタイプの分かりやすさです。
僕自身も、ついついこういう分かりやすさを求めてしまいます。

近頃身の回りにある「分かりやすさ」はみんなこっちのタイプの分かりやすさです。
テレビのニュース解説は原因を掘り下げるのではなく、「要するにこんなもの」と、理解しやすい部分だけを取り上げたものばかり。
参考書や自己啓発の本を読んでみても、成功するための方程式のような、「出来た気になれる」系のものばかりです。
僕も含め日本人全体が、そういった分かりやすさにあまりにも慣れすぎてしまった結果、本当の意味での分かりやすさ、つまり多少長くても複雑な物事を細かく説明される分かりやすさを理解できなくなってしまったような気がします。

こうした現象は、TwitterやLINEのスタンプ、少し前ならばメールなどが原因で引き起こされているというのが僕の考え。
もちろん、ネットのせいで人々がバカになるだなんて微塵も思いませんが(むしろネットが進化することに賛成派です)、間違えなくコミュニケーションが簡略化されるのが日常になったおかげで、僕たちの理解力はより簡易な方向へと進んでいると思うのです。
例えば直接あって伝わる感情の機微が128種類だったとして、電話で伝わる感情の差は半分の64くらいになる。
それがメールで文字を使ってのやりとりになれば、電話で伝わるの感情の差のさらに半分、32種類となる。
それが絵文字なら16種類、140字のTwitterなら8種類。
LINEスタンプなら喜怒哀楽の4種類でやりとりをできるようになります。

ITはコミュニケーションを容易にしてきたと同時に、少なからず人々の日常的な感覚を簡略化させる方向に影響を与えてきたと思うのです。
その結果、本当の意味での分かりやすさを受け入れようとする人の人数が減り続けている。
なんとなく、今の社会はこんな状況にあるように思います。
僕は決して直感的な分かりやすさを否定はしません。
それが必要なものであることは間違いないから。
しかし、もう一方の本質を噛み砕いた分かりやすさが消えていいわけではありません。
二つの分かりやすさのバランスが崩れている状況の中でバランスをとる必要性を理解しなければならないと、僕自身が強く感じています。