新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



「努力」をしっかり定義する

勉強に関して、「努力しなさい」とよく言われますが、その「努力」が具体的に何かを認識せずに使っていることが多い気がします。
ありったけ時間をつぎ込むことが努力なのか。
それとも丁寧にノートをまとめることが努力なのか。
やらなければいけないことは分かっていても、実際にその「努力」というものが何なのか定義する事はあまりされません。
僕なりの(勉強における)努力の定義をまとめてみたいと思います。


定義1  努力は量でなくベクトルで考えるものである
努力というと、何時間やったとか、どれくらいのページをこなしたとか、量で測られがちです。
もちろん量も大切だとは思うのですが、それだけでは捉え切れていない気がします。
努力とはベクトルで考えるべきものというのが僕のアイデアです。
ベクトルで大切なことは力の「大きさ」と「向き」。
「大きさ」という方は先の量という考え方と同じですが、それに加えて「向き」というものも意識することが大切だと考えます。
どんなに時間を注いだとしても、その努力の方向が正しい向きを向いていなければ十分な結果を期待できない。
逆に適切な方向に努力をしているのならば、必要最低限度の時間や手間で効果をあげられる。
力の「大きさ」だけでなく、「向き」という概念を捉えることで、時間や体力の無駄な浪費を減らすことができると思うのです。


定義2  努力はするものではなくなっているもの
よく努力するという人がいますが、これは違っていると思います。
「努力する」というのは努力というものを、動作動詞として捉えている考え方です。
つまり、自分の意志でオン/オフができるものと思っているということだと思います。
でも実際は「努力する」という動作動詞というより、「努力している」という状態動詞に近いものだと思います。
どちらかといえば夢中になっていて、後から振り返ったらあの時努力していたとわかるという感覚。
自分の意志でスイッチを入れられるものだと思ってしまうと、「努力すること」自体が目標になってしまうことが多々あります。
(自分の意志で努力のオンオフができると思うと、なんとかして努力のスイッチを入れようと考えてしまうから。)
そうではなくて、まずやりたいことがあり、その手段として努力している(本人はその時没頭していると思っている)という状態があるのだと思います。
あくまで努力とは「状態」であり、何か目的を得るための手段であるという認識が大切です。


定義3  努力は何かをベットしてはじめて得られるもの
努力して何かを達成しようと考えた時、僕たちはだいたいノーリスク(時間以外のものは失わない)で始めようとします。
もちろん、それでも努力した気にはなると思いますが、それは時間をただ浪費しているだけで、努力とは言えないと思います。
なぜなら、失敗して失うものを何も持っていないから。
受験生を例にとってみると部活動、交友、趣味と、勉強以外にも時間を取られているものがいっぱいあります。
成績が伸びないと悩む人のほとんどは、これら全てを手にしようとしている。
努力には何かしらの事柄をベットして、レバレッジを掛ける必要があります。
例えば上記の高校生なら、勉強でより成果を出したいのなら他のもののいずれかをベットする材料として諦めるとか、なにかを捨てるくらいでなければ十分な成果は上がりません。
何かを諦めるからこそ、その分やる気がでたりするのだと思います。
その諦めたものが大きい程、努力の効果も大きくなると思います。
厳しい言い方ですが、どれもこれも欲しがって、何も捨てられないのなら、努力による成果も少ししか得られないと考えるのが現実的な気がします。


定義4  努力の成果は等価交換でなく投資のリターン
成績が伸びないという人の中には、かけた時間の分だけ成績が上がると思っている人が多いように思います。
もちろんたくさん時間をかければその分成果が得られることは間違いないと思いますが、かけた時間あたりの得られる成果は、思っているよりずっと少ないと思います。
そのため、僕は努力っていうものは等価交換ではなく、投資のリターンとして認識するのがいいと思います。
だいたいリターンの大きさは、投資した時間の5%〜10%くらい。
感覚値ですが、だいたい僕たちがこのくらい時間をかけたらこれくらいの成果が得られるだろう(これを等価交換的な捉え方と呼びます)としたら、実際はそこで想定した成果の5%〜10%くらいが妥当な数値だと思います。
僕たちは、思っている以上に自分の努力を高く評価していると思うので、そうしたギャップを生まないために、努力とは投資のリターンであるくらいに考えておくのがいい気がします。

自分なりの定義なので人によってもちろん考え方は違うと思います。
また、定義化したところで、気持ちが明るくなることもないし、何か効果的なことがあるのかと言われれば、ほとんどプラスになることはありません。
ただし、無駄な浪費をする割合だけは減らすことができる。
僕は間違えた認識の元に行う努力、効果の上がらない努力のようなものは、「努力」ではなく「時間の浪費」だと考えています。
せっかく限られた時間を受験勉強などにあてるなら、少しでも時間の浪費はさけたいはず。
漠然と「努力」というフワフワしたものを追いかけるのではなく、先に努力自体について考えて見ることで夏休みが有意義なものになるように思います。