新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



キヅケルフコウ

前お仕事させてもらっていた同系列の塾がふた教室に、今働いている塾と、臨時で指導させてもらっている塾がひとつ。
それから夏休みにとある縁で補習を手伝わせてもらった公立中学とあわせて、僕は今のところ5種類の教育現場で教えさせてもらっています。
改めて振り返ってみて、23歳の身としては恵まれた経験をつませてもらっているなぁと、思ったり思わなかったり、、
僕が始めから教育を目指していたら、きっとこんな(おかしな?)ことにはなっていなかったのだと思います(笑)


元々受験の知識を分解して突き詰めることが好きで塾講師を始めた僕にとっては、教育そのものは大きな関心ごとではありませんでした。
でも子供達と関わるうちにもっと深いところに触れて、今では自分なりの教育のビジョンを組み立てています。
それは全くの独学(笑)

いわゆる教育学部や教職課程で学ぶような理論や教育哲学というものを僕は習った事はありません。
それでも、実際に子供達と触れる中や、教育に関わる中で興味を持って調べるうちに、自然とそういったものは勉強していたし、身についていました。
もちろん教育学部の試験的な意味での知識は全くありません。
ただ、教育に関わる人と話す中で、若者の戯言と思われてしまうかもしれませんが、少なくとも自分はこうあるべきだと思うという主張くらいはできる自信があります。
多分それは、教育に少なからぬ関心があったからだと思います。

教員を目指す人、教育にNPOとして関わろうとする人、別の収入で生活費を賄い本当のやりがいだけで教える先生、そして私塾の先生として何十年も教育に関わる人たち、その姿をみて育った塾の先生。
公教育に関わる若手の先生に、公教育から塾教育に身を移した先生、予備校講師として毎日飛び回る先生。
そして何より僕が塾業界に興味を持たせてくれた先生と、僕をこの業界に引き込んでくれた先生。
教育という分野だけでもとっても本当に多くの人に出会い、いろいろ学んだと思います。

それこそ学校と勉強が大嫌いだった僕からしたら今の生活はあり得ないことです。
はたから見たら、僕はロクな生き方をしていないと思います(笑)
でもひとつだけ言えるのは、結構楽しいということです。
僕が後輩にアドバイスするときは、就職の成功法も正攻法も教えることはできません。
ただ、自分の経験で言えるのは「なるようにすればなんとかなる」という事と「好きと得意は違う」ということ。
これだけは(自分が感じているのだから)間違えない。

勉強がしたくないのならしなくていいと思うし、学校がダルいのなら、少なくとも僕は休んでもいいと思います。
案外その方が向いてることに気づけるのかもしれないです。

もちろんこの言葉が同時に「自分の失敗を認めたくないから理屈をつけて正当化しているだけ」ということは分かっているつもりです。
だから、大手を振って好き勝手する生き方を勧めはしない。
なにより「正当化」したいという気持ちが事実だから。

ただ、それでもどちらかを選ぶかと聞かれたら、僕は好奇心に満ちた方を選びます。
マツコデラックスさんが昔ラジオで、「何も知らない幸せと、わかるからこその不幸ならどちらがいい?」と山里さんに言っていました。
これが凄く僕の胸にずんときて。。

多分僕も気づいてしまう不幸を選ぶのだろうなって思います。
マツコさんには珍しい、この極端に抽象的なコトバ。

みなさんならどちらを選びますか?