新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



真似る

コノハチョウは外敵に捕食されるのを防ぐため、枯葉に擬態します。
アマガエルやカメレオンは自分のいる場所の色を真似る事で、そこにいることを気づかれにくくする。
動物は、外敵から身を守るために他者を「真似る」ことが多いようです。
僕たちも多くの事を「真似」ますが、目的は他の動物とは違います。


落語家の立川志らくさんは、師匠談志の声の出し方や演技だけでなく、お気に入りの歌謡曲から映画まで、立川談志の芸の域に追いつこうと徹底的に師匠を真似たと言っています。
漫画批評家の夏目房之介さんは、マンガの評論をする際に、実際にそのマンガのページを「真似」て、自分でノートに書き出すのだそう。
両者が真似をする理由として共通に語っていたのは、徹底的に真似ることで、なぜそう考えたのかが分かるようになるという事でした。


「真似る」という行為は、何かを学んだり、分析したりする時に1番大切な事だと思います。
既存の技法や手順は、先人たちが試行錯誤して、その上で残ってきたものです。
だから、一見すると回り道や無駄に見えることでも、必ずそこにはそれだけの理由がある。
文章や音楽などの技術も同じだと思います。
素晴らしいと思うクリエイターの作品には、必ず作者の工夫やクセが存在する。
スポーツでも音楽でも、芸能でも仕事でも、そしてもちろん勉強でも同じ。
「真似る」という行為は、何かを学ぶ際に、ジャンルを問わず不可欠なものであるように思います。


僕自身、ブログを書き始めるにあたって、まずは真似することから入りました。
僕の文章の師(と勝手に仰いでいるのは)読売新聞の一面コラムを書き続けている竹内政明さん。
まず気に入った文章を一言一句真似してノートに書き、特徴に気づいてきたら分構造や文体を真似してオリジナルを書いてみる。
そうやってとりあえず100文くらい真似たあたりから、少しずつ文章が書けるようになってきました。
練習で書いていたのがこんな感じ。
前のブログを整理していて出てきたのですが、我ながら恥ずかしい(笑)
しかし、こんな駄文でも、構成や文体を自分なりに真似ていると、竹内さんの文章の工夫やクセにたくさん気づきます。

真似て始めて気づいたことは、自分のなかに鮮明に残ります。
真似る事の意味はここにあるような気がします。

と、久しぶりに竹内政明さんの分構造を真似して序破急の順で文章を書こうとしたのですが、やはり竹内さんのそれには遠く及びませんでした(当たり前ですが、、、)。
きっと竹内さんなら、最後の一文に冒頭で引用した具体例をさっと絡めて、違和感なく締めるのだろうなぁ、、、