新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



型無しと型破り

ー型を学ばずに自己流を貫くことを「型無し」と言い、型をきちっと学んだ上で自己流を探すことを「型破り」というー
僕が大好きな人のひとり、故中村勘三郎さんの言葉です。
今日、とある高校の説明会に行ったときに、ふと頭に思い出しました。


その学校の説明会で仕切りに出た言葉が「型を大切にする」ということでした。
とても印象的だったのは、それが決して決まりを押し付けるということではないというところ。
形式ばかりが先行した規則や常識を押し付けるのではなく、もっと深いところに根ざす、物事の「心」を教えている。
この学校が大切にしている「型」からは、そんな印象を受けました。

人生経験が浅い僕ごときが言うのはおこがましいことなのは承知ですが、今の社会は形式を守ることばかりが先行し、その奥にある本質が軽んじられているように思います。
それは勉強にとっても同じ。
入試では知識中心、公式を丸暗記することが合格への近道となってしまい、その先の仕組みや成り立ちには意識が届きづらくなっているのが現状です。
社会の仕組みも、技術の発達も同様です。
20世紀型の成長のロジックは、全て結論だけを抽出し、普遍的に当てはめることのできるノウハウを生み出すことによって成り立っていたように思います。
今のインターネットの技術もそう。
どんどん過程を切り捨て、最短距離で答えを導くことこそが正しいという空気が蔓延しているように感じます。


確かに、「型無し」は減るのだろうとは思いますが、無駄を排除して最短距離ばかりを追っていては、決して「型破り」な人材は生まれない気がします。
それが今の均質化された社会。
一方であちこちで聞く求める人材は「新たな事に挑戦できる人間」です。
言い換えれば「型破り」な人間。
型を破るには、本質に目を向けて、じっくりと時間をかけて型を修める必要があると思います。

型を破るために型を修める。
これからの社会で求められる人材はそういった事をしっかりと学んだ人ではないかと思います。

今日行った学校では、珠算や伝統芸能を学ぶ時間、ご飯を食べる際の礼節など、昔ながらの習慣に則った特色が数多く存在していました。
それらの活動を活字にすると、場合によっては古い考え方に映るかもしれません。
しかし、それらは本質に気づかせる手段として取り入れられているように感じました。
その意味でいけば、こうした学校こそ、今の教育の最先端にいるといえるように思います。

僕らがよほど意識して取り組まなければ見えづらくなっている本質や理を、学園生活で学ばせる学校。
そんな学校が身近にあるということを知れて、僕自身大変勉強になったように思いました。