ざっくりクラシック
昨日テスト対策をしていた時、子供達に「音楽の歴史がヤバイ」と言われて急遽思い出しながら話した西洋音楽史の内容を、備忘録としてまとめてみました。
※あくまでテストのために簡略化した説明です。
細かな部分で結構間違いや嘘がありますが、流れ優先で分かってやっているので、そこはご勘弁願います(笑)
音楽っていうのんは、もともと宗教から生まれたものです。
神様にお祈りを捧げたり、魂を祀ったりという儀式の中で発達したもの。
だから、昔の音楽は声楽(歌うこと)がメインになっていました。
歌うことについて、しっかりとした理論が作られてきたのが15・16世紀。
この、「歌の理論が作られてきた」期間をルネサンス期と言います。
代表的な作品はデュファイなど。。
これがルネサンス期です。
はじめは宗教の一部だった音楽が、時代の流れのなかで、貴族の娯楽へと変化していきます。
この時代に活躍したのがバッハやハイドンといった人々。
この人たちは王様や貴族に頼まれて曲を書いて暮らしています。
だから、王宮のきらびやかなイメージや、食事会の中でパーティの邪魔をしないような曲を書く必要がありました。
こうした注文を満たさなければならなかったため、メロディはそれ程複雑(うるさく)ではなく、代わりに1音1音にやたら装飾をつける音楽が生まれてきます。
それが、バロック音楽です。
バロックとはもともと「ゆがんだ真珠」という意味があって、やたら装飾音をつけられたこの時代の音楽を揶揄するためにつけられた名前だったりします。
この辺りの有名人がバッハやヴィバルティ、ヘンデルといった人々。
派手な装飾音が有名です。
装飾音が多かったバロック音楽から大きく転換するきっかけに、二人の人物がいます。
ここら辺の人々によって、今のクラシックの雛形みたいなものが完成します。
ざっくりいうと、それまでは装飾音で凄さを表していたのが、構成ですごいと思わせるようになったということ。
クラシックの代表的な形式の一つである、ソナタ形式もここの時代に生まれます。
他にも、交響曲や協奏曲という形式も、この時代に生まれました。
今だに受け継がれる、様々な音楽の「型」が生みだしたこの時代の音楽家を古典派と呼びます。
古典派の後半から少しずつ音楽は、王宮から普通の人たちへと広がっていきます。
今までは王宮につかえて貴族のために音楽を書いていたのが、少しずつコンサートホールなどで演奏するようになってくる。
以前のバック音楽としての存在から、音楽そのものが主役になるようになりました。
観客を魅了するための超絶技巧や、非情強弱をつけた曲を書く作曲家が多く登場しだします。
代表的なのがショパンとリスト。
小さい音で「チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ」っときたと思ったら次の瞬間「ジャジャーン」ってものすごい強さで低音を叩いたり、とんでもない超絶技巧や早弾きを織り交ぜたりと、エンターテイメントとしての音楽が演奏されるようになりました。
この時代の音楽をロマン派と言います。
後期になってくると、ロシアやチェコなど、西ヨーロッパ以外の作曲家も登場します。
音楽で気持ちを表そうとするのが、このロマン派の特徴。
19世紀に入ると、今までの理論には収まらないような曲を書く人たちが出てきます。
それまでは暗い曲や明るい曲(長調と短調)というのがはっきりしていたのですが、この時代になると、一つの曲で暗いんだから明るいんだか分からないような曲が生まれてきます。
音楽的に言えばセブンスコードがクラシックの中に使われてきたのがこの時代の特徴と言えるでしょう。
こうした人たちを印象主義と呼びます。
こんな感じで発展してきたクラシックの世界です。
ざっくりまとめると、こんな感じです。
これでもだいぶ複雑なので、一言ずつでまとめておきます。
ロマン派・・・音楽の場が王宮から一般市民へ。貴族に頼まれて書く音楽からコンサートホールにみんなが聞きにくる音楽になる。音の強弱や超絶技巧が生まれる。ナルシスト系。
こんな感じです。
最後に、それぞれの時代の特徴が出てるなと思う曲を幾つか挙げておこうと思います。
デュファイ「アヴェ・マリス・ステラ」
パレストリーナ「悲しみの聖母」
バッハ「G線上のアリア」
ヘンデル「ラルゴ」
古典派
ロマン派
リスト「マゼッパ(超絶技巧練習曲)」
サティ「ジムノペティ」
ラヴェル「水の戯れ」