新・薄口コラム

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山月記考察~教科書に載ったのはインテリのエゴ~[思い込み編]

山月記が教科書に採用されるのは、インテリ層のエゴだと思う。

これは僕が山月記に対してずっと抱いている考えです。
もちろん、個人的に大好きな作品ですし、実際に構成にしろ内容にしろ凄いと思います。
おまけに教育の材料としてもぴったりの作品。
そういう素晴らしさを全て加味した上で、なんとなく教科書を作る側の人たちのエゴみたいなのを感じてしまいます。
 
 
国語の授業で山月記を扱う時、「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」という表現に必ず触れられます。
李徴を虎にしたらしめた、内面に潜む二つの気持ちです。
臆病な自尊心とは、自分は才能があると信じてはいるが、その自信が砕かれるのが怖く、進んで師につくことができずにいたり、周りの評価に自分を晒すことを恐れる気持ち。
尊大な羞恥心とは、同じ志をもつ人と交わりたいと思っているのだけれど、同時にあんな低レベルな中に入りたくないと勝手に壁を作る気持ち。
ざっくり言うと、こんな感じだと思います。
 
 
これって、芸術家や自分は頭がいいと思っている人が必ず持っている感情だと思うんですよね。
自分が周りより優れていると(勝手に)思っているからこそ感じる孤独感みたいなもの。
逆にいえば、そんな風に思っていなければ絶対に持ち得ない感情です。
じゃあ、全ての人々を見たときに、そんな捻くれた思い込みを持っている人が何人くらいいるだろうと言えば、全体の5%以下だと思うんです。
で、教科書を作る人や文学作品を評価するような「極めて優れた人たち」は、例外なくその5%の人たち(笑)
おそらく教科書を作る人たちは皆「この気持ちマジであるよな」とか勝手に共感して、周りもみんな「分かる分かる」って頷いてしまう結果、「自分たちにとってむちゃ共感できる」=人々が共感すべき或いはみんな共感するだろうと思って採用してしまった。
実際には、教科書を作っている人たちが思うほどこの作品に共感する人は少ないし、授業で作品と出会っていいなって思う人もそういないように思います。
どうしても、教科書って「俺の選ぶ凄いマンガベスト5」みたいなのを自慢げに友達に語る自称マンガ通の中学生みたいな感じがしてしまうんですよね。
それ、楽しいの語ってる本人だけみたいな。。
(教科書作った人が語り手で、聞かされるのは子供たち)
作者の中島敦さんにはとんでもなく失礼な事を言っているのは承知の上で、なんとなくそんな気がするのです。
 
 
なぜそんなことを思うかって言ったら、僕も人一倍プライドばかり高い人間で、人に自分の好きな作品を語りたがりな人間だから(笑)
 
ここで終わらせてしまうと、ただ作品を貶したいだけに思われてしまいそうなので、いい訳程度に僕が思う作品の良さをまとめさせて下さい。。
一応、大好きな作品の一つなので(笑)
 
 
・・・続く