新・薄口コラム

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マンガ・アニメ考察16サイコパスⅡ〜カントの啓蒙主義と展開予想~

※ あくまで個人的な(想像と思い込みによる)感想です。知識に間違えや的外れな点が多々あると思いますが、ご容赦願います。。。

 

「全能者のパラドクス」
作品では後半部分になって初めて出てきた概念ですが、個人的には作品のコアになっているテーマであるように思います。
「自分を全能でなくすことが不可能なら、その全能者には不可能なことがあることになるので、全能とはいえない。一方自分を全能でなくすことが可能ならそれを行った時点で全能者は全能ではなくなってしまう。」
全能のパラドクスをざっくり説明するとこんな感じ。(出典:Wikipedia
僕はこの「全能のパラドクス」から、サイコパス2のテーマは「理性(知性)万能主義への疑問」と考えました。

1期のサイコパスは、槙島という今の社会のルールで裁けない犯罪者が出てきて、その男が既存の社会システムを崩壊させようとするのを主人公たちが食い止めるというストーリーでした。
槙島という物語最大の敵は、シビュラシステムによって完璧に管理された社会が幸せなのかと社会に問いかける、いわば無政府主義(ちょっと違いますが。。。)のような思想を持っていました。
(シビュラシステムとは作中に出てくる社会を管理する仕組みで、ルソーのいうところの一般意思をテクノロジーの力で生み出したような存在です)
それに対して現状のシステムの不備を認めつつも、その社会を改善し少しずつ良くしていこうとする主人公たちとの間の戦いが描かれていました。
<一般意思が管理する理想の社会に対する問題提起>
全能な物の意志により全てを決めてもらえる社会は幸福なのか。
理想の社会の在り方とは何かを問うたのが、一期のサイコパスであったように思います。

2期では、さらに話が拡大していきます。
2期で出てきた最大の敵「鹿矛囲桐斗」は、主人公たち、厳密にはシビュラシステムに対してしきりに「what’s color?」と問いかけます。
そして物語の佳境で出てきた「全能のパラドクス」。
僕はこれらのことを、近代の「知性万能主義」に対する問題提起ではないかと思いました。
シビュラシステムは、徹底的に合理的で知性により理想の社会を作ろうとする存在として描かれます。
1期では槙島のような免罪者体質者(既存のシステムでは捉えられない例外)をシステムを管理する側に自らに取り込むことでシステムそのものを進化させるという設定でした。
これは、例外値を取り込み、より知性を高めるという考え方ととらえることができます。
つまり、一貫してシビュラシステムは知性による理想社会が実現可能であるという視点のもとに立っていました。
1期はどちらかというと、そうした社会に対する反発が描かれました。
それに対して、2期ではその前提そのものを崩そうとする、つまり知性万能主義そのものを否定しようとする敵が現れます。
全能のパラドクスとは「万能」という幻想の否定、「what’s color?」という問いは「知性や合理」では図れない部分をシビュラに問うものです。
僕はここにカントの啓蒙主義の考え方が重なりました。

人の理性(知性)に限界があるとし、その限界を見極める能力を新たに「理性Vernunft」と再定義、従来の理性(知性)を「悟性(理解)Verstand」とする。
(宮台慎司さんのブログを参考にさせてもらいました。)
カントは啓蒙主義を語るためにこのように理性を定義しています。
先に僕が「理性万能主義」ではなく「知性万能主義」と書いたのは、この定義にそって理性という言葉を使いたいからです。
僕は2期の最大のテーマは「知性万能主義の否定と、理性による自己の限界の見極め」であると思うのです。
シビュラシステムは自らの存在の不完全さを認めなければ鹿矛囲を倒せない。
しかし不完全さを認めれば自らの正当性が崩れてしまうため、シビュラシステムはそれを認められない。
そのため、シビュラは鹿矛囲を裁くのでも取り込むのでもなく、「なかったこと」にしようとします。
自身の不完全さに目をつむろうとする。
それに対して主人公の常守朱は、理性(知性)の限界を見極めようとする。
ちょうど知性万能主義を真の意味での理性が啓蒙するという構造になっています。
ここがサイコパス2のテーマではないかと考えます。

と、ここまでが僕の感想というか思ったこと。
ここからは残り数話でどうやって話を簡潔させるのか、完全に妄想で予想してみたいと思います。
作品のテーマが知性(あるいは悟性)の限界を理性によって見極めることとすれば、話の結論はシビュラシステムの不完全性を認めさせることになります。
(もちろんシビュラが今の地位を保つという終わり方もありますが、そんなアンハッピーエンドは考えにくいので、、、)
とすると、どの切り口からその結論に向かうかということになります。
シビュラの不完全さを認めさせる方法として考えられるのは次の3通り。
①鹿矛囲がシビュラの不完全を証明して壊す。
②シビュラシステムそのものが自らの不完全性を認める。
③常守が全能のパラドクスに対する解を見つける。
この中で①は鹿矛囲とシビュラがいなくなるだけで、社会に何らかの解を与えない(ハッピーエンドになりえない)ので、結論として妥当なのは①/②のいずれかな気がします。
順当にいけば③なのですが、そこに答えを作るのは難しいと思うんですよね。
何より「what’s color?」の問いに答えられない。
となると、シビュラ(の総意として)自らの不完全性を認め、システムとしての新たな段階を模索する(知性の限界を認めたシステムを探す)というのが妥当な気がします。
その模索する姿がシビュラの「色」を問うことに対する一応の回答にもなりますし、何より、「理性(常守)が知性の限界(シビュラシステムの限界)を見極める」というカント的な啓蒙の文脈にも乗っかります。
残り数話では大きなどんでん返しも難しいと思うので、このあたりに話が落ち着くのではないかと思っています。


(一応)国語の先生がアニメの「読解」をしてみました。
ちょー的ハズレなこと言ってたらごめんなさい…(笑)

 

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