僕の中ではとても心に残っているのに、どうしてもひとつに繋がらなくて考察が書けなかった作品です。
ちょうど今日、何人かの方々とお話をしていたら、ふと一本の線に繋がった気がしたので、プロットもとらず、思うままにまとめてみたいと思います。
この作品の最大の特徴は、マサルと鳴海という、二人の物語の軸となる人物が、交互に入れ替わって描写されている点だと思います。
二人は4巻くらい(うろ覚えです、すみません)で別れて以来、お互いの生存を知らないまま物語が進みます。
つまり、ここから完全に物語がマサルと鳴海の二人の軸に進むようになる。
フェイスレスとは、主人公たちを窮地に貶めることになった集団のリーダー的な存在のキャラクターです。
こいつが、物語の前半では、見方のフリをして現れ、本性を現した後半では最大の敵となって現れます。
フェイスレスは、前半で鳴海を助け、そして後半ではマサルを助けて2度死にます。
このフェイスレスというキャラクターについて、僕が一番印象的だったのは、2回とも自分を犠牲にして主役を助けたという点でした。
僕はずっと、散々悪事を働いてきたフェイスレスの死に際が、2回とも主人公クラスのキャラクターを助けたというのが信じられませんでした。
しかし、作品を読んでいくと、僕はあることに気づきます。
それは、敵も味方も一貫して最後に「観客に喜ばれる幸せを知る」ということ。
「からくりサーカス」では、主役クラスのキャラクターは、敵にせよ見方にせよ、例外なく「芸を喜んでもらう幸せ」を知って死んで行きます。
エンターテイナーは、大衆に受け入れられてなんぼである。
「からくりサーカス」には、作者のこんな意識が滲み出ているように思います、
ちょうど今日お酒を飲んでいたとき、見てもらう人ありきで、芸は初め効果を発揮するみたいな話をしていて感じたことです。
この文脈の理解でいくのなら、フェイスレスの「俺を受け入れないエレオノールなら世界と一緒に消えちゃえ」という物語後半のフェイスレスのセリフは、自分を理解できない世界が間違えているという主張とも取ることができます。
その上で、主人公や、彼らを助けるために見方に寝返った人形たちは、自らの必要性(周りを喜ばせる幸せ)を知って死んでいく。
僕はここに、作者の「自分の主張を全面に押し出した作品ではなく、巧みに隠してメッセージを込めよう」という気持ちが透け仕方がないんですよね(笑)
この作品は最後には最大の敵ですら自らを犠牲にして主人公を救うキャラクターとして描かれています。
酔った拍子に書いて想定している結論にたどり着かなくなりそうです。。
また明日続きを書こうと思います(笑)
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