新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



「最近」ではなく、「いつの時代も」若者はみっともない

毎年成人式の翌日になると、きまって成人式での「おバカ行動特集」がテレビで流されます。
それを見たコメンテーターや視聴者が言う言葉は、「最近の若者はみっともない」とか「新成人としてもっと節度を持つべき」というもの。
みっともないのも、節度を持つべきなのも確かですが、これは別に今の若者だけの問題ではない様に思います。

僕が中学2年生のとき、数学の先生が「君らは成人式でバカなことをしないように」と言っていたことを覚えています。
ということは、少なくとも十数年は「最近の若者は」と言い続けられているということ。
つまり「最近の若者は」という言葉は、ここ数年の情報を比較しているのではなく、今年の映像と、特定の定点情報を比較して「最近の若者は」と言っているということだと思います。

では、比較している「若者」とは何か。
それはおそらく自分の時の成人式だと思います。
テレビで映っているような、ぶっ飛んだ成人式など、めったにありません。
いわばあれは統計でいう「異常値」。
極めて珍しい事象と、自分の経験した(往々にして美化されがちな)事象を比較した時に、後者がよく見えるのは当たり前のことです。

この話の流れだと、単なる若者による大人批判みたいになってしまうので、話を元に戻します。
僕が面白いなと思うのは、成人式の話題において、短期的な視点と長期的な視点の区別があまりにもついていない点です。
毎年の成人式の映像をみて「最近の若者は」と憂う。
これって、ちょっと考えるだけで凄い違和感を感じます。
毎年「最近の若者は」と言い続けているということは、「最近の若者がみっともない」という状態が続いているということ。
であるならば、それはもう「いつの時代も若者はみっともない」と言うほうが、適切ではないかと思うのです。
僕は、成人式の映像を見て去年・一昨年を振り返るでもなく、その度に「最近の若者は」と、一瞬一瞬の情報かれ発言してしまうのが習慣になっていることが凄く気になります。

成人式は代表的な例ですが、長期の流れを無視して、その瞬間の情報だけを元にあらゆる物事を判断してしまうという人が、本当に増えたように思います。
選挙でも原発問題でもそう。
どのアクターも「今、この瞬間」ばかりに気を取られすぎている気がします。
感覚ですが、今の日本人が何かを考える先に頭に浮かべるタイムスパンって、平均をとったら数日〜長くて一年間くらいな気がします。
それじゃあ、とてもじゃないけれど、先を見据えた思考なんてできるはずがない。
少なくとも数年、意識したらこの10年くらいのタイムスパンで物事を考えられるくらいの思考訓練はしておかなければいけない気がします。
毎年言われる代わり映えのない「サイキンノワカモノガー」という言葉を思い出して、そんなことを考えてしまいました。

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