新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



根性論が嫌いな人のための理屈勉強法2 | 才能の定義〜

子供たちを見ていると、「才能」のあるなしというのをはっきりと感じます。
ただし、ここでいう才能とは生まれ持った天賦の才みたいなものではなく、もう少し具体的な存在です。
僕は才能とは潜在好奇心と潜在思考力の積であると考えています。
潜在好奇心とは、新しいものや未知のものにであった時、それに対して無意識に近づこうとする性質のこと。
潜在思考力とは、何か複雑なもの、理解できないものを見た時に自分で試行錯誤しようとする性質のこと。
個人の才能とは、この二つの掛け値で決まるものだと思っています。


多くの場合、本人がもっている才能の限界値の数割しか満たしていない状況です。
だから適切な手順を教えたり、適度な課題を課すことによって、本人の持つ才能の限界値まで引き上げことができる。
これが、通常の勉強で成績が伸びたという状況です。
もちろん多くの子が、自分の限界値まで引き出せていないのだから、それを限界まで引き出すこと自体意味のあることだと思うのですが、それだけではどうしても個々人で絶対的な差が生まれてしまいます。
たとえば仮に実力を数値化できるとして、スタートラインが同じ20という実力のAさんBさんを比較します。
Aは潜在思考力10、潜在好奇心10とすると才能の限界が100ということになります。
一方でBさんの潜在思考力20、潜在好奇心10とすると才能限界値は200となる。
この場合、どんなに効率良くインプットさせても、負荷を多くかけてもAは限界値が100であるのでどう足掻いてもBには勝てないことになってしまいます。
AがBに勝つには、潜在好奇心か潜在思考力を引き上げ、積を200以上にする必要があります。


僕が仮に潜在好奇心・潜在思考力と呼んでいるような力を伸ばしてあげることこそが、教育にもっとも必要なことであるように思います。
好奇心と思考力をさらに構成要素に分類して、それらを伸ばすための具体的なメソッドを考える。
その辺ができると本当の意味での学力をつけることができると思うんですよね。
今の受験システムありきの教育だと、才能の限界値まで引き上げることに注目が行きがちです。
しかしランダムで人を集めてきたら、各々の才能の限界値は正規分布で存在しているはずであり、それを限界値まで引き上げたところで、本質的に逆転を起こすなんて不可能です。
本当の意味で学力を伸ばすというのなら、才能の限界値自体を引き上げることにこそ意味がある。
才能の限界値まで伸ばす教育は正直、システム化可能だと思います。
しかし才能の限界値を引き上げる教育は暗黙知の割合が非常に多く、システム化できない。
逆に言えば、それこそ塾にとって大きな競争力になり得ると思っています。
その辺を考えて限界値を引き上げる教育をどう作るのかっていうのが、僕の今の研究テーマだったりします。。


ちなみに、潜在思考力と潜在好奇心という分類でいけば、理系とは「潜在好奇心<潜在思考力」の人間、文系とは「潜在好奇心>潜在思考力」の人間だと思っています。
それぞれの比率と積の大きさ。
この辺を組み込んで勉強戦略をたてると、自分にあった勉強が見つかると思います。


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