新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



自己啓発の落とし穴〜自己啓発が役に立つ人、ハマる人

先週の日曜日に知り合いとご飯に行って、そこで自己啓発の話がでてきたので。
基本的に僕は自己啓発の類に関してはあったほうがいいものだと思っています。
ただ自分には必要ないですが(笑)
自己啓発を利用して自分に自信をつけることはいいなと思いますが、どっぷり浸かってしまう事には気をつけた方がいいのではというくらいのスタンスです。

カネーギーにせよナポレオンヒルにせよ、その根本は気持ちの持ちようで成功を引き寄せるというところにあります。
僕も日頃の構え方で成功に近づくというのはその通りだと思うのですが、自己啓発のいう「成功」の対義語に関してはしっかりと認識してかなければいけません。
自己啓発に置ける「成功」の対義語は「なにもしない」ことであって、決して「失敗」ではありません。
「成功」とは「何もしないこと」の反対にあるものなので、当然自己啓発を信じて行動した結果「失敗」する可能性だって確率的に多く存在するわけです。

その物事の大小にかかわらず、何かをやろうとして行動に起こして成功する確率は、だいたい5%程度だと思います。
そして、ほんの少し行動しなかったときよりした後の方が良くなったという人が全体の25%くらい。
残りの70%は成功しようとした結果、失敗した人になります。
確証はないけれど、だいたいこのくらいの比率な気がします。
そして、成功して5%に所属した人々が自分のメソッドを紹介し、それを少し良くなった25%がフォロワーとなって囃し立てる。
だいたい自己啓発界隈の構造はこんな感じではないでしょうか。

「なにもしない」を選んでいたら、100%成功しないけれど、失敗もしません。
しかし自己啓発により「成功」を目指せば、当然失敗にころぶ可能性も生じてくる。
自己啓発は「成功」するための法則ではなくて、成功か失敗かは分からないけれどその2択に身を委ねるために「行動する」ための本であると僕は考えています。
成功したいと願いながらも行動することができて無い人に対しては、そのきっかけを与えるものですが、既に行動できている人に関しては役割を終えているため、あまり役に立たないものであるともいえます。


もうひとつ、各々の成功方法の1番のポイントは個人のキャラクターに由来しています。
たいていの成功の決めては「その人だからできたこと」である場合が殆どです。
それを多くの人に当てはまるだけ汎用度(=抽象度)を高めたら、それはもう当たり前のことしか残りません。
その人だからできた成功の決定打みたいなものは、万人に模倣できるようにした時点で最強の必殺技ではなくなってしまう。
その意味で自己啓発で言われる事は、あくまで必要条件であって、十分条件ではないわけです。
あくまで肩を押してくれるツールに過ぎず、そして行動してからは本人の運に左右されるところが1番大きい。
自己啓発を信じようとするときは、この辺を理解できていることが大切であるように思います。


こう書くと、自己啓発に否定的に思われるかもしれませんが、あくまで僕はそういった主張に賛成です。
確かに、既に動いている人にとっては効果が薄いものですが、行動できない人を行動させるという意味では、非常に効果があると考えているからです。
自己啓発では成功の割合は上がりません。
でも、自己啓発のおかげで行動に移せなかった人が10倍背中を押されて行動したら、確率的に成功者も10倍になる。
社会全体としての成功者を増やすという社会的意義は間違えなく存在すると思うのです。

もうひとつ自己啓発には読んだ人を一時的に元気にさせる栄養剤の作用があります。
たとえば僕が書いたようなことは、(たとえ事実であったとしても)読んで誰のやる気も引き出しません。
ただの論理的な説明や数値的な話は、事実であっても誰も救わないのです。
その点自己啓発には、人をやる気にさせる作用がある。
その意味でもけっこう意義があるような気がします。

こんな風に考える自己啓発
近づきすぎず、論理で突き放し過ぎず、適度な距離感で摂取することで非常に役に立つものであるように思います。