新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



「笑い」とは何か?カントから桂枝雀まで、古今東西の偉人が取り組んだ大きな課題

とっても身近なあるものだけれど、とってもとってもわからないもの。



「笑う」という行為は、当にその代表例の様に思います。


僕たちは面白い時は当然笑いますが、呆れた時、気が抜けた時、場合によってはキライな人の失敗を目にした時など、実に多くの場面で「笑う」という行為を行っています。


それらを一つにまとめる事はできるのでしょうか?


ふとそんな事を思ったので、過去の偉人の「笑い」の定義をまとめて見る事にしました。



しばしお付き合い申し上げます。



まずは科学の生みの親、哲学者のデカルトさん。
16世紀のフランスの哲学者である彼は、「世の中の全ては、考える自分の頭と、それ以外の全てに分けられる」というよく分からない理論、物心二元論を唱えた事で有名です。


そんな彼は、笑いについてこう考察をしています。
「血液が突然、肺を繰り返し膨張させて中の空気を押し出すとき、器官の中で空気が破裂する様な音を発するとともに、その動きで胸や喉の筋肉が圧迫され、顔面に伝わるのが笑いである」


うん、デカルトらしいっていえばらしいですけど、余りにも機械的でロマンがないですよね、、、



二人目は王権神授説のホッブズさん。

自著「リヴァイアサン」の中で「人間はほっとくと好き勝手やるんだから、誰かが神様から与えられた権利で国を治めなしゃーないやん!」って唱えた彼らしく、ホッブズは笑いの事を以下の様に述べています。


「人の失敗を見て突然自分の内に湧く、優越感が笑いである」

なんともイヤミな言い方ですが、なんかホッブズらしいですよね。


時代は飛んで19世紀。
「読書について」や「幸福論」で有名なショーペンハウエルさんは、笑いについて「概念と実態とが合わない事に急に気づいた時に笑いが起こる」と述べています。

例えばブラマヨの小杉さんが「濃すぎ」なのに毛が「薄い」とかそんなカンジの事です。


確かに前廼二人より核心に迫っている気はしますよね。

因みに国語学者の中村明さんはこの意見を支持しています。



と、ここまで笑いの専門外の人の意見をまとめてみましたが、どれもしっくり来ません(少なくとも僕には)。

ここからはすこし、専門家の意見を紹介しようと思います。



立川談志さんと並んで、僕が愛してやまない落語家の桂枝雀さんは、笑いの事を「緊張の緩和(正確には「緊張と緩和」)「緊張の緩和」が笑いを生む」と言っています。

因みに、近代哲学の父と呼ばれるカントも笑いについて同種の発言をしていました。
笑いについて、時代もスタイルも違う人間が同じ事を言うのは、大変興味深いことです。


対して、芸人でありながら映画監督でもあるビートたけしさんは、「笑いとは、間の作り出す感情だ」と言っています。


マルチな才能をみせる、たけしさんならではの意見だと思いました。



最後にもう一人だけ紹介して終わりにします。
「笑い」というならこの人を外す事はできません。
喜劇王、チャップリンです。

彼は自身の出演する映画において、「笑いとは反逆の精神だ」と語っています。

確かに納得できる部分もあるし、何より彼の生き方がそのまま現れている様に思います。



このように、様々な定義がなされる「笑い」ですが、僕の考える笑いの定義は「人生の機微が現れたもの」
です。


そこに当人の素や欲が垣間見ることができるからこそ思わず気持ちが緩んでしまうんだと思っています。


改めて考えると実は深い「笑い」の定義。


皆さんはどうおもいますか?

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