新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



根性論が嫌いな人のための理屈勉強法10 | 勉強することの意味なんか「入試にパスできる」で十分

僕がよく、生徒さんから「なんのために勉強するの?」と聞かれた時に返す言葉です。
もちろん、もっと本質的なところで自分なりに勉強することの意味に関する持論はあります。
ただ、子供たちに勉強することの意味を聞かれた時の第一声は、タイトルに書いたように「入試にパスできるだけで十分役に立っていない?」と言うことにしています。

あえて勉強の意味を入試にパスすることで十分と言っているのは、自分の努力に対するリターンに期待しすぎて欲しくないと思っているからです。
今一生懸命努力して、将来どれだけ役に立つんだ?って聞かれると、僕は自分の努力を過大評価しすぎと感じてしまいます。
たかだか1日数時間、それも何万人も同じフィールドで戦っているジャンルで頑張っただけで一生もののリターンが得られるなんて考えは虫が良すぎる話です。
努力に対するリターンの大きさは①競合者以上にどれだけ努力したのかと②競合の少なさの積で出てきます。
この点から言えば、勉強なんて②の部分はとんでもなく小さいので、リターンは大きくなるはずがないと思うのです。
おまけに①で差をつけようとしても物理的に一日の限界はせいぜい6時間くらい。
その程度の努力で一生もののリターンが得られるほど世の中甘くないよという意味をこめて、あえて「その程度の努力のリターンなんて入試に受かることができる程度で十分。」と言っています。
もちろん誤解を生まないようにもっと丁寧にですが(笑)

あらゆる分野で実績を上げる人とそうでない人の最大の差は、努力に対する期待値の大きさにあるように思います。
成功している人たちは、自分の努力に対する期待値が極めて少ない。
たとえば、「3時間の勉強」をしたとして、成果を上げられない人は「3時間も勉強した」といい、成果を上げる人は「3時間しか使ってない」と考えます。
自分の「3時間の勉強」という投資に対するリターンの大きさをどう考えているのかが決定的に違うのです。
何かで一定の成果を出している人は、努力に対するリターンが、実はどれほど小さいものなのかを身を以って知っています。
だからどの程度の努力で成果が出始めるのかというリアルな数値が肌感覚でわかっている。
成果を出したことがない人は、その現実的な「努力に対するリターンの大きさ」を知らないから、どうしても自分の努力を過大評価してしまうんですよね。
だから努力しても報われないという発想になってしまう。

どんなジャンルでもいいのですが、何かで成果を上げる場合、始めての時が1番大変だと思います。
それは、どのくらい努力したら良いのかが分からないから。
もし一つの分野で確かな結果を出したことがある人ならば、前の努力値を目安にして次も頑張ることができます。
スランプに陥ったとき、「前も散々努力したのにわずかしか成果にならなかったから、だいたいこんなもんだな」と割り切ることができる。
努力すれば必ず報われるというのは紛れもない真実だと思います。
しかし現実の努力に対するリターンの大きさは、期待しているよりもずっと小さいものであるというだけ。
この辺の感覚を知っているのといないのとでは、得られる成果に決定的な差が出てくるように思います。
だから、自分の努力に過度な期待をするなという意味で「受験に受かるだけで十分すぎるリターン」と言っています。

努力に対するリターンの大きさを正確に把握する。
それが、勉強で成果を上げるための第一歩であるように思います。