新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



知識不足で拙いのか伝える事を心掛けているから単純なのかを見分ける「目」

カンディンスキー抽象絵画ではないですが、分かり易さというのは「無駄なものを捨てること」であるように思います。
セザンヌは晩年、世界を突き詰めると円錐形、円柱形、そして球体でできているといったのだそう。
僕は、分かりやすさを考えるとき、いかに要らないものを省いていくのかという視点が大切であるように思います。

テレビやニュース記事に向き合う時に大切なのが、あえて情報を削って話しているのだと認識することだと思います。
テレビに出演した解説者や、ニュース記事で意見を述べている人たちに対して「あいつは全然分かっていない」というような批判的な意見をよく目にしますが、彼らは当然話しているよりもずっと多くの知識を知った上で、できるだけ情報をそぎ落として話しています。
これも話したい、あれも話したいという情報の中からギリギリまで取捨選択をした結果、あえて単純化した話をしている。


僕は話のつまらない人のイメージをまとったタイプのオタクを、自分の話したいことを全て時系列で話す人と定義しています。
膨大な知識を全部そのまま話すから、わかりにくいしつまらない。
人前で意見を伝えるというのは、この対極にあります。
持っている膨大な情報から、伝えたい核の部分だけを取り出して、話さなくて良い情報を削り落として行く作業です。
人に伝えるための会話っていうのんは、油画の様に色を加えていくのではなく、彫刻の様にいらない部分を削っていって、輪郭を作る作業だと思うのです。

僕たちはたいていの場合よほどの専門分野がない限り、膨大な知識をもっているはずもなく、まとまった話をしようとしたところで斬新な指摘など出るはずもなく、シンプルな内容になってしまいます。
これは取捨選択をしたからではなく、純粋に知識が足りないから。
テレビやニュース記事に出てきた人たちの主張も、シンプルで単純な意見に見えてしまう場合が多々あります。
一見すると僕たち素人と専門家の意見は大差が無いように感じてしまうことがあるかもしれませんが、そこにたどり着くアプローチがまるで違います。
僕たちのは、持っている知識を全て繋ぎ合わせた結果生まれたもの。
専門家の意見は、持っている知識の中から極限まで話を複雑化させる要因を省いた結果生まれたもの。
ここが決定的にことなります。


仮に専門家の人たちが、一対一で時間無制限で話してくれと頼まれたら、おそらくテレビで話すのとは全く違う語り口になるでしょう。
それくらい、人前で話すことと自分の言いたいことを言うのとは違うことなのです。
ここの違いがいかに大きいのかは、人前で話してみなければなかなか気づけません。
テレビやニュース記事を読んだ時に、「何を言っているんだこいつは」と思うことがあったら、それが本当に知識が足りなくて単純なことをいっているのか、高度に取捨選択をした上で生み出された単純な話であるのかを見分ける「目」を持つことが、非常に大切であるように思います。

アイキャッチ池上彰さん

わかりやすく〈伝える〉技術 (講談社現代新書)

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