新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



殿守の とものみやつこ心あらば この春ばかり 朝きよめすな

殿守の とものみやつこ心あらば この春ばかり 朝きよめすな
今昔物語の中で、権中納言が詠んだこの歌。
僕のお気に入りの和歌のひとつです。
例年にも勝り、見事に咲いた桜の花。
折れそうなほど大きく広げた桜の枝には、満開の桜の花が咲いています。
庭いっぱいに散った花びらは、少し残らず地面を覆い、見渡す限りの桜色。
そこに風が吹き荒れると、まるで水が波打つように桜の花が吹き乱れる。
そんな桜を目の前にして、権中納言が詠んだのが冒頭の詩です。
「屋敷の掃除を任されている守人よ、もし風流心が分かるのであればこの春だけは朝の掃除をしなさるな」
ざっくり訳せばこんな感じでしょうか。

一面に咲き乱れた桜を題にして読めと主にせかされて中納言が詠んだのがこの歌。
僕はこの和歌を「今年の桜をもっと皆に味わいたい」という意味で解釈しています。
単に綺麗な桜だから「掃除するな」と和歌に言ったのではなく、もっとこの桜を題材に興に浸りたい。
もっと皆の目に止めるためにも今年の桜は朝掃除をしてくれるなと詠んだのだとぼくは解釈しています。
仮に僕らがすばらしい桜を目の前にして、和歌を読めなんて言われたら、おそらく桜の美しさそのものを読むのにいっぱいいっぱいだと思います。

中納言は、「この春ばかり朝きよめすな」と読みます。
「この春だけは朝掃除してくれるな」と言ったのは、単に綺麗だからではなくもっと多くの人に見てもらいたいから。
さらに言えばこの素晴らしい桜を題にして読めば、趣深い和歌がいくつも生まれるから。
歌を権中納言に求めた大臣は、その時代の和歌の名手とされています。
その人を前に、この桜があればいくつも色んな人がいい歌を読んでくれそうですねという意味をこめて読んだのではないかというのが僕の解釈です。

桜を題にして詠めと言われて、単に素晴らしい桜について歌うのではなく、メタ視点で詠んでいる。
その辺が本当に風流だなあと思います。