新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



ヒャダインさんの楽曲はアイドルの体験を通して自分の痛みが伝わってくるから惹きつけられる

知っているものしか作れない。
乙一さんのzooという作品の中に入っている、(たしか)陽だまりの詩という作品がそんなテーマで書かれていたことを思い出しました。
乙一さんの作品は数作しか読んだことがないので俄かの知識でしかないのですが、生々しい描写が続くホラー小説の中で、一つだけホラーではない柔らかな作品が混じっていたことが非常に印象的でした。
あの極端に写実的な残酷描写と、印象派のような耽美的な表現の振れ幅が、乙一さんの「らしさ」を作っているのだろうなぁと思います。


僕はマンガでも音楽でも、気になった作品があったとき、作者の内面に蓄積した物しか表現できないという前提を立てて分析をします。
まさに「知っているものしか作れない」と考えるからです。
僕自身、趣味でブログを書いたり曲を描いたり、何より仕事で人前で話すことで生活しているので、人よりもほんの少し何かを作る事に触れる機会が多かったりします。
その中で強く思うのは、内側から生まれてくるものはそれまでに意識的に得てきた知識や経験、無意識に心が揺らされた体験や感動の組み合わせでできているということです。
膨大な経験や感動が地層になって、そこからピュッと芽がでるイメージ。
だから、BUMP OF CHICKENの「レム」や「ギルド」、「乗車券」みたいな曲を聴くと、曲を作った藤原さんはどれだけ自分の内側と周りの友達関係の間で悩んだのだろうと考えてしまうし、重松清さんの「きみの友だち」や「よもぎ苦いか、しょっぱいか」に出てくる子供と「その日のまえに」や「流星ワゴン」のお父さんの持つ、どこか引きの視点と反省するような言葉じりを見ると、俯瞰して全体を見てしまうからこそ生きづらかったんじゃないかなあと思ってしまったりするわけです。


そんな視点から僕が最近興味を持っているが、ヒャダインこと前山田健一さんです。
ももクロの「行くぜっ!怪盗少女」や「猛烈宇宙交響曲」、でんぱ組.incの「W.W.D」や「ちゅるりちゅるりら」などなどアイドルへの楽曲提供をはじめ、多くの作品を描いています。
ヒャダインさんに始めて知ったのは、情熱大陸を見たときでした。
楽曲を提供する歌手の方にインタビューをして、それに基づいて曲を作っている姿が放映されていました。
その時は歌う人の痛みや気持ちを元に作るから人気が出るのだろうと思って何気無く流して見ていたのですが、後に複数のアイドルが「ヒャダインさんの歌詞ってなんで私たちの気持ちがこんなにわかるんだろう?」と言っていたのを見て、少しずついろんな曲を聴くようになりました。


ヒャダインさんの曲を聴いて特に気になったのが、歌う人のコンプレックスを書き上げること、メタ的な遊び、イリュージョンを多用した歌詞の3点です。
(ころころ変わる曲展開は本人が計算でやっていることっぽいので、あえては触れません)
一つ目の歌う人のコンプレックスを上手く曲にするというのを裏返すと、その歌い手の気持ちが理解できる、つまり自分も近い経験をしたことがあるという事です。
単発で聴くとそれぞれの歌手が自分のコンプレックスを歌っているように聞こえるのですが、歌手を横断して聴くと、僕にはそれぞれの歌い手の経験を借りたヒャダインさんの自己語りに聞こえます。
あれだけアイドルの人たちの弱い部分を形にできるヒャダインさんは、相当生きづらさを感じてきたんじゃないかなあと思ってしまうわけです。


そんな生きづらさの根本が、残りのメタ的な遊び、イリュージョンを多用した歌詞に表れているような気がします。
ヒャダインさんの歌詞を聞いていると「2番をお聞きください」のような、構成について触れる歌詞がよく出てきます。
こういう歌の世界から急に聞いている自分に視点を引き戻すようなメタ的な歌詞を好む所に、何かに没頭していても同時に一歩引いて客観的にその姿を見ている自分が常にいるような感じをうけました。
これ、学校の友達グループの中にいると1番煙たがられるタイプです(笑)
そんな俯瞰した視点を持つ一方で、イリュージョンで繋げた歌詞もよく出てきます。
イリュージョンとは落語家の立川談志さん独自の表現で、言葉としての整合性はないけれど、テンポと掛け合いでスムーズに繋がっていて、かつそれが面白いという状態を表します。
ヒャダインさんの歌詞を表す語彙は、僕の中ではこれが1番しっくりきました。

「策を練って 石橋バキバキ クラッシュ」
「敵にこそ塩プレゼント ウエスギ レペゼンジャポン」
「せっせせーのよいよいよい てってけてーのてってけてーで ひねもす大騒ぎ めっちゃくちゃで はっちゃめちゃで毎日関ヶ原
(でんぱ組.inc「ちゅるりちゅるりら」より)

歌詞としての整合性よりも、言葉の響きと直感での伝わりやすさを重視した結果の歌詞だと思います。
そしてこっちが素のヒャダインさん。
綺麗な歌詞や感情を込めた歌詞は、左脳で書けるのですが、こういう歌詞は本人の持ち前のセンスでしか生み出せません。
言葉自信がもつ意味性を一旦無視して語彙と語彙とを組み合わせる。
相当自由な発想ができないと作れない歌詞が多いのも、ヒャダインさんの特徴だと思います。

で、何をしていてもメタ的な視点で俯瞰してしまう理性と、放っておくと感覚で言葉を繋げてしまう感性を合わせ持ったような人が学校生活や社会人生活をすると相当窮屈なものになるはずです。
ありのままで過ごしたら、馬鹿にされるか相手にされないかのいずれかが関の山。
ヒャダインさんくらい頭がいい人なら(京大卒だったと思います)その辺の空気を読んで、セーブをかけていたのではないでしょうか。
通常の生活では直感で浮かんだことを一旦理性のフィルターにかけて言葉にしたり、俯瞰して上手くいかないと分かっていることにもあえて目をつむって友達付き合いをする。
ヒャダインさんの歌を聞いていると、そんな窮屈な生き方をしてきて溜めに溜めたエネルギーを放出しているような印象を受けます。
そして、直感や俯瞰を我慢する中で感じた生きづらさみたいなものが歌い手のコンプレックスを表現することに繋がっている。

明るくハネた曲ばかりなのに、ヒャダインさんの曲が流れると思わず耳を傾けてしまうのは、こうした負の部分が曲の所々に感じるからかもしれません。
そんなわけで非常に興味があるヒャダインさん。
機会があったら是非聞いて見て下さい!

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