新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



2009年龍谷大学一般A入試「平治物語」現代語訳

赤本に全訳が載っていないので、全訳を作ってみました。
内容の背景を捉えることを第一目標としているので、直訳とは若干異なるところがありますが、ご了承下さい。
順次赤本に全訳が載っていない古典の文章の訳をアップしていこうと思います。


さて、九条院で雑事の仕事をしていた常盤には、義朝との間に生まれた3人の子供がいた。三人とも男子であったため、(そのまま置いておけばやがて平家に仇を為すものになる危険も多く)そのままにしておくことも出来ない。そこで清盛は六波羅から兵を送ったところ、常盤も子供もそこにはおらず、常盤の母のみがそこにいた。「まさか姫君と孫の行く先を、知らないはずがないだろう。」と言って、常盤の母を六波羅へと呼び出した。「左馬頭(義朝)が討たれたと聞いた日の朝から、幼い子供を引き連れて、行方が分からなくなってしまったのでございます。」と常盤の母が答えると、「どうしてあなたが常盤御前とその子供の行く先を知らないことがあろう、知っているにきまっている。」と言って、母に対してさまざまな拷問を行った。母は拷問の間の少しの時に「私は 六十をすでに超えています。なにもせずに過ごしても、いったいどれほど生きることができましょう。それに比べて私の三人の孫たちは、まだ十歳にも満たない幼さです。もし何事もなく育ったならば、成長の可能性はどれほどでしょう。今日明日とも分からない、儚い命を惜しんで大きな可能性を秘めた三人の命をどうして差し出すようなことをしましょうか。絶対にあり得ません。たとえ常盤から行き先を聞いていたとしても、あなたたちには申し上げません。ましてもとから夢にも行き先など知らないのです。」と語った。
 常盤は逃げた先の大和で、この事を知った。「私がこの子たちのことを思っているのと同じように、母も私のことを大切に思ってくれているのでしょう。私のために母が拷問を受けていると聞いて、どうして出ていって助けないでいることなんてできるでしょうか。前世のめぐり合わせがよくなくて、義朝の子供として生まれてきたこの子たちが、父の罪のせいで死んでしまうと言うのは、道理にかなっているだろう。しかしながら、そんな前世の巡り合わせも関係しない私の母親がつらい目に合っているのは、それを見ている私に対する罰であるのでしょう。私が六波羅に出頭した結果、この子たちが殺されたとして、その後に再び子供が欲しいとなったら、同じような境遇の子を養っても自分の気持 ちを慰めることはできるだろう。長い年月を経ても決してまた結ぶことはできない親子の絆なのだから、もし母が私のために拷問にあい殺されたとしたら、後悔しても収まりません。母がまだ死なないうちに、出て行って助けよう。」。常盤はそう思って三人の子供を引き連れて、故郷の都へと帰ってきた。
<中略>
 「私の女としての儚い運命からはついに逃れられないのだろうと納得はしていましたが、この子たちの運命を不憫に思って片時も側を離れず守ってあげたいと思ったからこそこの子たちを連れて田舎へと逃げておりました。しかしながら、私たちの行方も知らない母が六波羅へと呼び出されて、さまざまな拷問を受け私たちの居場所を問われているということを聞きました。たとえ子供たちがどうなろうとも、母を苦しみから助け出そうと考えたので、子供たちを連れてここへ戻ってまいりました。」常盤は九条院にやってきて泣きながらにこう語った。御所をはじめ多くがそこにやってきて、そこにいた女房たちは、皆涙を流した。「世の中の普通の女性であれば、年老いた母は今日ともしれない命で あるので、死んでしまう命であるならば死んでしまった後に弔えばよいので、これから長い人生を送るであろう子供を助けようと思うのが普通であるのに、(この常盤御前は)たとえ子供を皆失うことになったとしても母一人を助けようと言う気持ちはめったにないことで素晴らしい。神も仏も必ず憐みをかけて下さるでしょう。子供たちもまた武士の子であることもまだ自覚していないのに皆右を向いて言われたとおりに従っている。痛ましい顔をしています。最近はこの場所にあなたたちが来たことも皆に知られていることでしょう。堂々とした様子で、ご退出下さい。」と女官たちが言ったので、中宮もそれを聞いてもっともだと思い、親子四人にきちんと身なりを整えさせ、牛・車・下部のいずれも親子のよ うにしっかりと身なりにさせて六波羅へ向かわせた。九条院を出て河原を東へ過ぎた当たりには死後の世界で死者の服を剥ぎ取ると言われる奪衣婆の姿もないが、まるで三途の川を渡るような心地がして、六波羅に近づくほどに屠所に向かう羊の歩みが自分に重なって悲しく思う。
 六波羅へついたのちは、清盛の腹心である伊勢守景綱が親子の身元を引き受けた。「私の女としての儚い運命からはともかくとして、子どもたちはもしかしたら助けることができるかもしれないと考えて、田舎へとつれて逃げたのですが、何の罪もない母が六波羅に呼び出されて辱めを受け苦しんでいるということを聞きましたので、子供たちは失うかもしれないがなんとか母を助けたいと決心しまして、尋ね人となっていた子供をやって来ました。どうか母はお許し下さい。」と泣きながら常磐が言ったので、これを聞く人は親孝行の気持ちに感動して皆涙を流した。伊勢守景綱はこの旨を大弐殿に言ったところ、常磐の母の扱いを寛大にした。常磐の母は、景綱の宿所に来て常盤御前と孫たちと会っ た時、絶え入る程に大きく嘆いた。しばらくして起き上がると、つらそうに常磐の顔を見ると、「なんて恨めしい心づかいをしてくれたのでしょう。老いた私の行く末など長くなく、長生きしたとしてもしれています。なんとしても私の身に替えて孫たちを助けたい。どうして子どもたちをつれてやって来て、私をつらい目に合わせるのですか。常磐姫と孫たちの顔が見ることができたのは本当にうれしいですが、孫たちが死んでしまったならば本当に悲しいことです。」と言い、手を取って顔に並べて床に臥してしまわれた。

アイキャッチ龍谷大学2012年度赤本

龍谷大学・龍谷大学短期大学部(一般入試) (2012年版 大学入試シリーズ)

龍谷大学・龍谷大学短期大学部(一般入試) (2012年版 大学入試シリーズ)