世界一わかりやすい!?和歌の技法解説〜折句 物の名 掛詞〜
小さい頃、学校の授業で「『いかにも』を使って短文を作りなさい。」という問いが出題されて「ス イカにも(いかにも) 種がある」と書いてテストでバツをもらった経験があります。
当時の僕はまあ当然かと思って特に文句を言いませんでした。
国語を教えるようになって、前よりも少しだけ文学に明るくなった今の僕のアタマでくそ生意気な子供時代に戻ったのならば、僕は迷わず和歌の技法のひとつ、「物名」を引き合いに出して、なぜこの解答が間違えなのか分からないとか言っていたように思います。
・・・嫌なガキ(笑)
物名とは別名「隠し題」とも呼ばれ、和歌を読む際に与えられたお題を三十一文字の中に詠んだ詩の内容とは別にこっそりと忍びこませる技法です。
有名なものは古今和歌集にある紀友則が詠んだ「秋近う野はなりにけり白露の置ける草葉も色変はりゆく」という和歌です。
桔梗の花を題にして詠めと言われ、「あ きちこうのはな りにけり~」と「きちこうのはな(当時の読みで「桔梗の花」)」を詠み込みます。
このように巧みに与えられたテーマを詠み込む技法を物名(もののな)或いは隠し題と呼びます。
ちょうど僕が子供時代にやった解答(当時2ちゃんねるを見て載っていたものをパクっただけですが)の精神と同じです。
和歌の技法として習うと小難しく感じる技法でも、現在の作品を例にとって考えると理解が早まるものがたくさん存在します。
例えば「折句」
折句とは短歌の冒頭にそれぞれ主題となった内容を読み込む技法です。
代表的な作品は「東下り」に載っている以下の作品です。
「唐衣き つつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」
この詩は「かきつばた」を例に詠めと言われて主人公が詠んだ詩です。
5・7・5・7・7のそれぞれの句の頭文字を取ると「かきつばた」となります。
このようにお題を読み込む技法を「折句」と呼びます。
この折句という技法、実はDeath noteに使用されています。
主人公のライトが宿敵のLに対して送った隠れたメッセージ。
「考えてみると〜いつも 嘆いている ベッドはか たいし 監獄は 死臭がする ごめんだもうがま んできない〜」
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頭文字を取ると、「L知っているか。死神はりんごしか食べない」となります。
これは当に折句の技法です。
特定の言葉をそれぞれの句の頭文字に忍ばせる技法を折句と呼びます。
デスノート繋がりでもう一つ。
「BAKUMAN。」にも和歌の技法が用いられています。
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「シュン、あきらめたらそこで試合終了だよ。」
おそらくこれがスラムダンクの名台詞であることを知らない人の方が少ないと思うので、誰もが無意識にスラムダンクのシーンを重ねてこの言葉を解釈していると思うのですが、実はこの台詞は和歌の技法「本歌取り」を用いています。
本歌取りとはその時代のひとが共通認識として理解している物語の代表的な言葉を用いることで、オリジナルのストーリーの世界観だけでなく引用した言葉の持つ印象を取り入れるという技法です。
バクマンで使われた「あきらめたらそこで試合終了だよ。」という言葉。
これは、スラムダンクを読んだことがない人間にとっては単にシュンの姉が弟に送ったエールの言葉と受け止められます。
しかし、スラムダンクを読んだことがある人ならば、この一言であの名作の世界観や空気感が乗っかってこの台詞を理解する。
以前の作品の名言を引用して、作品のもつ世界観以上の物を感じ取らせるのが本歌取りです。
その他に本歌取りの例の王道といえば、沢田研二さんの「勝手にしやがれ」と中森明菜さんの「プレイバックPart2」の組み合わせがあります。
山口百恵/歌詞:プレイバック Part 2/うたまっぷ歌詞無料検索
沢田研二/歌詞:勝手にしやがれ/うたまっぷ歌詞無料検索
プレイバックPart2の2番で「勝手にしやがれ これはあなたの昨日のセリフ」と出てくるところで、「勝手にしやがれ」を知っている人は、これが「勝手にしやがれ」の中で出て行った女性の翌日のエピソードであると気づくようにできています。
かなり古いので説明には使えませんが、本当に上手い本歌取りだと思います。
マニアックな技法ばかり例に挙げましたが、他にも現代の作品のなかで使われている和歌の技法はいくつも存在します。
一つの具体例として、東京事変の「遭難」を引用します。
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果敢ない想いを真っ白に隠して置いて
(儚い想いを真っ白に隠しておいて)
鳴呼もう如何にかなる途中の自分が疎ましい
(あぁもうどうにかなる途中の自分が疎ましい)
然様ならお互い似た答の筈
(さようなら、お互い似た答えの筈)
「出遭ってしまったんだ。」
(「出会ってしまったんだ。」)
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一方で語感を重視して「さようなら」と捉えるならば「サヨナラ」の意味で聞くことができる。
ここには「それならば」という意味と「サヨナラ」の意味の2つの意味が合わさっていると捉えることができるのです。
一つの言葉で2つの意味を持たせる技法を掛詞と言います。
あるいは「隠して置いて」というフレーズは「見つからない場所に置いて欲しい」という意味と、「隠したままにして欲しい」という意味で理解することができます。
東京事変の「遭難」には、この掛詞が使用されていると見ることもできるのです。
もうひとつ例を挙げるなら、でんぱ組.incの「ちゅるりちゅるりら」。
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敵にこそ 塩プレゼント
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字面を見れば上杉謙信の逸話から生まれた敵に塩を送るを表した「塩プレゼント」ですが、PVや前後の言葉の文脈を踏まえると「敵にこそ死をプレゼント」と読めます。
これもある意味の掛詞。
このように、現在でも探すと以外に見つかる和歌の技法。
古典として習い、古典として嫌々覚えようとすると、どうしても覚えられません。
しかし、案外身近なところにも和歌の技法はあふれています。
そうした切り口から和歌の技法について学べば、和歌も違った印象を以って学べるような気がします。
どれだけ和歌の魅力を伝承できるかは、僕みたいな古典を教える人間がどれだけ古くから残る素晴らしさと、現代にも生きるその心を見つけ、伝えて行くことができるのかにかかっているように思います。
その意味で国語を教えると言うことは非常にやりがいに満ちたことであるとも思うのです。