新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



要領の悪い人のための勉強法

家庭科の調理実習のときにかならず一組は存在する、言われたとおり作っているはずなのに、何故か料理ではなく「食材の成れの果て」が登場する現象には、誰もが心当たりがあるのではないでしょうか。
逆に、適当に作っているはずなのに何故かそこそこのものに仕上がっているということもあります。
これらの違いは何処から生じているのでしょうか。
僕は両者の違いは、大局観の有無によって引き起こされるものであると思っています。
調理実習の例で行くのなら、適当に作ってもうまくいく人は、ここだけは外してはいけないというポイントをしっかり押さえられているひとで、言われた通り作っているのに何故か失敗する人は、最後にまぶすデコレーションと下準備のときの調味料の重要度が同じだと考えている人です。
前者はある種「野生の感」のようなもので優先順位を嗅ぎ分けており、後者はポイントとなるところを思い込みでなおざりにしているのだと思います。

勉強でも同じことが言えます。
要領よく勉強ができる人は、多少手を抜くところと、絶対に時間をかけなければならない所の区別を自然と嗅ぎ分けることができるのに対して、点数が伸び悩む子ほど、思い込みで勉強をする率が高くなります。
ノートまとめと文章の丸写しと、公式の理解という課題が同時に与えられたとして、要領のいい子は取り組む前に優先順位をつけていきます。
伸び悩んでしまう子ほど、全部に等しくエネルギーを注ごうとする。
提出期限のあるものほど優先的に取り組むため、結果として絶対に押さえなければならない公式の理解に費やす時間がなくなってしまう。
こういうパターンが多いように思います。

「言われた通り」も「野生の感」も、無意識の所作であり、その意味で先天的な性質であるとも言えます。
だとしたら、生まれつき要領のいい子にそうでない子は勝てないのか。
僕は決してそんな事はないと思っています。
「言われた通り」も「野生の感」も本人の生まれ持っての性質であり、それ自体に良いも悪いもありません。
「言われた通り」という性質を利用した戦い方をすれば、決して要領のいい野生タイプに劣らないパフォーマンスを発揮することができると思うのです。
言われたとおりにやると無意識に間違えてしまうというのは、裏を返せば「型」を守る習慣さえつかせれば、間違えがなくせるということです。
要領の良さや感の良さの最大の弱点は、その再現性の少なさにあります。
逆に言われたとおりにやることが性分にあっている人は、一度丁寧に「型」を納めれば、再現性可能な知識になります。
要領のいいタイプは対数関数型の知識の集積が起こり、言われたとおりにする人は指数関数型の知識の集積ができるのです。
つまり長く勉強を積めば、容量のいい子よりも圧倒的な実力をつけることができる。

言われた通り型の人が大切なことは、自分の思いこみをいかに排除していくかということです。
その武器が再現性の高さにあるわけですから、勉強にフィーリングを介在させた時点で、絶対に強みを活かすことはできません。
自分の中で徹底的に演習の手順を分解して、機械的に問題に取り組むように心がけることが大切です。
因みに僕もこちらタイプの人間です。
自分の頭でひらめいて解き方がわかるタイプではないので、問題を解く時はいかに頭で考えないかということを常に心がけています。
頭で考えるのではなく、問題文に書かれている情報を細かく読み取って、頭の中にある知識を引き出すだけ。
数学と国語ではほぼ前者の力で、英語や社会ではほぼ後者の力で対応します。
自分の頭で考えるのは、知識をインプットする時だけです。
インプットの時には頭を使わず丸暗記をして、アウトプットの時に頭を使うという勉強をする人が結構いますが、それは勘の鋭いタイプの人の勉強法です。
僕らのような非ひらめきタイプには根本的に適さない学習法と言えるでしょう。

向いている学習法は頭の回転の良し悪しとは無関係です。
頭の回転がとんでもなく早い人でも勉強はパターン化が適している人もいれば、頭の回転は遅くてもひらめき型の勉強があっている人もいます。
学校の勉強に限らず、自分に適した学習法を選択することが、学習に関してはもっとも大切であるように思います。

アイキャッチは僕の尊敬する英語講師の一人、関正生先生の新刊「丸暗記不要の英文法」

丸暗記不要の英文法

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