新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



言葉遊びと知性主義

<乗せたから、先は粟津か、ただの駕籠、比良石山や、馳せらしてみい>
落語の定番に立川談志桂米朝らが演じた「近江八景」があります。
先の歌は江戸時代の最も有名な狂歌師である蜀山人が近江を訪れたとき、駕籠かき(人を乗せるカゴを持つ人)に「三十一文字で近江八景を詠み込んだら駕籠代はただにしてやる。」と言われて詠んだ歌だそう。
瀬田の夕照、唐崎の夜雨、粟津の晴嵐堅田落雁、比良の暮雪、矢橋の帰帆、石山の秋月に三井の晩鐘。
これら八つの地名を見事に歌に折りこんだ蜀山人
久しぶりの滋賀で、この狂歌を思い出しました。

言葉遊びの妙と言って僕の頭に真っ先に浮かぶのが津和野出身で教育者でもある安野光雅さんの「つわのいろは」です。
<夢に津和野を思ほえば 見よ城跡へうすけむり 泣く子寝入るや鷺舞ふ日 遠雷それて風立ちぬ
安野さんが故郷にちなんでいろは歌を並び替えて作った「つわのいろは」。
いろは歌同様、五十一の平仮名が繰り返すことなく読み込まれています。

風立ちぬ」と見れば、宮崎駿さんの引退作を思い出さずにはいられません。
内容は言うまでもなく面白かったのですが、今回は作中に出てくるサナトリウムのある山と煙草の煙を思い出しました。
それぞれトーマスマンの「魔の山」とゲーテの「ファウスト」を連想させる描写。
教養小説としての「魔の山」。
主人公カストロプがサナトリウムで様々なことを学ぶその過程を松岡正剛さんが自身のブログ「千夜千冊」で語っています。
316夜『魔の山』トーマス・マン|松岡正剛の千夜千冊
<セテムブリーニは本書の登場人物を相手に、スコラ哲学を説き、フリードリッヒ大王とヴォルテールの思想を暴き、フリーメーソンの隠れた真意を暗示し、ウェルギリウスから国家論におよんで、しばしば登場人物を煙に巻く。>

このエントリを書くにあたり、ざっと松岡さんの該当エントリを読み返していたとき、全然違う文脈でちょうど今朝スコラ哲学という言葉に再び触れていたのを思い出しました。
佐藤優さんと斎藤環さんの対談本「反知性主義ファシズム」です。
最近の自分の中でのホットワードが「反知性主義」なのです。
僕がここ数年でとくに強くなったと感じているのが、反知性主義的な「過ごしづらさ」です。
反知性主義的な政治、反知性主義的な民衆。
先日の百田直樹さんの沖縄発言に関する批判を見ても、反知性主義的な空気を強く感じました。
特に、2014年くらいからの日本を見るのに最も必要な視点なのかなあと思っています。
反知性主義的な風潮の研究。
それが目下の僕の注目トピックだったりします。
と、久しぶりに構成も考えず、連想ゲームで文字を繋いで行こうとしたら、こんなことになってしまいました。
文章に取り留めがなくなってきたので、この辺で自主規制に乗り出したいと思います。

自主規制ついでに、縛りの非常に強い定型句を一つ。
五・七・五の文字数制限に加え、上から読んでも下から読んでも意味が通じるという回文のルールを守った川柳を一つ紹介します。
<ダメ男子 モテ期が来ても 死んだ目だ>
自粛ではなく、制限の中で思い切りはじけるという、そんな「粋」な洒落っ気が必要だと思う今日この頃です。


アイキャッチは「反知性主義ファシズム

反知性主義とファシズム

反知性主義とファシズム