新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



デジタル化と情報量の減少

僕は子供達に対して、かなりのデジタル推奨派の人間です。
基本スタンスとして、スマホやパソコンといったデジタルデバイスにはどんどん触れさせてあげればいいと思っていますし、面白いゲームや便利なデジタル機器が出たのなら、どんどん使ってみたらいいと思っています。
と、同時に「現実感」というものも非常に大切だと考えます。
山の中で触れる土の質感や水の冷たさ、料理を作る時に包丁を素材に押し付ける時に伝わる食材の硬さや湧き上がる湯気の暑さや匂いなど、生の体験をすることが本当に大切だと思っています。


家から20分くらいのところに嵐山があって、ふと山に入ることがあります。
ぼけっとして山の中を歩くのですが、歩く度に感じるものは、そこにある圧倒的な情報量です。
f:id:kurumi10021002:20150712071131j:plain
当たり前のことですが、写真で見る自然は、生で得られるそれとは圧倒的に情報量が異なります。
実際に足を運んで体験する匂い・質感・音という情報はもちろんのこと、写真で見る自然と生で見回す風景とでは、視覚情報ですら圧倒的に違ってきます。
自然の中にいると、特に意識していなくても圧倒的な情報が体を通して伝わるのです。

宮崎駿さんが以前「子供達の原風景がとなりのトトロでは困る」と言っていました。
トトロに描かれる「リアルな自然」には、汗だくになって走り回ってベタベタになる「リアル」も、寄ってくる虫を手で払う「リアル」もないということだそう。
宮崎さんがおっしゃった、トトロを元に自分の中にある原風景を重ね合わせるのではなく、今の子供達の原風景はトトロに描かれた自然になってしまっているという指摘が非常に鮮明に記憶に残っています。


狭義で「デジタル化」を捉えるならば、それはスマホやパソコンに代表されるIT技術のもたらした変化ということになりますが、デジタルの本来の意味である「細分化」という意味でデジタル化を捉えたとき、僕たちは思う以上にデジタル化した世界に暮らしていると言えます。
(以下はこの定義で「デジタル」という言葉を使います)
決められた時間に同じ場所に毎日出勤・登校し、分割された部署や教室に分かれ、これまた分割された仕事や勉強を行う。
スマホやパソコンの普及云々の前に、僕には現代の社会システム自体が極めてデジタルなのです。
IT技術のもたらすデジタル化には警鐘を鳴らすのに、社会システムとして自分達に染み付いた習慣が過度にデジタル的なことに気づきすらしない。
僕はそこの矛盾に強烈な違和感を感じます。
そしてそこに強烈な違和感があるからこそ自分の出勤時間や起きる時間を定めない結果、周りの人に多大な迷惑をかけるっていう(笑)


デジタル化(細分化)の本質が、合理化・再現性を高めることだとしたら、それは情報量を削ることによって成り立ちます。
雑音ともいえる情報を削るからこそ、細分化ができるわけです。
その意味でいくとデジタル的な思想で回る社会システムは、そうでない社会と比べて、圧倒的に情報が少ないということができます。
僕は自分の祖父母の世代が、非デジタルな社会を生きてきた最後の人たちだと思っています。
両親(50代)になると、社会システム自体がデジタル的に回るようになっている。
本人が非デジタル的な社会を知らなくても、親がその社会を生きていたならば、子育ての過程で自然と非デジタルな社会の情報量を間接的に味わうことができるでしょう。
しかし、親自身が非デジタルを知らない世代になってくると、その子供達の世代は非デジタルな社会の情報量に触れる術がそもそもありません。
結果、圧倒的に情報量が削られた「デジタルな社会」から得られる風景が、僕を含め今の若者や子供達の原風景になる。
子供達の読解力の低下が叫ばれていますが、僕はその原因はここにあるのではないかと考えています。


僕は、授業をするとき以外は常にスマホを手にしているくらい重度にスマホに依存しています。
ただしそれは、ゲームやLINEをするためではなく、自分の外部記憶装置的な位置づけで考えているから。
この文脈で、僕は子供達がデジタル機器にどんどん触れることに賛成です。
興味を持ったものがあったとして、それに関する無限の情報(先の意味ではなく、従来の意味での「情報」です)に瞬間的にアクセスできる。
これはIT技術によってもたらされた非常に大きな利点だと確信しています。
しかしこうした技術はあくまで興味を補完する、いわば加速装置であって、興味自体を生み出すものではありません。
興味を生み出すのは好奇心です。
そして好奇心を生み出すのが、非デジタル的な世界から得られる膨大な情報量。
興味を生み出すきっかけとなる好奇心を蓄える土壌をどう作るのか?
それがデジタル的な社会で暮らす上での大きなテーマの一つであるように思います。

アイキャッチ養老孟司さんの「バカの壁

バカの壁 (新潮新書)

バカの壁 (新潮新書)