新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



妬みの法則

「努力は必ず報われる」
響きは非常にいいですが、僕はこの言葉が、きわめて消費者視点であるように感じます。
努力は必ず報われると言う言葉は、費やした努力に見合うリターンが必ず手に入るという前提の元に成り立ちます。
1000努力を費やしたのなら、1000のリターンが無ければおかしい。
これが、努力は必ず報われるという言葉の裏にある思想だと思うのです。
払ったコスト分だけのリターンが得られる。
等価交換は消費の基本です。
僕達は1000円のランチを食べるとき、そこに1000円分の価値を見出してお金を払うのであり、その意味で消費活動は常に等価交換で成り立ちます。

価値と価格が等価交換になっている消費のほかに、投資というお金の使い方があります。
こちらは、対象に対する期待値に対してコストを払う行為です。
消費と違って、こちらはリスクがあります。
何倍かに価値が膨らむと期待して投資をしても、まったく価値が増加しないどころか、価値がゼロになることさえあるのです。
そのかわり、そのリスクがあるからこそ、うまくいった場合のリターンは何倍にも膨れます。
1000のコストを支払って得られるリターンはもしかしたら10かもしれない。
その代わり、うまくいった場合のリターンは100000になることもある。
これが僕の考える投資的な思想です。

では、努力はどちらに属するのか。
努力は不確定な未来に期待して現在の時間を使うと言う意味で、投資的な側面を持った行動です。
だからこそ、かけた努力は何倍にもなって返ってくるかも知れないし、全く返ってこないかもしれない。
努力は行った分必ず報われるという消費原理の中にあるものでなく、ゼロになるかも知れない反面で、もしかしたら数十倍に膨れ上がる可能性を持った投資原理に立脚した行為なのです。

で、本題の妬みについて。
昨日ふと思ったのが、妬みというのは努力を消費原理に立脚したものだと考える人たちが、実際に成功した人たちを見て、不当にリターンを手に入れたと考えることによってうまれる感情ではないかということです。
たとえば、一日10時間労働と言う「努力」をするAさんと、一日20時間を労働という努力に費やす堀Aさんがいたとします(笑)
堀Aさんは人の倍の努力をしてがむしゃらに働いた結果、時代の風向きも味方して、20代で自分の会社を一部上場の大企業まで成長させた。
仮にこの堀Aさんが努力の結果手にしたリターンを労働100時間分とします。
Aさんは努力を消費思考で考えています。
かけた努力と同じ対価分の報いが得られるという考え方。
そのAさんから見ると堀Aさんは自分の倍の努力をするすごい人です。
だから、自分よりも多くのリターンが得られることは当然で、それ自体にはAさんも納得しています。
しかし問題は堀Aさんが得たリターンの大きさです。
等価交換の原則で努力を計るAさんから見て、堀Aさんの得るべき適切なリターンは労働20時間分の価値なのです。
しかし実際には堀Aさんは100時間分のリターンを得ている。
投資思考の堀Aさんにとってはかけた努力に対するリターンが4時間分しかない可能性もあったわけで、このリターンはきわめて妥当な大きさです。
しかし消費思考のAさんの視点でみればそうはならない。
等価交換で行けば20時間分が妥当であるところをあいつは80時間分も多くリターンを得ている。
その80時間分がAさんからみると「不当なリターン」ということになり、これが80労働時間分の「妬み」として堀Aさんに向けられるわけです。

別に消費思考と投資思考のどちらであるべきだという「べき論」を話したいわけではありません。
そうではなく、単純に妬みが生まれる基本構造ってこんな風になっているのではないかと思っただけ(笑)
寝る前にふと考えた「妬みの法則」です。