新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



上岡龍太郎さんと談志さん

平家物語を扱う機会ができたので、久しぶりに談志の源平盛衰記を見ていました。
見るたびに新しい発見があり、僕が本当に大好きな作品のひとつだったりします。
見ているこちらの知識が増える度に談志さんがディテールに込めた笑いに気づき、自分が大人になるほどに面白さが増して行くところが中毒になる思いです。
こうした種の「面白さ」を、僕は立川談志さんと、上岡龍太郎さんを見るたびに感じます。
どちらも全盛期を見ることなく引退・他界をしてしまったのですが、残る映像や書物に触れる度に、先に言ったような「面白さ」を思い出します。

上岡龍太郎さんが引退の時に言った「今のテレビには教養のある笑いがなくなった」という言葉が耳から離れません。
上岡さんはこの言葉の前に、古典が教養だとは思わないがと、しっかりと添えていました。
僕はその映像を見たときに、「このおっちゃんは本当にかっこいい」と思いました。

誤解を承知で僕の主観を述べれば、僕を含む今の10代終わりから20代前半のいわゆる「若者」世代は、心のどこかで、親や先生、そしてちょうど上司の世代を見下しているようなところがあるように思います。
親の躾ではなく人間性を評価して、先生の授業を上手い下手と評価して、上司の価値観や視座を古い狭いと評価する。
デジダルネイティブと言われる世代は、生まれ持っての批評家気質みたいなものがあるように思います。

そんな「若者」でも、誰これ構わず頭から否定するわけではありません。
数多くいる「見下すべき数多くの目上」の中に、尊敬できる大人を見出すことがあります。
こういった言い回しで書いている自分自身がすでに嫌なのですが、自分が尊敬するに足る人物と皆した人にはしっかりと経緯を示すのが、今の若者であるように思います。
(自分が意識的にしているという意味ではなく、周りにそう指摘されるという意味で)少なくとも僕はそう(笑)
僕は身を置く基準を、全てそこで判断しています。

教養のある笑い、すなわちこちらが成長するに合わせて新たな面白さのステージを見せてくれる芸人さんは、まさに尊敬すべき「大人」だったりします。
しかもそれが、遥か昔に演じられた作品だったら尚のこと。

演者が散りばめた「細工」に気づくたび、見ている僕たちはその演者にまた一歩近づいたという満足感と、演者の立つ高みまでの距離がより正確に感じられてしまう絶望感の両方を感じます。

その両者が混ぜ合わさった感覚を「尊敬」と呼ぶのかなあと思ったり思わなかったり。

特に書きたいことがあって書き始めたわけではないので、内容がまとまらなくなってきました(笑)談志さんも上岡龍太郎さんも、僕にとっては「教養のある笑い」を、更新することもなく絶えず届けてくれる存在です。

談志が昭和の真ん中で源平に散りばめた笑いを全て読み取る。

それが僕の当面の目標だったりするわけです。


そんなエントリを書きながら、金玉医者を見ていたら、文字全部を消したくなった今日このごろ、なう。