新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



どうでもいいと思いながらも気にしてしまう「おざなり」と「なおざり」のちがい

職業病かもしれませんが、僕は「て・に・を・は」はじめ、日本語の細部が気になってしまいます。
雰囲気(ふんいき)を「ふいんき」と言うような読み間違え、「右に右折」や「頭痛が痛い」、「まっすぐ直進」といったようなダブり言葉。
あとは「ら抜き言葉」や「さ入れ言葉」などなど。。
もちろん、話の腰や相手のメンツを犠牲にしてまで指摘するのは野暮なので、そんなことはしませんが、やはり気になることは気になります(笑)

日常会話に限らず、日本語の使い方で気になってしまうことは他にもあります。
その1番の例が歌の歌詞。
これもやはり職業柄なのか、曲を聴く際に、僕は歌詞をすごく大切にしています。
そうしている中で耳に入ってきて気になるものがしばしばあったりなかったり。

思わず意識が歌詞に向かってしまったという印象が強く残っている一曲が、平井堅さんの「瞳を閉じて」です。
もちろんニュアンスで絵は伝わるので、それを指摘すること自体が野暮なのですが、初めて聞いた時の最初の違和感は、「閉じんのは瞳でなくまぶたやん!」でした。
同じく思わず一時停止を押したのが、スキマスイッチの「奏」です。
最後のサビの出前、Cメロに入る最初の部分。
「突然ふいに鳴り響くベルの音」と入ります。
思わず振り向いたのは、このフレーズ。
「突然」も「不意」も意味が被ってる。。
もちろん、一拍休んで「突然〜♪」といっても、間をとって「不〜意に♪」といっても違和感があって、あえて近しい言葉を並べたのだと思いますが、やはり気になります。
突然も不意にも「いきなり」やん!
みたいな。。。


言葉尻を以て揚げ足を取るのではなく、文脈で耳に引っかかるものもあります。
そう言ってパッと思い浮かぶのが、レミオロメンの粉雪とドリカムの何度でも。
「それでも1億人から君を見つけたよ 根拠はないけど本気で思っているんだ」
ブラジルとパキスタンが女性の人口約1億なのですが、当然中東や南米の恋愛を歌った歌ではないと思う(そもそもどっちも雪降らない)ので、これは日本人を主人公にして作られた歌のはずです。
で、あるならば、1億人が恋愛対象!
言葉を気にする人間にとっては、そこが気になってしまうわけです。
或いはドリカムの何度でも。
「何度でも立ち上がり呼ぶよ 君の名前〜一万回ダメでヘトヘトになっても1万一回目は叶うかもしれない」
僕が大好きなドリカムの代表曲の一つなのですが、やっぱり気になります。
何度「君」にアプローチをかけたのかと。。
単純に一日一回のペースで「君」に告白したとして、10000回行くには27.397年ってなってますからね(笑)
堀北真希もビックリのローラー作戦。

これらをもって、この歌詞がどうのとケチを付けたいわけではありません。
むしろどの楽曲も僕が好きなものなので。
やっぱり瞳を閉じる代わりにまぶたを閉じたのでは、どこかイメージがしっくりきませんし、君を見つけるのは1億人の中の方が落ち着きます。
こういった言葉の矛盾なんて、作者は重々承知した上で、それでも語感やイメージの伝わりやすさを重視した結果の言葉選びなんですよね、きっと。


「おざなり」(テキトーに物事を処理する)と「なおざり」(なあなあにして無かったことにしようとする)のように、使い分けがややこしい言葉。
「敷居が高い」(気まずくてまた会いに行けない)、「気のおけない」(遠慮しないほど中のいい)みたいに、間違えて認識されているもの。
意識してみると、結構こういったことばに溢れています。
気になる反面で、仮に御用であったとしても、世間の大半が本来と異なる意味で使っていても、それで意味が通じているのなら、それが正しい意味としてもいいのではないかとも思います。
あくまで言葉は意思伝達のツールであって、必要以上に使う側を拘束してしまっては、本末転倒なのかなあと。。
あるいは「石の上にも三年」のように、文化によって解釈がことなることばだってあります。
どの程度本来の意味を大切にして、一方でどの位ことばの変化に寛容でいるか。
その塩梅が非常に大切であるように思います。