新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



古市憲寿とは何者なのか?若者研究をする若者について、若者のぼくが考えた(笑)

気になったものがあると、その関連する分野を深く掘り下げていく。

僕はこういう学び方を好む人の性質を、垂直展開型の好奇心と呼んでいます。
それが学問であれば研究者ということになりますし、自分の趣味になれば、オタク的ということになるのでしょう。
一方で、好奇心を幅広い方向に展開する人がいます。
あらゆる分野の垣根を越えて、広い知識を持っている人たち。
教養人と呼ばれるような人たちがここに含まれます。
一つのものを掘り下げる好奇心を垂直展開と呼んだのに対して、この広く展開していく好奇心を、僕は水平展開の好奇心と呼んでいます。
従来の好奇心という呼び方の中では、この垂直展開型と水平展開型で人物を大まかに分類することができました。
しかし、最近になって、具体的にはネットが普及するようになって、新しいタイプの好奇心の傾向が登場してきたように思います。

それまでは、あるものに興味を持った場合、より多くの知識を習得しようと思ったら、書物や新聞の記事などをイチから漁るしか方法がありませんでした。
そのため、水平展開
するにしろ垂直展開するにしろ、膨大な関係のない知識を自然と身につけることになっていました。
そこで身についた膨大な知識が組み合わさって、その人の思考や思想のベースとなるものが形成されます。
水平展開でも垂直展開でも、深く求めていけば、その過程で必ずその人なりの価値観が形成されてきたわけです。

インターネットが普及によって、何かを学ぶ際に膨大な無駄な情報に触れなくとも、目的とする情報にアクセスできるようになりました。
今まで直接関係のない知識にも同時に触れなければ求める知識にたどり着けなかったのが、求める情報のみにピンポイントでアクセスできるようになったことで、目的としていた知識に関する理解は格段に高くなります。
一方で、先人がそこにたどり着くまでに本来あったはずの適切な段階を全部飛びこすことになる。
結果として、求める知識に関しては非常に博学であるが、その過程に関してはごっそり抜け落ちているという好奇心のあり方が誕生しました。
これに名前を付けるのであればモザイク型の好奇心といったところでしょうか。
こうした好奇心のタイプは、特に若者の中に多く見られます。

以前、岡田斗司夫さんのネット番組に、アエラ編集部の方が登場して「古市さんが分からない」ということをしきりにつぶやいていたのが印象的でした。
古市さんとは、現在テレビのコメンテーターなどでよく目にする、社会学者の古市憲寿さんのこと。
若者研究をする若者ということで、注目が集まったと評価されることが多い古市さんですが、僕は彼が注目を集めるのは違った観点からであると考えています。
彼が注目を集める本当のところは「分からない若者を象徴している」からではないでしょうか。
彼の言葉はところどころに従来の知識人が理解できない部分が含まれているのだと思います。
知識人であれば通過しているはずの教養やたてまえと言ったものが彼は決定的に欠けていることがある。
それはまさにネット型の教養人、モザイク型の好奇心を持った人の持つ知識の特徴です。
デジタルネイティブの世代にはこうした教養やたて前に対する態度は何の違和感もないのですが、垂直型や水平型に知識を積み上げてきた人たちにとっては、こうしたところどころで決定的に欠落した知識のあり方というのが理解できないのだと思います。
だから、古市さんの言動をみて、「得体の知れない」という感想を持つことになる。

ネットの登場によって、新たに生まれた好奇心のあり方がモザイク型の好奇心です。
今の若者の中で知的探究心を持っている人の中には、このタイプの性質を示す人が少なくないように思います。
「分からない若者」を見たときには、モザイク型の好奇心という観点で見てみると会話の通じる同じ生き物くらいには見ることができる気がします(笑)


アイキャッチは古市さんの「だから日本はズレている」

だから日本はズレている (新潮新書 566)

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