新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



東村アキコ先生の「ヒモザイル」炎上について考えた~娯楽コンテンツと教化コンテンツの分類~

最近巷で話題の東村アキコ先生の「ヒモザイル」。
マンガ家のアシスタントをしている自分の身近な見た目も悪くないのになぜかモテない男達を、女性にモテるように改造しようという漫画です。
海月姫や雪花の虎、かくかくしかじかではあまり出していなかった、東村先生のギャグの側面が満載の作品です。
で、この漫画が一時期、twitter界隈を中心に炎上していました。
炎上の起こるメカニズムについて、前から興味があったのですが、少なくともヒモザイルの炎上のように、コンテンツ系の炎上に関しては僕の中で説明が付いたのでまとめてみたいと思います。

テレビの最大のタブーは「視聴者をバカにすること」


よく、テレビのタブーとして、放送禁止用語や、スポンサーを悪く言うこと、あるいは政権や時の権力者の圧力などが挙げられます。
しかしながら実際のところ、製作者側にとっての最大のタブーは、「視聴者を馬鹿にする」ことではないでしょうか。
テレビ製作者にとって一番困るのは、スポンサーが減ることよりも、いずれの方面から圧がかかることよりも、なにより見てくれる人がいなくなることです。
テレビは
テレビのビジネスモデルは、家にテレビを置き、いつも見てくれる膨大な視聴者がいて、その視聴者へのリーチを期待するスポンサーから広告収入を得ます。
或いは、そのリーチの大きさを期待するために権力者はメディアを利用したり、内容を懸念したりするわけです。
大前提として、膨大な視聴者が先に立っています。
無料で流れているのならテレビくらい点けておこうという、何百万人の視聴者がいて、初めて成り立つビジネスモデル。
したがって、その「タダだから点けておいてもいい」という視聴者にスイッチを消させるようなことが、テレビの最も嫌うことであると考えられるのです。


2パターンのコンテンツの楽しみ方


あるコンテンツに触れる際、そのコンテンツの楽しみ方は大きく2種類に分類できます。
一つは純粋な娯楽としてコンテンツを消費する楽しみ方。
もう一つは自分の生活に何らかの影響を与えるものとして楽しむ方法。
純粋に娯楽としてコンテンツを消費する人は、そこに自分自身の成長や学びを求めていません。
その時間を楽しく過ごすのを目的に、コンテンツに向かっているのです。
それに対して、教化を求めてコンテンツに向かう人は、そのコンテンツを通して、何かしらの衝撃、気づき、自分の成長に繋がるような出会いを求めています。
つまり、コンテンツに自分を「教化」する要素を期待するわけです。
今の自分をよりよい所へと導く教化は、自分の現状を否定されるような苦痛を伴うことがあります。
したがって消費するコンテンツを求めるユーザーが教化を目的としたコンテンツに触れてしまうと、大きな不快を感じることになるのです。
もちろん、逆もいえます。

無料でコンテンツに触れる人は教化を求めない


無料のコンテンツのユーザーと、有料のコンテンツのユーザーでは、その割合として前者には消費型の楽しみ方をする人が多く、後者には教化を求めるユーザーが多いように思います。
無料の人間が、そのコンテンツにアクセスするまでに特にアクセスまでの障害がないのに対し、有料のユーザーは、コンテンツの利用まで選択と支払いという、少なくとも二つの障害を越えているからです。
無料であれば時間の許す限り無限にコンテンツが消費できますが、それが1円であれ有料になった瞬間、そこには予算という制限が生まれます。
そして、その制限の中で自分が消費するコンテンツを選択する必要が出てくるのです。
有料のユーザーは、コンテンツを楽しむ前段階として、自らコンテンツを選択します。
つまり、利用する以前の段階で既に、自分で「見る価値はあるだろう」と判断をしているのです。
対して無料ユーザーの場合、制約がないためそのコンテンツに対する評価の100%が視聴後に下されます。
もう一つの有料ということも重要です。
有料ユーザーはお金を払うことで、その分の何かしらリターンを求めるインセンティブが、無料のユーザーと比べると相対的に働きます。
無料であれば何も得られなかった場合、掛けた時間分が失われただけですが、お金を払っている場合、そこに実質的な損失が現れます。(今は時間は無限であるという仮定の下でのお話。)
したがって、リターンを求める志向は有料の方が強くなるのです。
そしてそのリターンの最も分かりやすいものが、自分に気づきを与えたり成長に繋がるコンテンツ、つまり教化するコンテンツというわけです。


2つのコンテンツが混在するWEB空間


僕が考えるウェブが出てきたことによる最大の変化は、教化するコンテンツと消費するコンテンツが混在する状況になったということです。
それまでは無料で触れるコンテンツには娯楽消費型のコンテンツがあふれ、有料で手に入れるコンテンツには教化型のコンテンツがあふれるといったように、比較的消費型と教化型のコンテンツのすみわけがなされていました。
テレビという空間が、その住み分けの最たる例です。
IT技術の浸透により、あらゆるコンテンツがウェブ上にあふれるようになると、教化型のコンテンツと消費型のコンテンツの区別なしに、ウェブ上にあふれるようになります。
そしてウェブ上で閲覧されるコンテンツの大半は無料であり、教化コンテンツよりも娯楽コンテンツを楽しむユーザーの比率が多い無料でコンテンツを楽しむ人たちがそれを利用する。
すると、娯楽コンテンツを求めたユーザーが、教化型のコンテンツに出会う可能性が非常に高くなります。

教化コンテンツとしての東村作品


純粋に時間をつぶしたくてコンテンツにアクセスしたときに、「今のままでは駄目だ」「こうしなさい」といったような、なにかしら現状の自分を否定されるような内容のコンテンツに触れれば、不快に感じるのは至極まともな反応です。
楽しみたいと思って開いたコンテンツに説教をされたりするわけですから、それが本来の作品に対する評価以上に低くなるのもうなずけます。
コンテンツに関する炎上の多くは、こうした仕組みから起きるものなのではないでしょうか。
東村アキコ先生の「ヒモザイル」は、消費型コンテンツと教化型コンテンツの2分類で言えば、明らかに後者です。
現状の自分ではダメだから、変わりなさい。
キャッチーなフレーズやどたばた感で飾ってはいますが(その飾りの部分が、炎上に一役買ってしまったのも事実ですが)、根底には現状から脱出しようという作者のメッセージを感じます。
そんな作品に純粋な娯楽を求めるユーザーが出会ってしまえば、不快に思うのもうなずけます。
ちょうどテレビをつけたら、「最大の問題は視聴者の頭が悪いことである。政治より何より視聴者が賢くならねばいけない」と、いきなりけなされるようなもの。
これがネット公開ではなく、有料の単行本と言う形であったならば、そもそもこんな話題にすらなっていなかったと思います。
久しぶりに東村ワールド全開の「ヒモザイル」。
個人的には今回の炎上は気にせず、どんどんぶっ飛んだ展開にいってほしいです。

アイキャッチはヒモザイルよりももっと炎上しそうなママはテンパリスト(笑)