新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



そのテキストは本当に分かりづらいのか?分かりやすい「麻酔テキスト」と難しい「覚醒テキスト」の違い

どの科目に限らず、テキストには大きく二種類のものがあるように思います。
ひとつはやさしい問題とさもできたような気持ちにさせてくれるキャッチーな解説で使った人が分かった気になるようなテキスト。
もうひとつは理解するのに、演習する側の根性も時間も要するが、しっかりとやりきれば本人を次のステップへと引き上げてくれるテキストです。
僕は前者の「できた気にさせてくれる」教材を麻酔テキスト、後者の「理解できれば成長に繋がる」教材を覚醒テキストと呼んでいます。
よほど意識しなければ、僕たちはついつい麻酔テキストに流れてしまいます。
答えを知りたくて解説を読んでいるのに、その解説が難しい(ここでいう「難しい」は、「分かりにくい」とは違います。)なんてしんどいので、ついつい分かった気にさせてくれる麻酔テキストに流れてしまうのも最もです。

僕は覚醒テキストの特徴は、「難しい」点にあると思っています。
難しいというのは、分かりにくいとは違います。
「分かりにくい」とは、言っていることはたいしたこと無いのに、冗長で小難しい表現を用いるため、何が言いたいのかわからないことです。
それに対して「難しい」とは、そこに書かれている内容自体が非常に高度であるために、簡潔に書かれていても、理解するのに時間がかかる、或いは読み手の側の努力を要するものを指します。
決してライトノベルのことを言っていることはたいしたこと無いなどとは思いませんが、ちょうどライトノベルと昔から読まれ続けている文学作品の関係に似ています。
西尾維新ドストエフスキー、或いは誰でもできるやる気の出し方みたいな自己啓発本国富論を比べたら、当然どちらも後者のほうが読みづらいわけです。
しかしそれは内容が「難しい」から読みづらいのであって、書かれ方が「分かりにくい」から読みづらいわけではありません。
僕も含めて現代の若者は、難しいと分かりづらいの違いをほとんど理解できていないように思います。
だから、本当は自分の理解力不足、理解しようとする努力不足であっても、それを提供者側のせいだと考えてしまう。
あらゆることが快適になる方面に強化されているからこそ、本来能動的であるべき分野においては、この2者の違いをはっきり認識するように心がけなければいけないと思うのです。

読書と同じように、僕たちは勉強においても、「難しい」ことと「分かりにくい」ことの違いははっきりと認識しておく必要があります。 
ぼんやり勉強をしていると、パッと読んで内容が理解できない教材に出会うと、僕たちは往々にして「分かりづらい教材」というレッテルを貼ってしまいます。
しかし実際は、書かれていることが非常に高度であり、自分の今の能力では理解するのに時間を要するだけなのかも知れません。
ここに意識が及ばなければ、僕たちはどんどん勉強をできた気にさせてくれる、麻酔テキストに流れてしまいます。
もちろん、勉強をしていてできた気になることは、非常に心地よいですし、その達成感は次への活力にも繋がります。
しかし、それが自分の理解力の範疇での達成感である限り、その先に能力の向上はありえません。
本当に勉強ができるようになるためには、どこかの段階で自分の理解力の限界に向き合う必要があるのです。
そうした自分と向き合う手段が覚醒テキストです。
パッと見ても良く分からない、一問の解説が長すぎる。
解説を読むことに多大な付加がかかるからこそ、次のステージへの飛躍が望めるわけです。
もし量をこなしているのに伸びないと感じている人がいれば、自分の使っている教材が麻酔テキストなのか、それとも覚醒テキストであるのかを考えてみることをオススメします。


アイキャッチは僕が覚醒テキストだと思う、マドンナ古文の荻野先生「マドンナセンター古文」

マドンナセンター古文 (ビジュアル式センター攻略)

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