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新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



情報へのアクセスが容易になることで生じる2種類の強化

IT技術の発達により、膨大な情報が溢れると同時に、情報へのアクセスが容易になりました。
僕はこれによって今の人々、とくに若い世代には、2種類の「強化」が起こっていると考えています。
ひとつは、人の知的欲求を満たす方向への「強化」です。
例えば街を歩いていて、知らないことが書かれている広告を目にします。
昔ならばそのことを外出先で覚える、或いはメモを取るなどして、家まで持ち帰り、かつ本や辞書を使って調べるということをしなければなりませんでした。
しかし、スマホの普及した現代であれば、気になった瞬間にネットで検索することができますし、時間がなければ写メを撮っておくことも可能です。
圧倒的に疑問に思った瞬間から行動に起こすまでのタイムラグが短くなっているのです。
気になるものがある人はその瞬間にその問題を解決できるという点で、僕たちは知的好奇心を満たす方向に強化されていると言えます。

一方で現在の僕たちの身の回りには、自分たちが消化できる量をはるかに超える量の情報が溢れています。
自分の消化できる量を超えているということを裏返せば、自分から新しい情報を取りにいく努力をしなくても、その人が満足するだけの情報に触れることができるということです。
自ら情報にアクセスしようとせずとも、十分満足できる量の情報に触れられるというと、メリットであるようにも聞こえます。
しかし自分の元に自然に流れてくる情報は、基本的に自分の身の回りの情報です。
TwitterFacebookのタイムライン、友達が共有するニュース記事。
SNSで流れてくる情報は、僕たちの交友関係に非常に強く相関します。
その意味で、自分の元にくる情報だけを見ているというのは、既存の知識や関係性をより深くする傾向があると言えるのです。
僕はこうした方向への強化を「既存の世界や関係への強化」と名付けています。

ネットが普及しはじめておよそ20年、スマホが普及しはじめてもうすぐ10年が経とうとしています。
その間に、知的好奇心を満たす強化と、既存の世界への強化はますます進んでいます。
この2種類の「強化」のどちらに傾くかは、人により違います。
知的好奇心を満たす強化に進む人たちは、ますます新しい知識に対して自らアクセスするようになり、既存の世界への強化の側に立つ人は、身の回り以外のことに興味を示さず、代わりに身近な関係性をますます重んじるようになります。
ちょうど、壁の中の平穏を願う市民と壁の外に興味をもつエレンのような関係です。
この2方向への強化は、今後ますます強まるように思います。
そうなったとき、社会に新たなクラスタが生まれてくるというのが岡田斗司夫さんの考え。(ちょっと違うかもしれませんが、、)
僕は、かつて農業革命で地主と農家に、産業革命で資本家と労働者に分かれたように、IT革命でも、こうした階級の入れ替えが起こるのではないかと思っています。
その動態分析が僕のライフワークのひとつなのかなあと思っていたのですが、ちょうどここ数年で、その前兆が見えてきたように感じています。