読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



人を惹きつける人間は、一般名詞としての自分に自覚的

魅力的な人は、一般名詞としての自分に自覚的。
ここ数週間、人を惹きつけるタイプの人と一緒に遊ぶ機会が多く、その人たちを見ていて感じたことです。
一般名詞としての自分とは、周りの人が自分のことをどう感じているかというもの。
自分の持っている自分像を「固有名詞の自分」としたら、周りの人が持っているであろう自分に対するイメージが「一般名詞としての自分」です。
人を惹きつけるタイプの人間は、どこかで周りの思う「自分」を演じている節があるように思うのです。

矢沢永吉さんが、何かを頼まれた時に「俺は別にいいけど、YAZAWAがなんて言うだろう」と答えたというエピソードがあります。
これは一般名詞としての自分を意識している典型例です。
矢沢永吉さんにとって、プライベートな自分は「俺」で、パブリックなイメージの自分が「YAZAWA」なわけです。
自分の所有物としての自分である前に、周囲からの期待の中で存在する「自分」を演じているのです。

周囲が期待する「自分」を演じるというと、ぶりっ子とかナルシストのように聞こえるかもしれませんが、ここでいう演じるとはそういう類のことではありません。
もっと根源的な、何かの判断基準のところに周囲の目を持っているかどうかという話。
たとえば、コンビニでジュースを買うときに迷っているとして、その時に何も考えずに自分の好きなものをただ手にとるのではなく、周りの人が期待する「自分」ならば何を選ぶべきかと考える。
そんなようなレベルの些細なお話です。

周囲の人の立場に立てば、一般名詞としての自分を自覚的に演じている人というのは分かりやすいと感じます。
普通人と接する場合、相手が持ついろんな要素のなかから自分のアンテナに引っかかるところを集めて、自分の中の相手像を作るのですが、自覚的に「自分」を演じている人と接する場合、その手間がいらなくなるのです。
だから他の人と比べて、圧倒的に分かりやすくなります。


先にも触れましたが、「演じる」と言っても、ここで言うのは判断基準に周囲の期待が含まれているという意味での演じるという行為です。
同じ「演じる」でも、自分が周りに受け入れて欲しいと思っている自分像を演じているのとは全く違います。
それはただの厨二病
人を惹きつける人間は、あくまで「周囲の人が抱くイメージ」を演じるのです。
これは、最近良くある○○オタクといったキャラ付け的なものでなく(キャラ付けも自分が周りに認識して欲しい自分像を演じていることに含まれます)、自分の価値尺度に根ざすようなものです。
人を惹きつける人間は、キャラ付けなんていう表層的なところでなく、もっと深い部分で、周囲に自分を認知してもらっているのです。

このことを意識して生活すれば、誰でも人を惹きつける人間になることができるように思います。
しかし、周りの人が抱く自分のイメージを意識するという意味を間違えて捉えて、周りの声に流されれば、結果的にひどく「分かりづらい」人と周りに思われるのが関の山です。
結局、そうならず周りの人が自分に対して抱いている「自分らしさ」を形成するのは、その人の資質によるところが多いのかもしれません。
SNSが普及して、人との繋がりの総数が増えた現在、今まで以上に周りの持つ「自分らしさ」を理解することが強みになっているように思います。
一般名詞の自分に自覚的な人の元に無意識に人は集まるし、そこで面白い事や価値のある情報は集まります。
これからの社会で成功する上で、かなり重要なスキルの一つになってくるのではないかと思うわけです。

アイキャッチ岡田斗司夫さん「『いいひと』戦略」

超情報化社会におけるサバイバル術 「いいひと」戦略

超情報化社会におけるサバイバル術 「いいひと」戦略