新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



2016年法政大学文・経営・人間環境学部(ほか)「古本説話集」現代語訳

今年度の私立大学の入試問題が集まってきたので、少しずつ現代語訳を載せていこうと思います。

内容の背景を捉えることを第一目標としているので、直訳とは若干異なるところがありますが、ご了承下さい。

※因みに過去問は東進の大学入試問題過去問データベース から入手可能です

 

今はもう昔のことだが、長能と道済という歌詠みたちは、たいそう歌を詠み合って競っていた。長能は、蜻蛉日記の作者の弟で、古くからの歌詠みの家系の血を引く者である。いっぽうの道済は、信明という歌詠みの孫であった。歌の詠み合いをしている中で、鷹狩の歌で競ったことがあった。長能が
宿を貸してくれる人もこのあたりにはいないので、あられが降る交野の野では狩衣が濡れてしまう
と詠むと、道済は
 濡れたとしてもやはり狩には行きましょう。上毛の雪を振り払いながら
と返した。それぞれが「私の歌のほうが勝っている」と言い合いながら、二人で四条大納言の元を訪れた。どちらの歌が勝っているかの判断を仰いだところ、大納言は「どちらも良い歌であることは前提で、あられ程度でどうして雨宿りの宿を借りるほどに濡れることがあろうか、その点を踏まえて、長能の歌が劣っている。歌の品は良い。一方で道済の歌はその通りである。後の和歌集にきっと入れよう。」と言った。それを聞いて道済は舞い上がって出て行った。長能は思い悩んで出て行った。以前は何事においても長能が勝つことが多かったために、この度の結果は納得のいくものではなかったのだろう。
 長能は春を惜しんで三月に、
今年はつらい年になりそうだなあ。まだ3月の29日というのに、芋地は春が過ぎてしまったかのようです。
と詠み挙げた。
 例の大納言がこの歌を聞いて、「春は29日だけなのか」と言った。長能はそれを聞いて、大きな間違えであったと思い、何も言わず出て行った。さて、この一件のころから、長能が平生ではなく調子が優れなくなったという話を聞いて、大納言は見舞いに人を遣わした。その使いが持ち帰った長能からの返事には「『春は29日だけなのか』という大納言さんの言葉を聞いて、たしかに大きな間違いだったと、つらく、嘆かわしく思っているうちに、こうして病が重くなってしまいました。」と書いてあった。この後、程なくして長能は亡くなってしまった。「それほどまでに和歌に心を打ち込んでいた長能に、心無いことを言ってしまった」と、大納言は最後までひどく嘆いていらっしゃった。本当に風流の道に熱心であったことが分かるエピソードであることだ。

 

アイキャッチは敬語の説明なら1番分かりやすいと思っている吉野先生の参考書

 

 

 

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