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新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



Twitterスラム論②消費者マインドと生産者マインド

ここ最近の炎上騒ぎやデモ、その他諸々のニュースを見ていて、ふと「消費者マインド」という言葉を思いつきました。

あらゆるものには投資と消費の2通りの使い方があって、投資の観点を持っている人のことを「生産者マインド」、消費の観点しかない人を「消費者マインド」と名付けてみることにします。
ここでの消費と投資の定義は、あるものを使用する際にその価値を拡大再生産するという視点で用いているか否かです。
あるものを使って、価値を増やそうと考える場合は投資、価値を増やそうと考えない場合は消費となります。
 
生産者マインドと消費者マインドの違いが特によく出るのは、「お金」「時間」そして「情報」の3分野です。
これらは消費しようとしているのか、それとも投資しようとしているのかが見えやすい分野です。
お金に関する投資と消費は直感的にも分かりやすいと思います。
「欲しいものがあるから買って楽しんで終わり」が消費、「有形無形を含めて今後自分に出した金額以上のリターンがあるという期待のもとでお金を使う」のが投資です。
因みに僕の中では貯金も保険も消費の分類です。
理由は先に挙げた拡大再生産を意図するものでないから。
100%僕の肌感覚にすぎませんが、日本人のお金における消費者マインドと生産者マインドの比率は、8:2くらいな気がします。
因みにお金の分野で生産者マインドを持っている人を商売人、消費者マインドの人をサラリーマンと僕は名付けています。
 
次に時間に関する投資と消費の向き合い方です。
時間に関してはお金に比べると、投資的な使い方をする人が多い印象です。
時間の消費的使い方とは、何かを行う際に時間を設定しない、或いは予め設定された時間内で何かに取り組むというスタンスです。
それに対して投資的な時間の使い方は、何かを行う際にどれくらいの時間を要するかを考え、それに基づいて時間を設定するというスタンス。
世の中の社会人のほぼ全てがこの観点で動いていると思います。
そのため時間における消費者マインドと生産者マインドとの比率は3:7くらいかなあといった印象です。
 
で、3つめの情報に対する消費的な向き合い方と投資的な向き合い方についてです。
情報に対する消費的な向き合い方とは、ニュースを題材にそれに対して怒ったり同情したりすることで、自分の感情を満たすという使い方です。
清原さんやベッキーさんの問題が起きた時に騒ぎ立てるというようなスタイルのこと。
これが情報の消費です。
それに対して投資的な情報への向き合い方とは、あるニュースがあったとき、話のタネにできるように自分の視点から意見を組み立てたり、時系列に並べたりと、何らかの「加工」を加える向き合い方です。
前の2つと同様に、これも消費者マインドと生産者マインドに分けると、8:2くらいなのではないかなあと思います。
 
僕はSNSが広がれば広がるほど、消費者マインドの声が大きくなっていくと考えています。
ある物を投資的な使い方をする人でも消費はするのに対して、消費的な使い方をする人は投資的な使い方はしません。
つまり生産者マインドの人は消費者マインドを理解しているのに対して、消費者マインドの人はそもそも生産者の視点はほとんどないということになります。
そうすると両者がぶつかった時、生産者マインドの人は消費者マインドの人に投資的な使い方を説明しようとする一方で、消費者マインドの人は自分のフィールドで声を張ればいい。
したがって、フラットな場で言い合えるようになれば消費者マインドの人のほうが圧倒的に優位なわけです。
では、実際の社会に価値を多く提供しているのはどちらか。
社会に価値を提供するという観点でいけば、拡大再生産をする思考法の生産者マインドの人が圧倒的に多くの比重を占めています。
生産者マインドの人が100人集まった村と、消費者マインドの人が100人集まった村では、どちらが上手くいくかは言うまでもありません。
 
様々な技術が発達して、僕らは「生産者」に対して対等に声を上げることができるようになりました。
ただ、僕たちが消費者マインドで生産者の人たちを叩けば、そのコミュニケーションの場からは生産者が去って行きます。
そして生産者マインドの人が減った場では、相対的に消費者マインドの人の声が大きくなる。
そして生産者マインドの人はさらに去っていく。
最近のTwitterを見ていると、なんとなくことスパイラルが加速しているように感じます。
一部の生産者マインドの人たちはTwitterをやめ、別の生産者マインドの人たちは完全に消費者マインドの人たちへの「広告」と割り切って利用している。
ここ1,2年で、特にこの流れが加速しているような気がします。
Twitterはやがてネット上のスラム街のようになると冗談半分でエントリに書いたことがあるのですが、もしかしたらあながち方向性としては間違ってないのかなあと思う今日この頃。